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pastiche 第6話

 




 pastiche
  第6話






 

 その日は、この前林檎と会っていた喫茶店で、別の人物と会っていた。
 多くの人が出社や登校をとっくに終えたこの時間、小奇麗な主婦達が席を占領していた。
 
 林檎に会ったその日に今日の約束をした為、今になって断ろうかとも少しだけ考えた。

 トキヤに抱かれている最中に思い出された記憶。
 
 抱かれた後もずっと続いたトキヤの優しい腕は、春歌を久しぶりに熟睡させるのに十分だった。ずっと半信半疑だった関係が、自分の内から湧いた記憶でしっかりとした輪郭を持った安堵。それもあって、もうトキヤの言う通り、このままトキヤと未来だけを見ようとも思ったのだ。

 だが、林檎は音也の行方を心配していた。自分はとりあえずトキヤと恋人同士だった可能性が極めて高いという結論に達しても、音也の行方は友として、探した方がいいのではないだろうか。第一、トキヤとの関係も、抱かれた記憶があった事が恋人同士であった事と絶対イコールになるわけではない。世の中には、セックスをするだけの友達を持つ者もいるらしい。トキヤや自分の性格からそのテの関係は考え難いが、今はまだ、恋人同士だった事実が揺るぎなくなったとまではいかない。

 そんなことを色々迷い考え、約束の時間になってしまったのだった。

 

 
 翔は春歌の向かいの席に座り、レンは翔の隣に座っていた。


 「俺、全然心当たり無いんだ。ほんと、そんな素振り無かったんだよ。でも、あいつは平気で約束を破るようなやつじゃないだろ。レンならまだ判るけどよ。だから、やっぱり失踪だろうな・・・って・・・縁起でも、ねえけどさ・・・。」

 最後は消え入るような声で言う翔は、音也が姿を消したことにショックを受けているようだった。

 「約束を破るのがオレなら判るって、どういう意味だい。よくもそんなヒドイ台詞、さらりと言ってくれるねえ、おチビちゃん。」

 レンが、少しだけ笑いながらコーヒーを飲む。

 「別にお前が約束破るやつだって意味じゃねえよ。単に、人に与える印象がチャラいっていうか。」

 「フォローになってない。」

 来栖翔。
 神宮寺レン。
 
 2人とも、学園時代から特に仲の良い連中のうち、トキヤと同じSクラス出身の面子だ。翔は音也とはサッカーやら何やらで気が合い、学園を卒業して仕事を始めてからも、よく約束をして一緒に遊んでいた。

 レンは、特に音也と2人で会う仲ではないが、翔やトキヤをクッションにして複数人が集まる時は必ず居るメンバーだ。音也とも一緒に居る時は仲良くしているし、レンの方が年上で、性格的にも音也より冷静なせいか、いいお守り役にも見えた。

 春歌は、林檎に無理を言って、音也と自分が付き合ってると発言した人間を教えてもらった。
 そしてこうして、2人を呼び出したのだった。

 翔と音也が23日に約束をしていたのは本当だった。
 しかもそれは、音也が好きなサッカーチームの試合を観戦に行くというもので、チケットもわざわざ買って入手した物であり、理由のないドタキャンはあまり積極的に選択肢に入れられない状況だ。

 「ロケが終わって休みになるからラッキーだって、ほんのちょっと前に、あいつが自分でチケット買って俺と一緒に行こうってくれたんだよ。安い席のチケだけどさ、音也のヤツ、すっごい楽しみにしてたんだ。」

 「おチビちゃんが最後にイッキに連絡を貰ったのは、いつだったっけ?」

 「20日の夜だよ。メールで画像送ってきた。どっかの風景みたいだったけど、暗くてなんだかわかりゃしねー画像でさ。説明も書いてないし、見えねえ、つうの。」

 翔が、ホットケーキをぱくりと食べる。
 春歌は、歪んだみたいに映るガラス細工の嵌る壁に一瞬目を遣った。

 「暗い。」
 まさか、それは山の中の画像なのか。思わず手を握り締めた。

 

 「オレからも聞いてもいいかい、レディ。」

 レンが、春歌に言った。

 「はい、どうぞ。」

 「単刀直入に聞くよ。君とイッチーって、どういう関係?」

 「・・・それは。」

 レンの声は落ち着いていた。翔がホットケーキを食べる手を止め、真剣な表情で春歌を見た。
 それだけで、この質問がこの2人にとって、非常に聞きたい内容なのだど察せられる。

 2人は、春歌の答えを黙って待っていた。
 春歌の脳裏に昨夜の記憶の断片が蘇ったが、やはり2人には告げられなかった。

 「・・・友達、だと思います。記憶が無いってお医者さんが診断してるように、もし一ノ瀬さんと何かあったとしても、今の私には正確なことは判らないんです。」

 「そう。」

 レンは呆れるでも馬鹿にするでもなく、余裕のある顔で頷いた。
 そして

 「イッチーは、日向さんの同じ質問にノーと答えたらしいね。まあ当然だ。恋愛禁止の事務所なんだから、例えそうだとしても認めるわけにはいかないだろう。君の記憶喪失とイッキの失踪が2人の関係性に繋がらないなら、イッチーが本当の事を答える義務も無いしね。」

 「・・・? どういう意味、ですか。日向先生がそういうことを聞いたのは、私たちの関係が恋人同士だったら、音也くんの失踪の理由も見つかるから・・・・? という意味なのでしょうか・・・?」

 「それはどうかな。日向さんは単に、イッチーが君を助けたのが深夜で、ましてあんな山の中だったから、君と恋人同士だと考えた方が自然だから確認してみた。っていうだけじゃないかな。ハナからイッキの失踪とそれが繋がってると思って聞いてるんじゃないと思うよ。ただ、どんな可能性でもいいから縋りたいって気持ちはあるだろうね。失踪なんて、穏やかじゃない。」

 そうですね、と、春歌は力なく相槌を打つ。

 「君の予想で構わない。君は、イッチーと自分はどういう関係だったと今、思ってるの?」

 「・・・どうしてですか。」
 
 春歌は問うた。
 レンは、龍也が質問をしたのは単に聞きたかっただけだと言いながら、自分は同じ質問をしつこく尋ねる。どうしてなのかと問いたくもなる。

 「私と一ノ瀬さんがどうとかを聞いて、音也くんの失踪と何の関係が・・・。」

 レンが翔と目配せした。

 「ねえ、レディ。」

 「はい。」

 「オレ・・・オレと、おチビちゃんはね、イッキのスマホの中に君の画像があるのを見た事があるんだ。ああ誤解しないで。勝手に見たわけじゃない。たまたま見ちゃっただけなんだ。少し前に、偶然ね。」

 「はあ。」

 それが何だと言うのだ。
 ずっと学園時代から一緒に仲良くしてきたのだ。写真くらい、それこそ目の前に座る2人とだって、数え切れない枚数撮ってきた。音也の携帯に画像が何枚あっても、なんらおかしい話ではない。

 「はあ。っておまえ・・・。いやだからさ、その、ていうかそれがさ、・・・あーもうレン! おまえが言えよ!」

 翔があたふたしながらレンに絡む。
 やれやれという風に溜息をついて、レンがまた春歌を見据えた。

 「レディに面と向かって言うのもちょっと憚られるけど・・・。その画像、君、裸だったんだよね。」

 「は、い?」

 ぽかんと。
 一瞬意味を理解できずに素っ頓狂な声で返答をした春歌だったが、波が湧きおこるように前のめりになった。

 「ちょ、ちょっと待って下さい! なんで、なんで私が! どういう事なんでしょうか!」

 「落ち着いてレディ。別に君のヌードをオレたちが拝めたわけじゃない。残念なことに。」

 「だ、だって今ハダカって、はだ、は、は、ハダカって・・・!」

 「だからぁ、背中だったんだって。でも背中は裸だったんだよ。だからその、む、む・・・胸とか、は、見て無い。見て無いからな!」

 「いえそういう問題では・・・っ。というか、どういう事なんですか、私、そんな、そんなの、っていうかですね! 大体、それ本当に私なんですか? 背中なんて、誰か判らないじゃないですか。間違いなんじゃないですか。」

 軽くパニックになり、慌てふためいてジュースを零しそうな春歌を、レンが目で落ち着いて。と促す。

 「オレたちも、別に君をからかおうと思って言ってるんじゃないんだ。」

 いつも飄々としたレンの真面目な声に、春歌も少し落ち着きを取り戻す。
 翔も黙り、レンに任せたというように椅子に深く座り直した。

 「その写真は間違いなく君だった。横顔だけど顔も写っていたし。上半身は何も身につけてなくて、横向きよりはもう少しうつ伏せで眠ってる写真でね。髪型でも君だと判ったし、オレとおチビちゃんの2人が見て、君だと判断したんだ。」

 「裸、って、全部裸、だったんですか・・・?」

 「いや。」

 春歌の引き攣った顔の所為か、レンが間髪入れずに否定した。

 「正確には判らない。オレたちは背中しか見てなくて、背中はなにもまとってなかった。その画像は上半身しか写って無くて、そして、オレたちが見た画像はその1枚だけだ。誓って、オレたちは君の産まれたままの姿を正面からや全身では、目にしていないよ。それは安心して構わない。」

 そもそもそれが安心できるのかどうかは別として、春歌の頭の中はすっかり混乱していた。
 
 どうして自分が上半身だけでも裸で寝ていて、それを音也が携帯電話で撮影出来るのだ。それではまるで恋人同士のベッドでのその後、ではないか。何故それがトキヤの携帯ならまだしも、音也の携帯に収められているのだ。

 昨日明滅した記憶で、自分はトキヤに優しく抱かれていた。
 あれは、トキヤの優しい愛撫が見せた錯覚ではない。確かに自分の記憶だった。トキヤと恋人同士だったという話は本当だったのだと多少の安堵をした矢先に、それを覆すような情報を提示されて目の前が霞む。

 「なんで、音也くんがそんなの・・・。」

 春歌の呟きに、レンが答える。

 「その写真の件があるからオレたちは、君はイッキと付き合ってると思ってたんだよ。君が意識不明で病院に運ばれたって聞いて驚いて駆け付けたら、付き添っていたのがイッチーだったのには驚いた。だけどもっと驚いたのは、君は山の中で一人で倒れていて、それを助けたのがイッチーだったって話さ。」

 翔が、レンの言葉に深く頷く。

 「日向さんからイッキが行方不明だって聞いて、レディに話を聞けば判るんじゃないかと思ったけど、君は記憶が失くなってしまっていた。」

 春歌は少しだけ、自分の手が震えているのに気がついた。
 テーブルの下で組まれている手指に気付かないレンが話を進める。

 「でも君は、例えあの日イッキと一緒に山へ行っていなかったとしても、彼の失踪について何らか知っているんじゃないかと思う。あんな写真を撮れる仲だ。自発的な失踪だとしたら理由とか、思い当たる何かがあるんじゃないかな。」

 レンの意見は至極一般的だ。
 レンや翔は、以前見た写真から推測しているのだから、山中で春歌が一緒だったのは音也だと思って当然だ。山中で一緒ではなかったとしても、恋人同士だという前提で今回の件を考えているから、音也の失踪に何らかの兆候を春歌が見ていたのではないかと推測しているのだ。

 だが春歌には何もわからない。
 音也と恋人同士だった記憶など、今の自分には微塵も無いのだ。

 「すいません・・・私、本当に、音也くんと恋人同士だった記憶なんて、無いんです・・・。本当に無いのか、忘れてるだけなのか、まったくわからないんです。」

 項垂れる春歌を、翔が、仕方ないから気にするなと慰める。その横から、

 「それがね、レディ。オレたちの話はまだ続きがあるんだ。」

 と、レンが話を続けた。

 「聖川がね、君はイッチーと付き合ってたって言い張ったんだ。だから、ロケが終わってあの山へ一緒に行くなら、イッチーと行く筈だと言い張ってきかなかったんだよ。」

 「え・・・?」

 また驚く春歌を横目に、翔が横から口を挟んだ。

 「それがさ、このあいだ俺とレンが事務所の廊下でたまたま会った時、この話をしてたんだ。そしたら丁度アイツが通りかかったんだよ。で、何の話だって聞かれて、まぁお前の画像の事は伏せといたけど、俺達は、音也は七海と付き合ってたから、失踪について七海が何か知ってると思うって言ったんだ。そしたらアイツ、不思議そうな、スッゲー変な顔して、七海は一ノ瀬と交際をしてる。って言い出したんだ。」

 
 なぜ。
 
 聖川真斗も、学園時代からの友達だ。
 
 真面目で几帳面な性格で、控え目さも美徳の男だ。女性に関しては奥手で初心と言っていい。その彼が、何の根拠も無く、まして男女の仲に関する何かを言い張るなど考えられない。春歌が一ノ瀬トキヤと付き合っていたと言い張ったなど、何故だ。どんな理由でそんな主張を。

 すっかり中の氷が溶けたグラスの水滴が、つーっと垂れた。

 「まあ兎に角だ、レディ。大体が、君はあんな山へ一体何しに行ったのか、それを思い出してくれると嬉しいね。そうしたら、色々一気に解決するんじゃないかな。」

 不安気に沈む春歌に気を遣ったのか、レンが明るい声で言った。

 「君が発見されたあの山は、別に有名でもなんでもないんだ。すぐ傍のつばさ山なら、自殺の名所で有名だけどね。あんな山をわざわざデート場所に選ぶってのもおかしいだろう。尤も、人目を忍んで愛しあおうとしたのかもしれないが。」

 「愛し合うって・・・人目を忍びたいならホテルにでも行けよ。」

 ポリポリと頬を掻きながら言った翔に、レンがふと気付いた顔をした。

 「ホテルと言えば。その晩、レディはどうするつもりだったの?」

 「え?」

 春歌は、聖川が言い張ったのはなぜだろう、という疑問をまだ引っ張っていて、レンに問われて我に返った。

 「だからさ、あんな時間にあんな寂れた観光地へ出掛けてるんだから、その夜は何処に泊まるつもりだったんだい。まさか山中にテントを張ってキャンプをするつもりだったわけじゃ無いだろう。東京からあんな所まで行くんだよ。イッチーとにしろイッキとにしろ、もしかして一人で泊まるにしろ、ホテルくらいは予約してあったんだろう?」

 そうだ。
 
 どうして気がつかなかったのか。自分はその晩どうしてそこに居たのか、という点ばかりを気にしていて、そもそもが東京からあんなに離れた場所へ行くのに、宿を取っていた可能性を思い付かなかった。

 「そうだよな。トキヤか音也のどっちかがホテルを2名分で予約してたら、七海はそっちと付き合ってたって考えてもいいよな。」

 翔が、ひらめいたとでも言わんばかりに言う。

 「レディ、予約メールとか残ってないかな。もしかしたら君が予約したかもしれないしさ。一度、帰ったらパソコンの方のアドレスも確認してみるといい。失踪に関してはダメでも、君の記憶を取り戻す手がかりにはなるかもしれないよ。」

 「・・・そうですね。」

 返事をしたものの、しかし春歌は今もう、自分の中の色々な何かがすり切れすぎてしまっていた。
 
 メールに関しては、別に宿云々を思い当ったからではないが、パソコンの方も当然見た。帰ってきたその日、携帯や手帳を確認した後にざっとチェックした。

 だが、残っていたのは仕事で割と重要度の高い、保存を希望したいメールだけで、親友の友千香らとやりとりした筈のメールや、取引先からであっても挨拶のみなどたわいない内容のものは、携帯と同じように削除されていた。

 その時、異様な不気味さを覚えたのだ。
 削除したら仕事に支障が出るメールだけ残っていた。その単純な事実に怯えたのだ。

 それは、春歌の仕事の内容がわかる者にしかし得ないやり方だ。自分は少なくとも、友達のメールをこまめに削除するようなタイプでは無い。だからやはり、誰かが、何かの目的を持ってしているとしか思えない。

 でも誰が。
 
 春歌の部屋のパソコンに、誰がそんな風に触れるというのだ。自分はそんなにしょっちゅうメールの整理をしなかった。一度もしなかったと言ってもいい。膨大な数のメールから、仕事に関するもので尚且つ重要度の高いメールだけを選り抜くなどと時間のかかる作業を、いつ、誰が。それが怖くて、あれからあまり考えないようにしていた。

 わからない事ばかりの日々。やっと見えたと思ったトキヤとの関係。なのに今日、自分は音也と、少なくとも単なる友達とは思えない画像の話を聞かされて。

 次々と見せられるカードは、すべて、自分の何にどのようにして繋がっているのかわからない。

 
 「聖川に、話を聞いてみるかい。あいつは今日、確か夕方には仕事が終わる筈だ。オレが連絡を取ってみようか。」

 「そう、ですね・・・。お願いします。どうして聖川様は、私が一ノ瀬さんとお付き合いしていたと言い切れるのかって・・・。それは、お聞きしたいです。」
 
 壁のガラス細工の中の自分の目と、目があった。
 その目だけは、丁度細工に掛からず歪まないまま、丸い形を保っていた。

 その場で聖川に電話をかけ始めたレンを見ながら、春歌は、発着信履歴はおろか、メールの受信ボックスも一切空にされていた携帯端末を握り締めた。
 

 

 

 

 

   

  To Be Continued・・・













 

pastiche 第7話

 









 pastiche
 第7話


 
 


 


 その日の夜、また春歌は同じ店に出向いた。

 真斗に会う為だった。
 レンが呼び出してくれたのだ。


 真斗はいつも真面目な顔をしているので、今も、呼び付けた春歌を不躾だと思っているのか、単に真剣な考えを巡らせているのか、春歌は判断しかねた。

 仕事の調子はどうか、傷はもう大丈夫か、などと世間話の隣の会話をし、暫し2人とも言葉が途切れる。

 先に口を開いたのは春歌だった。
 
 「神宮寺さんたちに聞きました。私が、一ノ瀬さんと付き合っていると、聖川さまはハッキリおっしゃったそうですね。」

 「ああ。」

 あっさりと認めた真斗に、春歌は意外さを覚えた。
 今まで皆、確証が持てないが状況的にそう思っている、という人物ばかりだったので、真斗がそう迷い無く告げたのが意外だったのだ。

 「お前が記憶喪失だというのは聞いている。何でも、まったく記憶が無いわけでは無く、一部分だけが抜け落ちてしまっている状態らしいな。」

 「はい。」

 「それでお前は、交際していた相手が誰かというのを忘れてしまっていて、色々聞いて回っているということか。・・・神宮寺のヤツは、お前が一十木と交際していたと言ったのだろう。」

 「はい。」

 「俺にはそれが不思議でならん。お前は、その・・・こういう表現はあれだが・・・二股をかけるような女ではない。」

 真斗の言葉に、春歌は目をぱちくりと瞬かせた。
 ここまではっきり言い切れる真斗が何を知っているのか、心が急いた。

 「俺は病院へ駆けつけた時も、お前に付き添っているのが一ノ瀬だったのを特に不思議には思わなかった。お前を最初に山中で発見したのが一ノ瀬だと言われても、当然だと思っていた。」

 まだ湯気の盛んなコーヒーに、真斗が口をつける。
 彼が頼んだホットコーヒーは、白い磁器のカップで提供された。
 
 春歌はここではいつも、仕切りになっている壁に嵌められたガラス細工に似たグラスに、自分の顔が歪んで映るのを見ながら相手の話を聞いていた。

 今、目の前のカップはクリアにつるりと白い。
 脆そうなガラス製品を見ていた目が、厚みのある磁気を見るようになっただけで、真斗が知っている何かはとても重要なのではないか。などと思えた。

 そして今日は、林檎やレンに会った時とは違う席で、真斗の後ろは普通の大きな窓になっている席だった。
 
 通りを歩く人の頭がチラチラ見える。今までこの店で見てきたのとは違う見通しの良さが、そのまま、抱えてる問題の風通しまで良くなるような気にさせてくれた。

 「聖川さまは、どうして私が一ノ瀬さんとおつきあいをしていたって、そんなに言い切れるんですか。」

 春歌の質問に、真斗は少し驚いたようだったが、それは春歌が想像した驚きではなかった。

 「俺の方こそ疑問だな。あれだけ愛し合っていたのに忘れてしまうとは・・・。余程頭を強く打ったとしか思えん。いや、真面目な話だ、やはり医者にもう一度、脳のCTでも取って貰った方が良いと思うぞ、心配だ。好いた相手との愛ある日々を忘れてしまうなど、お前が不憫すぎる。良ければその分野の名医をじいに探させ、俺が紹介しよう。」

 言い切れる何かがあるからこそ、春歌が覚えて無い事に対する驚き。
 益々目の前のカップの白い色が濃く目に入る中、真斗の心遣いにまず春歌は明るく礼を言った。そして、話の続きを促した。

 真斗は衒いもなく話す。

 「つい最近の事なのだがな。俺は、お前が一ノ瀬と、愛してるとお互い言いながら、その、なんだ、く、く・・・くちづけを、しているのを偶然見てしまったのだ。お前は泣いているようだった。一ノ瀬にしっかり抱きしめられて・・・。それほどまでに愛し合っていたのにその記憶を喪失してしまうとは、お前が不憫でならん・・・。」

 もしも頭の中に手が入るなら、まさに今のこの感覚だと春歌は思った。
 脳味噌を素手で鷲掴みにされた感触。がつんと自分の中枢を握られた気がした。

 真斗は嘘を吐くような男ではない。冗談を言って人を慌てさせるような男でも、断じてない。
 その男が、言う台詞。

 それはそのまま、真実に繋がると言ってもいい。
 昨夜の記憶の断片と、今の真斗の言葉。これだけでトキヤとの関係は揺るぎないと言える。真斗の実直な性格を知る誰もが、そう思うに違いない。それでも春歌は、思わず口にしていた。本当ですか、と。しかし真斗は表情一つ変えず言い切った。

 「記憶が無いのだから驚くのはわかる。だが俺は、この目でしっかりと見た。あの場所なら人目につかないと思ったのだろうが、悪いな、俺がしっかり通りかかってしまって。次からは気をつけた方がいい。どこで誰が見ているかわからない。」

 「なにを・・・」

 「ん?」

 「なにを・・・、その時に話していたのか覚えていますか。どうして私は、泣いていたんでしょうか。」

 春歌の質問に、聖川はやや間を空けた。

 「そう、だな・・・言われてみれば、泣いているようだとは思ったが、何を話しているかとか、どうして泣いていたのかはあまり考えていなかった。偶然目撃してしまって驚いていたのもあるが、とにかく、その・・・愛してるとか、好きだとか、言いあっていてな。俺はてっきり、恋人同士が想いを言葉にしている場面に遭遇したと思い込んでいたが・・・確かに…。」

 ふむ。と、真斗がひとりごちて頷く。

 「確かに言われてみれば、言葉だけ聞けば幸せそうなやりとりなのに、お前が泣いているというのは少し不自然だったかもしれないな。あの時は、うっかり見てしまった気まずさが先に来て、あまりその点については考えなかったが・・・。」

 泣いていた。
 愛の言葉を紡ぎながら、自分は泣いていたという。笑顔ではなく、泣いていたというのは、どうしてなのだろう。喧嘩をした後だったとか。

 「わからない・・・何がなんだか・・・。」

 春歌は思わず呟いた。
 真斗が、すまないと小さく言った。

 「記憶が一部抜け落ちてしまっているお前に、聞かせるべきではなかった。余計混乱させてしまったか。」

 「そんなことはありません!」

 春歌は慌てて、目を伏せる真斗を気遣った。

 「知らないばかりでは進みませんから、色々聞いているんです。今まではっきりした事は全然わからなかったんですけど、聖川さまが実際にご自分で見たってお話が聞けて、良かったです。」

 「ん? 神宮寺の奴もはっきりと、レディは一十木と付き合っているとそう言い切っていたぞ。その場に一緒に居た来栖も強く同調していた。そちらの方は詳細を聞いたら、信憑性が無かったのか?」

 「あ・・・。」

 春歌は、彼にそれを告げるべきかどうか迷った。
 
 レンたちはレンたちで、音也の保存していた画像を見ている。
 その画像だけで推し量られる内容に決定的なものは無いとはいえ、恋人同士若しくは少なくとも身体の関係が無ければ撮り得ないような画像を、見ているのだ。彼らも嘘を吐くような人間ではない。でも、だからこそ解らなくなる。

 春歌は迷った末、違った側面から質問をした。

 「聖川さまから見て、私と音也くんは、その、どういう関係に見えましたか?」

 
 
 その時、テーブルにすっと影が出来た。
 春歌も真斗も、同時に視線をその影のやってきた方に向けた。

 「相席をお願いしてもいいかな、レディ。」

 「神宮寺!」
 「神宮寺さん!」

 驚いて名を呼ぶ声に笑顔を返しながら、レンは春歌の隣に座った。

 「こんなつまらない男と差向かいで話してたら、息が詰まるだろう。大丈夫かい、退屈していないかい。」

 さらりと春歌の髪を撫で、水を運んで来たウエイトレスにコーヒーを注文する仕草までスマートだ。春歌はタジタジになり、真斗が少し苛ついた口調で、何をしにきたと問う。

 「ご挨拶だなぁお前は。レディの為を思って来たに決まっているだろう。思ったより早くレッスンが済んでね。打ち合わせにも予定より早く入れたんだよ。こんな俺でも、友人が失踪したなんて穏やかじゃない状況は、早く脱したいと思っているのさ。」

 口の端に笑みを浮かべて、レンが肩を竦めながら返事をする。今日のレッスンはキツかった、その後の打ち合わせは眠かったと、軽快な調子で話す。
 しかしその後、すぐに真剣な顔をした。

 「聖川の話はもう聞いたのかい。どうだった。君とイッチーは、本当に付き合ってると思える話だったかい。」

 「あ、え、ええ。その・・・とても、それを聞いたら、お付き合いをしてるに決まってると思えるお話でした・・・。」

 「ふぅん。そうか・・・じゃあやっぱり俺の見当違いかな。」

 「なんだ、何に見当をつけてきたと言うのだ。」

 真斗の、さっさと言えといわんばかりの催促に、長い脚を組み換え、レンは2人を交互に見遣る。そしてもう一度春歌を見て、言った。

 「レディ、昼間言ってたのは、どうなった。何か解ったかい。」

 春歌は力なく首を振った。
 宿の件については手掛かりだと思ったが、予約メールなどは残ってなかったと説明した。レンは、「そうか、残念だね。」と短く返事をし、自分の顎に手を添え思案しているような表情をした。

 「レディってさ、イッキになんて呼ばれてたっけ?」

 「え? え、あ、それは・・・。」

 春歌は口籠った。
 レンと真斗が、春歌を見る。レンは、表情を変えずに。真斗は、少し怪訝な顔で。

 「あ、れ・・・? どうでしょう・・・どうでしたっけ・・・。春か・・・ななみ。え・・・あれ・・・そう言われると、なんではっきりわかんないのか、な・・・?」

 春歌が言葉に詰まり、首を傾げていると、真斗が思い付いたように言った。

 「今、神宮寺に言われて気付いた。お前はさっきからずっと、音也くんと言っているな。俺達の前では、ずっと、一十木くんと言っていた筈だが。」

 言われて初めて気付いた。
 
 名前。
 呼び名。

 考えてみれば、トキヤに病院で春歌と呼ばれた時は驚いたのに、音也には、なんと呼ばれていたかすら思い出せない。覚えていない。そもそも、意識からそれが抜けていた。自分からは自然に、音也くんと言っていたのに。 

 レンのオーダーしたコーヒーが運ばれてきたのも、春歌は目に入らない。

 何かがせり上がる。
 大きくて音の無い波が突然遠くに姿を現し、ざわざわと蠢きながら、機を見て一気に立ち上がる準備をしているような感覚が身体中に拡がる。

 「オレも、さっき君と話していた時は流してしまったんだけど、打ち合わせをしながらふと思ったんだよね。学園時代から君が名前呼びをしていたのは、おチビちゃんだけだった筈なんだ。なのに君は、オレの記憶の中では一十木くんと呼んでいた呼び方とは違う、音也くん、という呼び方で話を進めていた。それが引っ掛かってるんだ。」

 今まで気付かなかったが、音也との記憶がどこで途切れているのか自分でもはっきり解らない。
 トキヤと買い物に出かけた時、荷物が多くなりすぎて、翔から 「助っ人が向かった」 という連絡の後、やってきたのが音也だった記憶はあるのだが、その時の音也と自分の関係性が良く思い出せない。

 少なくとも、その時点でトキヤに対してはある種の好意を持っていたと、記憶をなくしてからも思い出せた。

 なのに音也に関しては、これと言った言葉に出来る具体的な何かを記憶から探し出せない。何かがすぐ喉元までせり上がって来ているというのに。あともう少しで、何か、大事な何かを、掴めばそこから一気に引き出せる何かを掴めそうだというのに、届かない。

どうして音也に関する記憶だけ、こんなにも取り戻せない?


 「いっ・・・た・・・痛い・・・。」

 「え。レディ、どうした。」

 ぐるぐると音也の事を思い出そうとしているうちに、春歌は鈍い頭痛に見舞われた。身を屈める春歌に驚いたレンが、咄嗟に椅子から落ちないようにか二の腕を両方掴む。

 「すいません、考えてたら頭が痛くなってきちゃって・・・。」

 「七海、大丈夫か。」

 「レディ、しっかり。どうする、救急車でも呼んだ方がいいのかおい、聖川。」

 「落ち着け神宮寺。お前が動揺してどうする、大丈夫だ。しっかりしろ七海。いい、考えるな、考えなくていい、とりあえず今は、考えるのをやめるんだ。」

 「おいだけど・・・。」

 「何かで読んだことがある。記憶喪失の人間が無理に思い出そうとすると、考えすぎて頭痛がしてくると。テレビドラマのように大袈裟な痛みはしないらしいがな。健康な人間でも、頭を使い過ぎれば痛くなるのと変わらん。七海、とにかくジュースでも飲んで少しリラックスするんだ。」

 少しすると、落ち着いた。
 ほっと、息を吐く。

 「すみませんでした。なんかちょっと、頭ががんがんしてきちゃって・・・。」

 「いいんだ、オレがレディを困らせるような話をしてしまったから、悪かったね。」

 レンが、優しく髪を撫でて、春歌を労わる。
 その様子を見て、真斗がいつもの調子で小言を言い始めた。

 「神宮寺、だからお前はそうやって女性に気安く触るなと・・・。」

 だがすぐ、何かを見たような顔で、真斗が言葉を切った。

 「なんだよ、言い掛けてやめるな。文句があるなら言えよ。」

 「いや、その、覚えていないか、神宮寺。七海はこのところ、ずっと体調が良くないようだった。しょっちゅう座り込んだりして、今のお前がしたように、一ノ瀬が気遣っていて・・・一度、あざを作って打ち合わせに来た事があっただろう。」

 「・・・あった。あったな、そんなこと。ああ、覚えてる。」

 2人だけがわかっている話についていけず、春歌は黙ってそれを見守る。
 レンは、仕切りに頷いている。

 「そうだ、オレたちが企画ユニットで歌を出すって打ち合わせの時に、君、あざを作ってきたね。その後くらいからだよ、君がしょっちゅう気分が悪くなったりして、真っ青な顔で・・・よくイッチーが面倒を見てた。」

 春歌は目を見開いた。
 初耳だ。自分には覚えが無い。

 「俺が例の件を目撃したのは、一ノ瀬が気分の悪いお前を介抱するのを見てからだったのだ。だから特に疑問を持たなかった。ああ、そういう事なのかと思ったくらいだ。」

 例の件って一体なんだ、とレンが真斗に詰め寄り、真斗は春歌の許可を得て、自分が目撃した内容を告げた。レンが、まさか! と声をあげる。

 「バカな。ちょっと待てよ。じゃあオレとおチビちゃんが見た画像はなんだって言うんだ。・・・レディ、」

 レンの戸惑った目配せに、春歌は、大丈夫ですというように頷いた。それを請けて、レンも自分の見た物を真斗に話す。真斗はレンの話が進むにつれ、難しい表情になっていった。

 「信じ難いな・・・。そんな写真、かなりの間柄でなければ撮影できないではないか。大体あの時一十木は、七海の調子が悪くなっても、いつも一ノ瀬に任せていたではないか。俺たちと一緒に遠巻きに心配していただけだぞ。」

 「事務所は恋愛禁止だからね。実際付き合っていたからこそバレるのを恐れて、人前でおおっぴらに心配出来なかったという考え方もある。オレは聖川とは逆で、レディはイッキと付き合っていると思い込んでいたから、イッキはバレたくなくてわざとレディを介抱しないんだと思ってた。」

 レンのオーダーしたコーヒーは、すっかり湯気がおさまっている。
 暫く、3人共黙った。

 
 春歌は、レンと真斗が色々と話をするのを、どこか他人事のように聞いていた。

 真斗の見た物。レンの見た物。どちらも間違いないものに思える。
 そして思い出せないが、なぜか体調が悪く、あざを作ってきた日もあったという自分自身。それを介抱するトキヤ。見ているだけの、音也。

 「・・・企画ユニットの事は覚えています。作った曲も、皆さんと打ち合わせをした記憶もあります。」

 春歌は絞り出すように言った。

 「でも、私は打ち合わせや練習の時に、気分が悪くなったんですか。覚えていません。そんなのは全然記憶にないんです。思い出せるのは、曲を作ってる自分の姿とか、意見を出し合ってる翔くんや聖川様のお顔や、あと、何度かあったレッスンに一度だけ、渋滞に巻き込まれて遅刻してきた神宮寺さんの焦った顔や・・・。」

 音也との記憶だけ、紗がかかる。
 トキヤとの記憶の方がまだ、他の面子に比べ部分部分で朧な気がするだけで、鮮明だ。

 「一ノ瀬さんは、喋ってました。打ち合わせで、喋ってた姿がちゃんと思い出せます。自分のパートはこうしたいとか、ダンスはこんな感じでとか、色々熱心に希望を皆さんに伝えていて。」

 真斗とレンの視線が、春歌をまっすぐ見ている。

 「だけど・・・だけど、音也くんの記憶が、ありません・・・。打ち合わせで何を話たのか・・・。荷物を持ちに来てくれた時も、来てくれたのは覚えているのに、音也くんがその時どんな顔をしてたのか、何を喋ったのか、そこから、まったく・・・。」

 「荷物?」

 レンが聞く。
 春歌は、誕生日会のことを話した。

 「ああ、あったねそんなこと。」

 「あれは一十木が、自分から手伝いに行くと言い出したのだ。2人じゃ持てない量だと言い出して、それもそうだと皆も同意して・・・そうだ、あの時一十木は、翔がメールしてよ、と、しつこく来栖に頼んでいた。」

 「なんだそれ?」

 レンが真斗を見る。

 「いや、俺も煮物の真っ最中だったのでよく聞いてなかったのだが、とにかく来栖に、「お願いだから翔がメールしてよ。」としつこく頼み込んでいたんだ。オウムのように繰り返し言い続けているのが少々うざったかったので覚えている。おれがメールしても読んでもらえないから~、とか言っていて・・・今考えると、何か妙だな。なぜ一十木からのメールを、七海が無視するのだろうな。」

 「翔くんからメールが来たことは覚えています。」

 「そんな細かいコトまで覚えてるのに、イッキとの記憶だけまったく無いなんて、不思議だね。・・・よっぽど何か辛い目にでも遭ったの。まさかイッキにストーカーされてたとか。」

 「神宮寺。貴様にはデリカシーというものが無いのか。今の発言は、七海に対しても一十木に対しても失礼だろう。」

 「だけど、レディみたいな一部だけの記憶喪失っていうのは、ショックとかそういうのが引き金になってるって聞いたぜ。だったら、可能性はあるだろう。」

 「まあ、そうだが・・・。」

 
 呼び名。

 真斗の目撃。レンと翔の目撃。

 体調の優れない自分。

 介抱してくれるトキヤ。そうではない音也。
 
 あの時荷物持ちの手伝いに来たのは、音也の自薦だった。そして、連絡を翔に頼み込んだという音也。自分が連絡をしても無視されるからという理由。


 (・・・私は、何を忘れているの。)

 
 春歌は窓の外を見た。
 
 暗いばかりのその色は、きっと自分が倒れていたという山の中と同じ色なのだろうと思った。外堀だけは埋められそうなのに、肝心の内郭にまったく近づけない。そんな感覚に囚われていた。










 
  To Be Continued・・・









 次回第8話は、10月29日頃までに更新予定です。




 

 

 
 
 
 

 

 

 



 

pastiche 第8話

 

 

 
pastiche
 第8話






 


 トキヤからのメールは、有無を言わせないものだった。

 「14時。私の部屋で。」

 たったこれこれだけを送信されたら、何があるのだろうと思い向かわざるをえない。
 今の春歌には知りたい事が山ほどあるし、その山ほどは、誰がどんな情報として持っているかの区別もつかないのだ。つくづくトキヤは頭がいいと、春歌は約束の時間にトキヤの部屋へ赴いた。

 自分の恋人は、本当は音也だったかもしれない可能性。
 それがある以上、本当は2人きりにならない方がいいと思っていても、それでも、トキヤが嘘をついているようにも見えなかった。

 途中で何か買って行こうと思い、通りのコンビニに入りながら電話をする。

 「はい。」

 「あ、私です。あの、今すぐ近くのロートンに居るんですけど、お水とか、牛乳とか、ほしいものがあればと・・・。」

 「・・・コンビニですか・・・赤いラベルのミネラルウォーター、そこに売ってますか?」

 やり取りしながらトキヤの希望の商品を見つけ出し、レジへ向かう。

 「部屋の鍵は開けておきますから。一階の暗証番号は教えた通りですし、勝手に入って来て下さって結構ですよ。」

 そう言われても、自分はトキヤの部屋の玄関でまごつくだろうと予想しながら、春歌はマンションのエントランスをくぐった。
 そしてやはり、玄関でもう一度チャイムを押し、トキヤがドアを開けてくれるのを待ってしまった。

 「そういう性格ですよね、君は。」

 トキヤは微笑んで部屋へ通してくれた。
 春歌も苦笑して、買ってきたミネラルウォーターを、コンビニの袋ごと手渡す。

 通されたリビングのソファに座る。

 「そう言えば、さっき私が折り返しすぐに電話したの、気付かなかったんですか。」

 トキヤがキッチンから声を掛ける。

 「えっ! そうなんですか!」

 「ええ、切ってすぐに、やっぱり違う水にしようかとすぐ電話したんですけど・・・。」

 春歌は携帯電話を取り出し、履歴を確認する。
 トキヤからの着信履歴は表示されない。

 「あれ? でも、残って無いです。一ノ瀬さんからの着信は。」

 「おかしいですねえ。ちょっと見せてください。」

 「あ、はい。あの、私の発信履歴はありますけど、一ノ瀬さんからの着信は残ってないんです。まさか、違う誰かに電話しちゃったんでしょうか。あ、でも一ノ瀬さんがそんな間違いしませんよね。」

 ふむ・・・と言いながら春歌の携帯電話を暫く操作していたトキヤは、まあよく判りませんが、私がかけ間違えたのでしょうか。などと言いながら、そのまま端末をテーブルに置いた。



 


 昨日。
 昼間レンたちと別れ、急いで部屋に戻った春歌は、手帳にあった数字をインターネットの検索画面に叩き込んだ。

 「・・・ペンション・・・。」

 ヒットした検索結果を見て、春歌は息を飲んだ。

 それは、ペンションの電話番号だった。
 心臓が動くその振動が目の前に見えるかのように、どくどくと脈打つ感触を強烈に感じながら、春歌はPC画面をそのままにし、携帯電話に番号を入力した。

 「はい。ペンション風の音です。」

 明るい女性の声がした。

 営業している。
 春歌の心臓がまたどくんと跳ねた。

 「あ、あの。」

 口のすぐ下が心臓かというほどの緊張。
 必死に震える声を宥めながら、春歌は言った。

 「つかぬ事をお伺いしますけど、そちらは、羽山のお近く、ですか・・・?」

 「ええまあ・・・まあそうですね、はい。」

 明るさをあまり崩さず、はきはきとした対応がなされた。
 
 場所的にも、ヒットした。
 自分が倒れていたという山。その近くのペンション。きっと此処に予約を取っていたに違いない。
 
 心臓がまたどくんと大きく動く。

 「あの、先月の20日なんですけど、一ノ瀬か、一十木、という名前で、予約が入っていませんでしたでしょうか。」

 いきなりこんな事を聞いて、おかしな女だと思われないだろうか。
 もし予約が入ってたとしても、電話を掛けている自分が不審者だと思われて、正確に教えて貰えないのではないだろうか。どくどくと脈打つ心臓の音がまた大きくなる。

 「20日ですか・・・あの、どういう・・・。」

 相手の女性の声のトーンが少し下がった。
 訝しがっているのがわかる。春歌は少し慌てて返事をした。

 「いえあの、その、人を、人を探しているんです。その人が最後に居たのが羽山の近くなんです。だから、もしかしてそちらに予約とか入ってたら、って思って。」

 すると、相手は多少安心したようで、ほっと短い息を吐いていた。

 「そうですか・・・それは大変ですね・・・えっと、いちのせ、ですよね・・・。」

 パラパラと紙の音がする。台帳でも調べてくれているのだろか。

 「はい、一ノ瀬か、一十木で、予約はないでしょうか。」

 「20日にはありませんねえ・・・というか、その前後にもそういうお名前では・・・。」

 「そう、ですか・・・。あ、あの七海で、予約入ってませんか。」

 「ななみ、ですか・・・うーん、申し訳ないんですけど、そういうお名前の方のご予約は頂いて無いですねえ。・・・あのぉ・・・。」

 電話口の女性が、少し黙った。何かを考えてるような間があった。

 「? はい?」

 「・・・いえ、申し訳ございません。すいません、今お伺いしたお名前では、予約は入ってないんですけど・・・。」

 気を取り直したように、明るくはきはきと応対され、春歌もそれ以上何も質問も浮かばなかった。
 
 「そうですか・・・すいません、ありがとうございました。」

 電話を切る頃には、心臓が大きくなった錯覚は収まっていた。

 しかし、手帳にあった数字の羅列が、このペンションの電話番号だという事は判明した。予約は入って無かったが、やはりあの山には何かある。何があるのか。自分はあの山に、何を置いてきたのか。

 レンと真斗には、このペンションのことは言えなかった。
 確実な何かが無いせいもあるし、まだ言うべきではないような気がしたからだ。


 

  

 そして。
 今、トキヤにこれを言うべきかどうか、春歌は迷っていた。多分だが、非常に高い可能性でトキヤと自分が恋人同士だったのは事実だろうと考えられる。真斗の話、チラついた自分の記憶。証拠は充分だ。

 だが、どうしても音也の存在が振り切れない。
 根拠はないが、自分でもどうにも音也のことが気になる。見舞いに来てくれていなかった時から、どうしてかこんなに彼に拘る気持ちが拭えない。音也とただならぬ仲だった可能性も低くない今、どうしても自分の記憶喪失と音也の失踪が、無関係だとは思えないのだ。

 やはりあの山に、何か用事があったからこそあのペンションの電話番号などを手帳に書いたに違いない。音也とトキヤの2人が、そして深夜には自分もあの土地に揃っていたあの日に何があったのか。それが知りたい。

 

 目の前では、トキヤが出してくれたジュースがシュワシュワと泡を軽くたたえていた。

 「それ、頂きものでしてね。炭酸入りのミックスジュースなんですよ。珍しいですから、どうぞ。」

 「ありがとうございます。」

 昨日の件は言うべきだろうか。
 迷いながら、出されたジュースを飲む。しかしどう言おう。ずばり切り込んで、風の音というペンションを知ってますか。などと聞けばいいのだろうか。

 「美味しいですか。」

 「あ、はい、そうですね、美味しいです。」

 「そうですか、それは良かった。痺れ薬が入っていますから、すぐ動けなくなりますよ。」

 物騒すぎる台詞に春歌が固まった。
 がしっと腕を掴まれて、床に引き下ろされる。

 「なっ、な・・・!」

 「大人しくして下さい。腕の骨を折りますよ。」

 「!」

 咄嗟に身体が静止した。
 トキヤは無表情で、何を考えてるのかは伺い知れない。力が込められた腕は離されないままだ。ぞおっという轟音が、自分の体内を冷たい火柱で焼きながら貫き走り抜ける。

 知っている。
 私はこの感覚を知っている。

 春歌の脳裏に体中の細胞が訴えかける。私は、この恐怖を知っている、と。これは記憶なのか、それともトラウマなのか。

 目の前の唇が動く。

 「レンに、聖川さんに、何を吹き込まれたんです。」

 「ひ・・・。」

 冷たい目が眼前に来て、春歌は身を竦めた。

 「な、なんで、それを・・・。」

 「そんなに不思議ではないでしょう。聖川さんと昨日事務所で偶然会って、これから仕事ですかと何気なく聞いたら、レンから連絡があって、夜は七海と約束をしたのだ。と聞いたので。それだけです。私は超能力者ではありませんよ。」

 くだらないと言わんばかりに返答される。まだ腕は掴まれたままだ。


 「私との関係は喋ったんですか。」

 「いいえ、いいえ!」

 必死に首を横に振る。
 歯が鳴りそうなのを耐える。

 「では、音也が行方が分からないという以外に、音也に関して何を教えて貰ったんです。言って下さい。」

 春歌は一瞬、目を伏せてしまった。
 行方が分からない以外の音也の情報を手にしていると、誰の目から見ても明らかな動作をトキヤに見せてしまったのだ。トキヤは目を眇めて、まだ腕を離さないまま言った。

 「正直に話して下さい。何を言われたんです。」

 「な、にも。」

 精一杯の声を振り絞る。泣かないようにするには、短く返答するだけでぎりぎりだった。

 「なにも? 何も言われてないと。では、どんな用事で君が、あんなペンションに電話をかけたりしたんですか。」

 ぎくりとした。
 どうしてトキヤにそれがわかるのだ。どこで見られていたというのだ。怯えた目で自分を凝視する春歌に、トキヤが思わず笑う。

 「盗聴や盗撮でもされてるかと思いましたか。ふ、馬鹿らしい。今、君の携帯を目の前で、私が見たじゃありませんか。」

 「あ・・・。」

 「一昨日のセックスでは満足できませんでしたか。存外、君は見た目と違い随分な淫乱らしい。あれよりもっと理性を失くすくらい攻め立てないと、大人しくしてくれないのですか。」

 トキヤの手が、するりと腰を撫でた。
 春歌ははっとして、大きな声をあげる。

 「な、なんで! 」

 その声で、トキヤが春歌を一瞥する。

 「どうしてですか! なんで一ノ瀬さんが、あの電話番号がペンションの番号だって判るんですか!」

 「・・・。」

 トキヤが不機嫌そうに春歌を見た。

 「あの番号は、私の手帳に書いてあったんです。しかも私は最初、電話番号かどうかも判らなかった。どうして一ノ瀬さんは、履歴の番号を見ただけで、あれがペンションの番号だって判ったんですか! 何を隠してるんです、どうして何も教えてくれないんですか! 知っているのに教えてくれないなんて、卑怯です!」

 トキヤは暫く動かなかった。
 春歌は短い呼吸を繰り返した。緊張していた。声を張り上げトキヤを非難した自分に。そして、それに対し黙っているトキヤに。

 トキヤが、肩を下げた。
 力が抜けたのが伝わる。

 「君は、私との関係を思い出してくれたと思っていました。」

 立ち尽くしたまま、トキヤが言う。
 春歌はこたえた。

 「思い出しました。一ノ瀬さんと、その、ああいうことをして、私、思い出しました。前も一ノ瀬さんと、こういう事をしたことがある。って・・・。」

 弾かれたようにトキヤが春歌を見た。
 春歌はそんな彼を見つめ返した。

 「一ノ瀬さんが言うように、私たちは恋人同士だったと思います。それは私も信じられるようになりました。でも、おかしいんです。音也くんとの関係がまったく思い出せないなんて、おかしいんです。だって私は、音也くんを、いつから音也くんと呼んでいたのか覚えてないんです。」

 トキヤの目がゆっくりと、見開かれた。

 「一ノ瀬さんと買い物に出かけた時、私は一ノ瀬さんを好きでした。友達としてじゃなく、好きって気持ちになってたんです。その記憶があるのに、その時手伝いに来てくれた音也くんをどう思っていたのかとか、全然覚えていないんです。こんなのおかしい。それに・・・。」

 言い淀んだが、春歌は意を決して告げた。

 「音也くんの携帯に、私の画像があったのを見た人がいるんです。・・・裸で寝ている私の、画像を。」

 それを聞いた瞬間のトキヤの表情は、今まで春歌が生きてきた中で、一度も、誰からも、見せられた事のない表情だった。

 ゆっくりと、春歌から体を離したトキヤがテーブルに崩れた。

 「一ノ瀬さん!」

 思わず駆け寄った春歌に支えられたトキヤが呻く。
 春歌はトキヤを支えながら、自分の体に変化が無い事に気づく。

 「大丈夫ですか一ノ瀬さん。あ・・・あれ、私、動けます、よ・・・?」

 さっきトキヤに痺れ薬などと言われビクビクしていたが、体はいつもと何ら変わりない。トキヤは崩れ落ちたまま、ああ、あれは冗談ですよと言った。

 「冗談? どうしてですか。どうしてそんな冗談・・・。」

 「君があんまり大人しくしていてくれないから、少し脅そうと思って・・・でも・・・もう遅いのかもしれません。」

 「遅い? 遅いってなんですか。何が遅いんですか。」

 春歌がそう尋ねると、トキヤが突然がしっと春歌の腕を掴んだ。
 一瞬、ほんの一瞬だけ何かの躊躇いを見せたトキヤだったが、春歌の顔をしっかりと見て、ニッコリ笑うと、明るい声でこう言った。

 
 「このまま腕の骨を折っちゃったら、君は、どこにも行けなくなるよね。」


 「――――――――っ」

 
 それは、トキヤの台詞ではなかった。
 トキヤの口から流れる言葉はただの模倣だ。

 その時、春歌の頭の中で、ぱんっ! と軽快に何かが弾けた。レンたちに話を聞き、真斗に話を聞いてずっと持っていた、奥歯に物が挟まった感覚に似たもどかしさが、その台詞を聞いた瞬間に勢いよく弾け飛んだのだ。

 目の前のトキヤを凝視する。
 トキヤの演技を通して、以前その台詞を自分に突き付けた ”彼” を凝視する。

 「お、と、や、く・・・ん。」
 
 春歌の呆然とした呟きを聞いたトキヤは、沈みそうな絶望を受け入れるかのように、惨憺な顔で目を閉じた。





 
 

  

  To Be Continued・・・







   

  次回 第9話は、11/6頃更新予定です










 

pastiche 第9話

 



 
 
 pastiche 
  第9話



 
 

 


 音也とはうまくいっていた。
 彼の明るさが好きだった。彼の純粋なまっすぐさが好きだった。子供みたいな笑顔で甘える彼を、春歌は受け入れ過ごしていた。

 そこに亀裂が入ったのがいつ頃だったのかは、正確には覚えていない。
 理由なんて無かった。

 2人の関係が終わった。という事実に明確な理由が存在する恋人同士が、世の中にどれだけ存在するのだろう。少なくとも春歌と音也も、結局何に負けてしまったのかを言葉に出来ない。負けたという言い回しが正解なのかどうかも不明だ。時の流れに抗わず乗っただけのような気もする。
 
 音也以外にも先輩たち数人やユニット曲、トキヤ個人の曲を並行して担当していた春歌にとって、仕事をする上でトキヤと2人で会うのは日常になっていたし、彼については尊敬していた。努力家で、真面目で勉強家の彼のアドバイスはかなり的確だったし、仕事に真摯な姿勢に見習うべき部分は多かった。

 音也との交際は安定していた。
 決して、音也とトキヤを比べていたつもりもない。

 それがいけなかったのか。安定が、風の入る隙間を生むのか。
 誰か一人と決めたら、余所見の可能性すら排除すべきなのか。

 だがそうでなくても、結局は同じだったのかもしれない。音也と些細な喧嘩をした翌日、打ち合わせに現れたトキヤがいつも通りクールで、一種冷酷な彼だったら違ったのかもしれない。

 トキヤがその時、いつも通りの彼で通さなかったのは、要は恋が自分本位な感情だからだ。

 沈む春歌に理由を尋ね、音也との喧嘩を聞き出したトキヤが春歌を優しく慰めたのは、トキヤも結局はずっと春歌が好きだったからだ。それを、優しさという世間体を纏った下心だったと言われても仕方がない。無意識に、付け入る隙を狙った行動だったともいえる。

 「君が音也とそういう関係だというのには、なんとなく気付いていました。でも、仕事に持ち込まない努力が足りませんね。そんなゲッソリした顔で打ち合わせに来るなんて、外部クライアントだったら失礼極まりない。」

 「すみません・・・気をつけます。」

 「私になら、構いませんよ。」

 「は?」

 「外部クライアントには決して失礼があってはなりませんが、私になら構いませんと言ったのです。・・・君を泣かせるような男から、本当は、引き離してしまいたい。」

 そんなやりとりから始まった、相談という形を取ったトキヤとの逢瀬が、いつしか春歌をほっとさせる時間に変わっていったのはすぐだった。

 

 

 「私だったらそんな回答しませんね。少なくとも、一度ピアノから離れて気分転換した方がいいとアドバイスします。音也は少し、思慮に欠けている部分がある。」

 「音也くんも多分、気を遣ってくれたんだと思うのですが・・・。」

 「優しいですね、そんな風に受け取るなど・・・。しかし、君はどうも自分を過少評価し過ぎますね。この前も、月宮先生が貸してくれた上着を似合わないなどと謙遜していましたが、ああいうデザインも、とても似合っていましたよ。・・・その、可愛らしくて、よかったです、とても。」

 「一ノ瀬さん・・・。」

 その時きゅっと握られた手を、少しだけ幸せだと思った。
 でもまだこの時は、音也との関係は変わることがないと考えてもいた。


 

 
 「ねえ、どうして最近会えないの? トキヤや嶺ちゃんとは、会ってるんでしょ。どうしておれには会ってくれないの。」

 「それは、一ノ瀬さんや寿先輩は、お仕事でどうしても打ち合わせすることがあるからです。すみません。」

 「ふぅーん・・・。」

 音也に、納得し切っていない目を向けられるのに耐えられなくなってきたのは、いつだっただろう。スタジオで偶然会って隅に引っ張られて交わした小声の会話すら、春歌には苦痛になってきていた。

 私は、音也くんを騙しているかもしれない。
 だけど別れるとか、そんな話は切り出せない。まだ今なら戻れる気もする。私と一ノ瀬さんの間に、確たるものは何もない。一ノ瀬さんとの間には、まだ何もない。このまま何もないかもしれない。まだ、今なら引き返せる距離だ。誰かに関係を問われても、私と一ノ瀬さんは 「友達」 と言える距離なのだ。

 そんな言い訳じみた理由が既に、音也から気持ちが離れているが故なのだと、その時の春歌には判らなかったのだ。


 
 

 「今日、この撮影の後、会えませんか。」

 「はい、大丈夫です。」

 「よかった・・・。あまり人目に触れたくありません。私の部屋で、いいですか。」

 「はい。」

 「では、鍵をお渡ししておきます。入るところを人に見られないように気をつけて。人が来ても応対してはいけませんよ。私が帰ったら必ずモニターで確認してから、鍵を開けてくださいね。」

 それは、いつからだろう。
 会う約束を取り付けて、最初は一緒に部屋へ。

 だがそれは2度3度で、同じ時間に一緒には帰れない日も会いたくて、約束の度にトキヤの部屋の鍵を受け渡して。
 そして、その鍵を春歌がそのまま持ったままになったのは、それからあっという間だった。

 

 音也は春歌の心変わりが、トキヤと仲を深めているからと迄は、その頃はまだ気付いていないようだったが、確実に自分への愛が薄れていると怯え、荒れるようになった。

 「ねえ、なんで最近すぐ帰るの? 泊まっていけばいいだろ。まだ一緒にご飯も食べてないのに帰るなんて、なんで?」

 「あの、すみません、曲作りがおしていて・・・。」

 「何回トキヤと打ち合わせすれば終わるんだよ! おれよりトキヤの方が大事だっていうの!?」

 最初はイライラした様子で壁を殴る程度だったが、それがテーブルにある食器をなぎ倒すようになり、とうとう自発的に会いに来なくなった春歌の部屋へ押し掛け、強姦紛いなセックスを強要するようになった。




 「お願い音也くん、・・・もう離して、お願い・・・。」

 ベッドに繋がれた腕はきつく縛りあげられ、音也の乱暴な挿入に必死で耐えた為、声は掠れていた。
 腹の上に出された体液はそのままにされ、音也はさっさと自分だけ水を飲み、春歌を見降ろす。

 「キャア!」

 コップの水が、頭の上から降ってきた。
 睫毛までびっしょり濡れ落ちる雫のせいで、視界が霞む。冷たい水が顔から首から熱を奪う。

 「離せって、なに。おれから逃げるって意味なの?」

 「ちが・・・痛いの、腕が痛いの・・・。」

 「そんなに痛くないだろ。そんなことより、今日のあれはなんだよ。トキヤのヤツ、まるで自分の彼女だ。くらいの顔で介抱して・・・くそっ!」

 「ひ!」

 音也が床に叩きつけたコップは、派手な音を立てこそしたが、ステンレス製だったので割れはしなかった。しかし振り下ろされた腕の風圧と相まって、春歌を脅かすには十分だった。怯えて身を縮める春歌の顔を掴み、音也が自分の性器を突き付ける。

 「舐めてよ。きれいにするんだ、ほらっ。」 

 「ぅっ・・・。」

 涙なのか、掛けられた水なのか区別がつかない。
 腹に出された精液がそのままの、惨めさ。

 どんどん暴力的になる音也から逃げられなかった。
 それは恐ろしかったという他にも理由があった。

 ある日、音也から携帯に送られてきたメールに記載されていたURLとパスワード。
 不安に思いながらもリンク先へ飛んだ春歌は、指定された枠にパスワードを入力し、そして、表示された画面に目を疑った。

 画質は酷く荒く、小さくしか写っていないが、それは自分と音也のセックスを収めた動画だった。いつ撮られていたのか全く気付かなかった。だが春歌が音也を避け始めて、無理矢理組み伏せられるようになってからの映像だとは判断できた。頭が真っ白になっていた春歌は、けたたましく鳴る玄関のチャイムに肩を跳ね上がらせて驚いた。

 「開けてよ、おれだよ。」

 「音也くん・・・!」

 急いでドアを開けた春歌が見たのは、携帯電話を片手に微笑み立っている音也の姿だった。
 顔面蒼白でドアを開けたまま立ち尽くしている春歌を尻目に、ズカズカと部屋に入り込みながら、音也が普段の調子で喋る。

 「メール見た? 撮られてるの気付いてなかったでしょ。ケータイにしては、それなりに撮れるもんなんだよね~。おれもアイドルだから画像処理はしてあるけど、君は流石におれたちだもん、わかるよね。」

 「何を言って・・・どうしてこんなことしたんですか! あれ、誰か他の人も見られるんですか? 消して下さい、今すぐ! 音也くんはアイドルです、あんな、あんな画像を見られたらっ・・・!」

 自分に掴みかかる春歌を見て、音也は一瞬驚いた顔をした後、ぷっと吹き出した。

 「な・・・何がおかしいんですか!」

 「ははっ、何それ。自分の心配じゃなくておれの心配? 普通自分の心配するでしょ、こんな画像ネットに流されたって判ったら。」

 「そ、そうですけど、でもっ! 音也くんは今ユニットで大事な時で・・・!」

 「・・・ユニット・・・ああ、そうか。」

 瞬く間に消えた笑顔で、春歌は一歩後ずさる。

 「そっか、なんだ。おれの心配じゃなくて、一緒にユニット組むアイツの人気に影響するって心配なんだ。なんだ、おれの心配じゃないんだ。そっかー・・・。」

 「おとやく・・・きゃあ!」

 ぎりっ。と。
 音也が春歌の腕を捻りあげた。

 「やめ、痛い、やめて音也くん! 痛いぃ!」

 「痛くしてるからね。ねえ、言っておくけど、絶対君をトキヤなんかに渡さないから。おれから逃げたら、この画像、もっと拡散させるよ。今は会員制のサイトに置いただけで、しかも限定公開だから、おれと君以外は見られないようになってるけど、限定なんてすぐ外せる。」

 「な・・・!」

 「動画じゃなくても、画像は他にもたくさんあるんだ。君のヌードとかね。トキヤもそんな画像見たら、君になんか興味なくなると思うよ。おれが散々好きにした体で、今更他の男に受け入れてもらおうなんて甘いよ。」

 「おとやくん・・・どうして・・・。」

 「どうして?」

 音也の冷たい視線が、春歌を射抜く。

 「なんだよ・・・なんで、なんでだよ・・・なんで、なんでなんでどうしてだよ! なんでわかんないんだよ! おれは君が好きなんだよ!」

 音也の恫喝が響く。

 「おれは君以外考えられない。君がおれ以外を選ぶなんて許せない、絶対認められない。君はおれのものなのに!」

 「痛い・・・っ! やめて!」

 ますます強くなった腕を掴む力に、春歌は悲鳴をあげた。
 だが音也は、春歌を真っすぐに見つめ、甘い声で明るく言った。

 「このまま腕の骨を折っちゃったら、君はどこにも行けなくなるよね。腕だけじゃ言うこときかないなら、足の骨も折っちゃえばいい。そしたら、おれから逃げらんない。ずっと、おれの傍に居てくれるんだから。」

 凄まじい勢いで背骨を走った悪寒で、春歌は凍りついた。
 
 音也は、トキヤとのことを気付いて言っているのか。それとも、ただ春歌の心が冷めたのを責める為に、怒りを向ける対象を仲間内から適当に絞り込んでいるだけだろうか。証拠は無くても、春歌相手に喚き自分の鬱憤を晴らす人柱として、トキヤの名前を出しているだけなのだろうか。

 後者ならまだいい。証拠がなくて、春歌の心変わりを責めたいだけなら、トキヤは単に痴話喧嘩の際の餌にされているだけだ。その時間にのみ名前を出されるだけだ。

 でももし音也が気付いているなら。
 自分とトキヤの仲を察知し、既に証拠をある程度抑えた上で言っているのならば・・・。

 今の音也は、常識や良識を持ち合わせていない。トキヤのアイドルとしての価値が決定的に下がる何かを平気でするかもしれない。トキヤにだけは迷惑を掛けられない。知られたくない。音也から、トキヤを護らなければ―――――。



 

 
 「一ノ瀬さん、困ります、こんな場所・・・。」

 「ここは大丈夫ですよ。こんな場所に滅多に人は来ない。そんなことより、私の気持ちはたった一言だけで終わらせられる程、簡単ではありません。私は今夜から、半月も映画のロケで東京をあけなければなりません。海外で身動きが取れない。今しか話せないのに、人目など気にしていられない。」

 明日13時、R局で。
 
 ゆうべ、一言だけ送信した春歌は、真斗や翔が共演する番組の打ち合わせで来ていたテレビ局で、その仕事に関わりがないのに呼び出したトキヤに、もう会えません。と小声で告げた。

 トキヤは顔色を変えず、局のカフェから春歌を引っ張り、人気のない倉庫まで連れてきた。

 「私が、何かしましたか。何か君の気の障ることでも。」

 「いいえ! 一ノ瀬さんは何にも悪くありません・・・何も・・・私が、全部・・・。」

 こんな場面で泣くのは卑怯だ。
 そう思うのに涙が止められない。だってどうして。自分はトキヤが好きだともうハッキリ認識してしまったのに、どうしてそれが許されないのか。

 音也はあんな真似をするような人間ではなかった。
 彼を狂わせたのが自分の心変わりのせいだというなら、このままトキヤと幸せになる道は選べない。

 「私は君を愛してるんです。何があったんです。話してください。君を一人で泣かせたりしない。」

 「一ノ瀬さん・・・私も、私も愛しています・・・私もあなたが好き・・・!」

 「愛してます、春歌。だから、だから、どうかずっと傍に居て。」

 「無理、です・・・できないんです・・・。」

 涙で言葉がハッキリと発せられない。

 「私を好きで居てくれてるんですよね、愛してくれているんですよね。」

 「好きです。大好きです。でも。で、」

 唇を塞がれて、でも、という逆接続詞が途切れる。

 「春歌、言って。私が君を護りますから。何があったんです、言って下さい、全部。愛してます、何があっても君を愛しています。私のこの気持ちは、何があっても変わったりしない・・・!」


 まさかあれを真斗に見られていたなど、春歌は元よりトキヤも思いもしなかっただろう。
 目撃したのが真斗以外でなかったのはせめてもの救いか。そして記憶を失った身にとっては、見られていたのは幸いだったといえる。彼の目撃談は、春歌の記憶の色々な場所を揺さぶってくれた。




 「トキヤにはっきり言ってきた?」

 音也は春歌の部屋で、ソファにだらりと座って、春歌の帰りを待ち構えていた。
 トキヤの態度には迷惑している。二度と喋りかけないでほしいとはっきり伝えてくるからと言うと、音也はどこか不機嫌そうにしながらも、捻りあげた腕を解放してくれたのだった。

 「・・・はい、はっきり伝えました。」

 「証拠は?」

 「証拠なんて、そんな・・・。」

 「じゃあ信じられないだろ!」

 怒鳴る音也に床に叩きつけられて、春歌は眩暈を起こした。
 そんな春歌を掴み起こし、片方の腕をベッドの足に縛り付けると口に手近なタオルを押し込み、音也はそのまま何日も春歌を犯し嬲った。鳴り続ける携帯電話を無視し、仕事どころじゃないんだよとブツブツ言いながら春歌を甚振る音也に、昔の面影は無かった。

 数日経って春歌は観念し、感情を殺して音也に接した。愛してるとすり寄り、自分から脚を広げて強請って見せた。
 最初は突然態度を変えた春歌を訝しく思ったのか、散々な事をされた。

 「そうやっておれを騙して、隙を見てトキヤのところへ逃げる気なの?」

 「違います。やっぱり私は、音也くんの方が好きなんです。信じて下さい。一ノ瀬さんとは何も無かったです。でも、音也くんに誤解されたくないから、もう2度と会いません、本当です。」

 心が、無機質にぱりん、ぱりん。と、音を立てて割れて行くようだった。
 暴力を振るわれない為、トキヤを護る為、なんとか今のこの監禁から逃れる為であっても、自分の本当の気持ちと180度違う内容を言葉に出す絶望感は、あまりに耐え難かった。

 「・・・へぇ?」

 音也の嫌疑の目が痛かった。

 「おれを本当に愛してる?」

 「はい。」

 「ふぅん。じゃぁそこへ跪いて、おれの足、舐めてみせなよ。」

 次から次へと打ちつけられる屈辱。絶望。
 
 しかし今ここで逆らったら、昨日からずっと、心臓が剥がれ落ちるかと思う痛みに耐えて、音也を愛してるなどと、心と真逆の言葉を絞り出して来た努力が無駄になってしまう。春歌は自分にそう言い聞かせ、泣きながら音也のつま先にキスをした。

  

 2週間もすると飽きたのか。春歌が音也の要求通りにどんな卑猥な命令にも応えたせいか、音也の猜疑心が多少薄れたようだった。以前と全く同じ調子とは言えないまでも、大分穏やかな雰囲気に、音也は戻っていた。

 「おれ、ちょっと買い物してくるよ。部屋から出たら・・・わかってるね。」

 「はい、出ません。春歌は音也くんの言いつけはちゃんと守ります。」

 「よしよし。いい子にしてるんだぞ。」

 絶望していた春歌にチャンスが訪れた。
 買い物ついでに自室へ着替えを取りに寄ったところを龍也に捕まり、無断欠勤をこっぴどく注意されたと、音也がメールを送ってきたのだった。

 『今度のトーキョーテレビの特番のロケ、どっかの山に行くんだって。今日から、現場に入るまで林檎ちゃんの部屋に監禁で、仕事場まで龍也さんの監視つきだって。今までずっと仕事さぼってたからさー、このロケすっぽかしたらクビだっていうから、しょうがないから行ってくる。でも、逃げたりしたら、どこまでも追いかけるから。』

 取り敢えず解放された。
 そのメールを見てほっと崩れ落ちた時、トキヤが部屋へ上がり込んできて、春歌の姿を見て絶句したのだった。

 その時のトキヤの形相を、春歌はまざまざと思い出せていた。
 憎しみ、嫌悪、怒り。ゆらゆらと昇る憤怒の湯気がトキヤの全身からあがるその圧倒を、春歌は痣だらけの汚れたからだでみつめていた。

 海外ロケから日本へ戻り、春歌の部屋へ直行したトキヤは、床に座り込む春歌の惨状に声を消しながら泣いた。
 自分の後手に回った対応を只管詫びながら、後悔と憎悪で泣いていた。自分が音也に直接何をされたわけではなく、愛している女を傷つけられたからこそ、トキヤはぼろぼろになって春歌を抱きしめていた。
 

 

 春歌の体内にものすごい勢いで駆け巡る蘇った記憶は、走馬灯というものに近いかもしれなかった。あらゆる場面が一瞬にして次々と延々に脳で再生される。目の裏も耳の奥も、聞いた声、見た顔、混沌とだがはっきり、くっきりと一度に全部映し出され続ける。
 
 音也のフリをしたトキヤの言葉によって、固かった地面から一気に、地中深くにあった球根まで芋づる式に勢いよくひっこ抜くように鮮明にあふれ出した記憶。

 そうだ。
 私は。

 「一ノ瀬さんとも、音也くんとも、恋人同士だった・・・。ずっと音也くんとおつきあいしていたのに、一ノ瀬さんの方を好きになってしまって・・・私が・・・。」

 春歌は取り戻した事実で、全身を張り詰めさせ立ち尽くしていた。

 「私が一ノ瀬さんを好きになったせいで、どんどん変わっていく音也くんが怖くて・・・。突き飛ばされたり、脅されたり、怖くて、辛くて、泣きそうで、こんなこと、耐えられないって、思って・・・。」

 呟いた春歌を抱き締めたトキヤの腕は、悲哀に満ちていた。

 「私が君を護り切れてなかったんです。君はあんなひどい目に遭っていたのに・・・。本当は辛いことなど、思い出させたくなかった・・・! 忘れてしまったのなら丁度いいと、このまま、このまま私と未来だけを追いかけさせてあげたかった・・・ッ!!」

 2人して崩れ落ち抱き合う部屋に、早馬のように夕方の冷気が忍び寄る。
 一気に暗くなったかと思う間もなく、ざーっという音とともに夕立が街を襲う。

 雨音の響き渡る部屋で、並んで寄り添いあって座り、時間だけが過ぎて行った。

 春歌が、ぽつりと言う。

 「一ノ瀬さん。」

 「はい。」

 「私・・・音也くんが変わったことがショックでした。悲しかった。悪いのは、一ノ瀬さんを好きになってしまった自分ですけど、でも、それでも、音也くんがあんな風になったのを受け入れられなかった・・・。音也くんから届いたメールは、もう開けるのも怖くなって・・・仕事のメールだけ残していっぱい削除しました。もし一ノ瀬さんに見られたらと思うと、怖かった。結果的に、写真なんか見られなくても、音也くんにどんな事をされたか、大体想像ついちゃうような時に、一ノ瀬さんが来てしまったんですけど・・・。」

 「・・・言わないで。過ぎたことです。私は何があっても君を愛してるから、もうそれについては言わなくていい。ええ、怖くて、辛かったでしょう。先ほどはすみません。知っていたのに、それを知っていて、私は君に大人しくしてほしいばかりに、君を怖がらせると承知の上で、あんな台詞を投げつけて・・・。」

 トキヤが目を瞑る。
 腰を抱いていた手が肩へ登り、春歌を更に抱き寄せた。

 「医者にも、部分的な記憶喪失は、ひどくショックな事が起こったり辛い事が続いた場合、精神状態を保つために、何らかのきっかけでショックの原因を消すからなるのだと聞かされました。元々、本で読んで知っていましたし・・・。君は本当に辛そうだった・・・。でもそれは、ただ別れ話を切り出す踏ん切りがつかないとか、そういう単純な想像をしていました。」

 自分が音也に話すというトキヤを、春歌が必死に止めたから、だから自分は、何か考えがあると思って、別れは自分の口から告げたいのだとしたらその気持ちも判らぬではなかったから、その時それ以上踏み込んだ話が出来なかったと、トキヤは唇を噛んだ。

 「だけど君は塞ぎ込むばかりで、体調を崩して・・・。君の家へ強引に乗り込むまで気付かなかった私が、いけなかったんです。音也に乱暴されて、あざまで作って・・・あのあざが音也のせいだったと知った時、私でさえ耐えられなかった。だから君の記憶が失くなった時、私は、ある意味ありがたかった。忘れたままでいさせてあげたかった・・・。でも、思い出したのでしょう?」

 「はい、大体は・・・。一ノ瀬さんが海外ロケが終わってすぐ来てくれて。音也くんは林檎先生に見張られていて、お仕事が終わると真っすぐ林檎先生のおうちに連れ戻されてるって話を一ノ瀬さんが聞いてきてくれて・・・。一ノ瀬さんがずっと、音也を許せない、でも君の写真を持っているから迂闊に手が出せないって、考え込んでて・・・。」

 今までが嘘だったのかというように、湧水みたいに記憶が溢れ出す。

 「でも私、最後だけが、思い出せません・・・。ロケの最終日に山へ行ったとか、その辺りの記憶だけが、どうしても・・・。」

 「・・・正確にはどの辺りから、記憶を取り戻せないか判りますか。 新幹線に乗った記憶などは戻ったのですか?」

 「一ノ瀬さんが音也くんと一緒に数日間ロケに行くから、その間は会えないって話をしたのは覚えています。そこからはあまり・・・。だから、そんな新幹線に乗るとか、それより何日も前からの部分が、思い出せてないんだと思います。」

 トキヤは黙って春歌の告白を聞いている。

 「ネットで探したらとても可愛いペンションがあって、折角だからそこに泊まりたいって話をして・・・でも、ロケがどうなるか判らないからって、いつか一緒に行こうねって約束をして・・・。そこらへんまでは、覚えています。」

 トキヤは泣きそうな、歪んだような笑顔を見せる。

 「そんなこと、ちゃんと覚えていてくれたんですね・・。そういう記憶だけを思い出して、それで終わりにしてくれていれば、そうなれば良かったのに・・・。」

 「・・・いえ。それで・・・最後は、最後は私は、どうして思い出せないのでしょうか。新幹線に乗った記憶もありません。ロケで数日会えないねって話をしたの、ロケが始まる何日か前でしたよね・・・。だって、あと3日もしたらロケが始まって、それが終わったらすぐ音也に話をつけないと、って一ノ瀬さんが言うから、どうなってしまうんだろうって私、ビクビクしてて・・・。」

 「・・・そう、ですね。」

 「そこからぷっつり思い出せません・・・。だけど羽山で私は倒れてて、病院に運ばれました。私は結局、音也くんは結局・・・私はやっぱり一ノ瀬さんと山へ登ったんですか・・・? 判らないんです。結局音也くんの失踪は、私と一ノ瀬さんに何の関係もないんですか? 私はただ、あの日あの場所へ、どうしても一ノ瀬さんに会いたくなって行った。とか、なのでしょうか?」

 
 春歌を真っすぐ見据えたトキヤが、静かに言った。

 

 「落ち着いて、聞いてくださいね。」

 

 
 
 


  
 

 To Be Continued・・・









 次回第10話は、11/11頃掲載予定です。
 いつもお読み頂いている皆様、初めて起こし下さった方、もうしばらくお付き合いよろしくお願いします!

  









 

pastiche 第10話 

 

 

 
 pastiche
 第10話





 

 

 多分、景色は極彩色かモノクロだ。
 実のところ周りなど見えていないが、そんな気がした。

 彼は話してくれると言う。あれだけ、隠し続けていた彼が。期待と不安で気持ちがぐらぐらする。

 自分が飲み込む息が、自分の喉を苦しくしている。
 そんな空気の中、春歌はトキヤを見つめた。

 未だに取り戻せない最後の記憶の部分を、トキヤが知っている。
 春歌は固唾を飲みトキヤの言葉を待った。

 トキヤは、無表情であっさりと告げた。

 「私が音也を突き落としたんです。つばさ山でね。」

 「・・・え。」

 その瞬間の頭の中は、なんと説明していいのか、上手く言葉にならない。春歌はそんな風に捉えていた。捉えられるような冷静な部分が、頭の中の僅かな部分にあった。衝撃が強すぎて、脳が麻痺したのだと思えた。

 空洞の中にぽつんと、言われた言葉がただの文字列として置かれ、記憶に組み込む事も、理解しようとするのも、聞き流すのも、すべて脳細胞に拒否されている。そんな感覚。トキヤの今の告白がまったく現実味を帯びずに浮遊している。

 「突き、落とした・・・? え・・・?」

 「ええ。」

 ぎこちない動きをする春歌と、滑らかに答えるトキヤ。

 「君を苦しめる音也を、私は許せなかった。ロケが終わって、話があると言うと簡単についてきましたよ。本人も証拠は無くても、私に言いたい、聞きたい話は山ほどあったでしょうからね。」

 トキヤは、視線を床に向けている。
 その目が実際は何を見ているのか窺い知れない。

 「つばさ山は自殺の名所です。そして、私たちはアイドルです。人目の無い場所で話をしようという提案を不審がられないのも、実際人目が無いのも、深くまで入り込んだら崖に転落して探し出すのは困難だというあの山も、すべてが好都合だった。」

 「つばさ山は、迷うと聞きました。とても歩ける道なんてない、人の手の入ってない場所なんだって。」

 「ええ知ってます。知っていたから私は、ロケの間もその前も、色々準備しました。」

 「準備?」

 トキヤは春歌をじっと見た。
 目の奥まで覗き込むようなその瞳に、春歌は少したじろいだが、トキヤはまた視線を外した。

 「つばさ山に入って、適当な距離で、木に印をつけて回りました。帰り道で迷わない為に、他人には判らないように、自分だけが判るようにね。原始的な方法ですが確実です。よく見つけ出したというか、よく実行した、と言うべきですかね。そうして、適当な崖を探し当てた。」

 「そんな・・・ん・・・? あ、れ? つばさ、山? 羽山じゃなくて、つばさ山?」

 春歌の言葉にトキヤは少し顔を上げる。だが春歌の方は見ない。
 自分が倒れていたのは羽山だ。

 トキヤが音也をつばさ山で突き落としたのが本当だというのなら、羽山で倒れていた自分はまったく関係ないのだろうか。

 「さすが自殺の名所でしたよ。ここから落ちたら、這い上るのはおろか、見つけ出しても貰えないだろう、という場所は結構ありました。落ちる途中で岩に頭をぶつけて死ぬか、飢えて死ぬか・・・覗き込んでも底が見えなくてゾッとしました。公に報道されていないだけで、年間行方不明者なんてものは実際は大勢いる。あの場所でも、そのうちの何人かが命を落としているのでしょう。雰囲気も不気味でしたよね。」

 「そんな、ふうに、言われても・・・。」

 春歌は、とにかく何かを言わなければという気持ちで返答するが、どう返答していいか悩み、そんな言い方をした。トキヤが少しだけ笑う。

 「思い出さないのですか。君も、あの場所に居たのに。」

 「・・・あの場所・・・? だって、一ノ瀬さんはつばさ山に行ったんですよね。私が倒れていたのは、羽山ですよね・・・?」

 「世の中は面白いものです。」

 トキヤはまた少し笑う。

 「自分の目で直接見てもいないのに、それらしく言われたりすると信じてしまう。まさか自分ならこんな場面で嘘はつくまいなどという思い込みが、疑う心を失くしてしまう。君が羽山で倒れていた、というのは、私の自己申告ですよ。つばさ山と羽山はとても近い。あの道路から救急車を呼べば、どっちの山に居たとしてもおかしくない。非常に便利でした。」

 「え・・・。」

 春歌は驚いてトキヤを見た。
 トキヤはもう笑っていなかった。

 「君はね、助けに来たんですよ、音也を。つばさ山までわざわざね。私の帰りを、東京でおとなしく待っていてくれればよかったものを。」

 淡々と、トキヤは言った。

 「私が音也に対して立てていた計画を知って、君は、音也を助けに来たんです。・・・私を、止めようとしに来た・・・。あそこの地理に詳しくないからといって、計画を練る時に色々紙に書いたのは、またそれを捨てずに置いたままにしておいたのは失敗でしたね。それを君に見つけられて、目印を辿って、山の奥まで入ってきて・・・。」

 「嘘です・・・そんな・・・そんなの嘘です!」

 「嘘? どのあたりが?」

 春歌の咄嗟の叫びに、トキヤは無表情で返す。
 相変わらず彼は、まるで観察するような目で春歌を見つめる。心の奥まで無遠慮に探るような視線。春歌は妙な違和感を多少感じながらも、なんとか気丈に言い返す。

 「どのあたりって・・・ぜ、全部です! そんな、一ノ瀬さんがそんなことするなんて、そんなの、そんなの信じない。嘘です。そんなの、絶対に違います・・・っ! そんなの・・・信じない・・・。」

 「根拠のない信用を口にされても困ります。」

 トキヤはまた少し笑う。

 「音也と言い争ってるうちに、どんどん真っ暗になりましてね。言い争いが揉みあいになって、暗くて足元が見えなかったから足を滑らせた音也が・・・まあ、結果的に私が突き落とした形になりました。どうしようもありませんでした。・・・丁度、音也が落ちる正にその瞬間に君が来たんです。君は目撃して、ショックを受けて、気絶したんです。事実は小説より奇なり。あんなタイミングで現れるなんて君、通常ではありえませんよ。」

 「・・・。」

 「いくら体の小さい女性であっても、人ひとりを担いで道もない山を降りるのは、相当の労力が必要でした。お陰であんな時間になってしまった。かなり深くまで入り込んでいましたし、君は目を覚まさないし、腕を木に引っかけたようで怪我が酷いし、焦りましたよ。しかし余程ショックだったのでしょう。目が覚めた君は、記憶をなくしていた・・・。」

 「ま、待って下さい。音也くんは足を滑らせたんですよね。だったら一ノ瀬さんは何も悪くないじゃないですか。罪に問われたりしないじゃありませんか! 今からでも遅くないです、警察とか、どこか頼んで、音也くんを探して貰えば・・・!」

 「探してもらってどうするというのです。」

 トキヤの声にはぶれがなかった。
 迷いなく、告げていく。

 「人の手のまったく入っていない山でしたから、印や懐中電灯を持ってきて無かったら、それこそ私も迷って死ぬところでした。音也は・・・あれからもう、半月くらい経っています。どう考えても・・・でしょう。」

 「でも!」

 「縦しんば、」

 トキヤが髪をかきあげる。

 「まだ生きていたとしましょう。それで、どうするんです? 生きて彼が帰ってきたら、君はまた、音也に脅され、傷つけられる毎日を受け入れるのですか。一ノ瀬さんを愛してると泣きながら、その私との関係を終わりにするというのですか。ドメスティックバイオレンスとリベンジポルノで君を社会的に殺そうとする音也など、何をしでかすかわからない。私ひとりどころか、レンも、聖川さんも、シャイニング事務所すべての所属タレントは芸能人、要はイメージで仕事をしているのですよ。」

 「そ、れは・・・。」

 「私も君も、羽山に居た。音也のことは知らない。それですべてが済むんです。事実、今まさに済んでいるじゃありませんか。事務所の上層部は、音也は単に仕事がイヤで逃げ出したという見解で落ち着こうとしています。君に酷い真似をしていた間ずっとサボっていた評価が、そんなトコロで浮き出ているんですよ。それに彼の生い立ち的に、必死になって探す親族筋がいないのは、今の私たちにとってはラッキーでした。」

 「そんな話になっているのですか・・・。」

 春歌は少し驚いて呟いた。
 社会というのは、こんなにも簡単に人を斬り捨てるのか、という現実を見た唖然だった。

 「ええ。このままこの話は事務所としては終わりでしょう。世間は冷たいものですよ。音也はまだ新人で、売れっ子でもなんでもない。そんな芸能人ひとりメディアに出なくなっても、誰も気にしないし話題にしない。あのロケ分がお蔵入りになっても、私が多少気分がへこむだけで、誰も大きくは困らない。売れてない芸能人の扱いなどそんなものです。」

 言葉だけ聞けば当然の事柄が、実際自分に振りかかるとこうも残酷なのかと、春歌はしみじみ感じていた。
 そう。売れっ子でひっきりなしにメインを張るような芸能人でなければ、代役などごまんといるのだ。仕事来ない者、運のない者、要求をこなせない者は、気に掛けて貰えるでもなくただ淘汰されるのだ。それが現実だ。

 知っていたつもりなのに、辛い。

 「大体。」
 
 トキヤが口調を強める。

 「特に君は、止めに来て偶然彼が落ちる瞬間を見てしまっただけです。彼がいなくなった件に関して、君は一切何もしてないんです。呼び出したのも私。突き落としたのも私。それを放置したのも私です。君じゃない。それは絶対忘れてはいけませんよ。いつか、これから時間が経って音也が崖から落ちるシーンを思い出したとしても、君は偶然見ただけなのですから悩む必要は無いんです! 」

 「で、でも・・・!」

 反論しようとした春歌の頬を、トキヤがそっと撫でた。

 「これが真実です。これ以上何かを探すのも思い出すのも無駄ですし、必要ありません。音也が滑り落ちてしまったあれは天罰だ。そう思って、私たち2人が真実を墓場まで持っていけばそれでいい。」

 「・・・。」

 春歌は何も言えなかった。

 「私を、嫌いになりましたか。」

 トキヤが悲しげに笑った。
 春歌は固まったまま動けなかった。

 「愛してます。私は君だけを愛してるんです。君の為ならどんなことでもしてあげたい。例えそれが、世の中では悪事でも、間違ってると言われる所業であってもです。君の為なら世間になんと言われようと構わない。君と一緒に居られるのなら、私はどんな罪も背負いましょう。君と離れない為になら、なんでもする。」

 トキヤが、春歌をまっすぐみつめた。

 「春歌、私は、君を心から愛している。何があっても、どうなろうとも。この気持ちだけは絶対に変わらない。」

 「一ノ瀬さん・・・。」

 言い終わらないうちに、視界がぶれた。

 「キャっ・・・!」

 叫びも途切れた。
 トキヤに口を塞がれたのだった。頬が濡れる。トキヤが泣いているのだと気付いた春歌は、だがあまりに多くの情報が一度に雪崩れ込んできたせいで、処理能力に置いてきぼりにされてロクな抵抗も出来ない。

 ブラウスの胸元を開かれ、乱暴なキスを何度か肌に落とすと、トキヤは春歌のショーツを剥ぎ取った。

 「! 一ノ瀬さ・・・!」

 反射的にトキヤを押しのけようとした。
 だがトキヤの体はびくともしない。ぽたりと、トキヤの涙が春歌の頬に落ちた。

 「いちの・・・。」

 「春歌。」

 至近距離で目が合う。
 またじっと見つめられる。言葉にならないこの視線の違和感。

 しかし、少しの間じっと見つめあっていたトキヤの目から、そんな違和感が消えた。
 
 「私は何があっても君を愛しています。それだけは、絶対に忘れないでください。だから、お願いだから、もうこれ以上は・・・これからは、今からは、もう私だけを見てください。頼むから・・・!」

 その叫びは静かではあったが絶叫のようで、春歌は自分の体が、ゆっくりと沈み込んでいくような感覚を覚えた。
 
 彼を泣かせたくなかった。

 春歌の脳裏に、取り戻したばかりの記憶がぐるぐると回る。
 
 自分の心変わりで音也は豹変した。ではここで今、トキヤを拒絶したら? 

 トキヤが音也のようにならない保証がどこにある? 

 音也だってあんなに優しかった。彼だって本気で自分を愛してくれていた。なのに突然変わったのだ。この目の前のトキヤに、今この状態で春歌が、自分はまだ思い出す事があるなどと口走ったりしても愛の方向を変えないという保証など、何処に。

 そもそもが、元はといえば自分の心変わりのせいで、トキヤがこんなになるまで追い詰められてしまったというのに。ここまで来たら運命共同体だ。

 
 春歌は、ぎゅっと目を閉じ、そしてトキヤを抱きしめた。


 「・・・春、歌?」

 
 春歌は、もう震えていなかった。
 しっかりとした口調で、トキヤに告げる。


 「決めました。私はもう今からは、一ノ瀬さんとの未来だけを見ます。一ノ瀬さんが傷ついてる顔は見たくないです。私も、一ノ瀬さんが、一ノ瀬さんだけが好きだから。愛してるから・・・もう、このまま、今聞いてしまった音也くんの話も忘れてしまうぐらいに、抱いて下さい。」

 「春歌・・・。」

 トキヤが感極まった様子で呟く。

 「こんなに嬉しいことはありません・・・。春歌、呼んでください、名前で。またやり直したい。君と。」

 春歌は微笑み、小声で告げる。

 「トキヤくん。愛してます。」

 そのまま、ぎゅっとトキヤに縋り付いた。

 
 今この場では、何をどうすることもできない。
 何かをどうにかしようと動いたら、きっと悪い方へ未来は転がると、はっきりと不安になれるから。

 そしてきっと、音也の安否は――――――――――。

 
 それを悟った春歌は、トキヤのすべてを受け入れる選択肢を取ったのだった。









  
 
 To Be Continued・・・







 

 
 次回11話は、11月14日頃更新予定です。
 今回は話の繋がり上、いつもより更新が早くてすいませんがよろしくおねがいします

 










 
プロフィール

みるくあずき2

Author:みるくあずき2
成人。
主婦。母。妻。嫁。娘。事務員。など。

本家ブログはアメブロ
http://ameblo.jp/milk15azuki
にて、乙女ゲームレビュー(感想・攻略? 雄叫び、乙女向けCDも愛聴)を書き綴っております。

乙女ゲ歴というかゲーム歴4年。
妻となり母となって大分経ってから見つけた趣味なので、遅咲きです。
遅咲きの狂い咲きってヤツですね。

本家ブログは只今リアル絶賛多忙中の為に気紛れゆるゆる更新です。コチラは元々気の向くままに進めています。

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感想・お世辞は大歓迎ですが、苦情は受け付けられません。
鍵付きのコメントは、拍手コメントも含め一切の誤表示を防ぐ為、お返事は致しませんが、必ず読んでおります。励みになっております。有難うゴザイマス。
拍手とかコメントとか貰えると泣いちゃうくらい嬉しいですよ・・・。

鍵付きでは無いコメントは、拍手コメントも含め必ずお返事させて頂いております。
宜しくお願い致します。

只今うたプリだと トキ春 嶺春 蘭春 音春を筆頭にカミュ春や翔春、真春、レン春もございます。R18、オールNLとなりますので宜しくお願い致します。

だけど最近プリンスよりも先輩とかヘヴンズが好きだったり・・・。

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