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Russian roulette 6

 


 
Russian roulette
      Vol.6






 

 
 何度瞬きをしても景色が変わらない。
 信じられないというよりも実感がなさすぎた。

 思いも寄らない相手が隣に居る突飛な状況に、何から始めるべきか皆目見当が付かない。

 「ん・・・。」

 「!」

 長い睫毛が震えて、トキヤが目を開けた。
 不安と緊張で喉が鳴る。

 てっきり驚いたトキヤに侵入者扱いでもされるのではと、春歌は体を一層強張らせた。

 だがトキヤは、唇を少し笑うように動かすと、安心したような吐息を溢しながら春歌をその腕にしっかりと抱きしめた。

 「・・・!?」

 一体何がどうなっているのか、春歌は目をくるくるとさせて必死に言葉を探した。
 

 「あ、の、一ノ瀬さ」

 「良かった・・・。」

 トキヤの胸に顔が埋まり、息が苦しい。彼の台詞に心当たりが無くて不安が増していく。ほっとしたような口調が良く判らない。

 「朝が来て、君が居なくなっていたらどうしようかと・・・。目を開けるのが少し怖かったですよ。」

 「!?」

 目線を合わせ、焦点がずれるくらい顔を近づけてきたトキヤに、春歌は思わず体を退いた。密着しているのでそれが伝わるのか、トキヤが益々顔を寄せる。

 「逃げないで・・・んっ。」

 唇に軽くキスをされ、春歌はもう何がなんだか全く理解出来ない状況にパニックになっていた。一体これはどういうコトだ。これではまるで、音也とトキヤが入れ替わったような朝だ。音也とは、何度もこんな朝を迎えた。

 だが、相手が違う。
 なぜこんな事になっているのか。

 「あの、一ノ瀬さん、わた、わたしっ。」

 「酔いはもう大丈夫ですか。」

 「は?」

 「覚えて無いんですか? ・・・まぁ無理もないですかね。君はかなり酔っぱらっていましたから・・・。流石の寿さんも大分反省していましたよ。君に、うっかり間違えてお酒を飲ませてしまったって。お酒の瓶が、ジュースと似たようなデザインだったそうで。」

 「お酒・・・?」

 記憶のない春歌に呆れたのか、トキヤは一度大きく伸びをすると、軽く頭を振った。
 それだけの動作で、寝起きの顔でなく、アイドル・一ノ瀬トキヤとほぼ変わらない顔になる。彼は昔からストイックにアイドルとしての自己を追求するタイプだとは思っていたが、目の前でこれだけの切り替わりを見て、春歌は改めて感嘆した。

 「君、寿さんが打ち合わせ中に出してくれたジュースをお酒と間違えて飲んだ事、覚えて無いんですか? どこから記憶が無いんでしょうね・・・まさか、寿さんと打ち合わせする為に一緒に帰った事も忘れているんですか。私が傍に居たことも?」

 「そ、それは覚えてます!」

 慌てて答えた。
 確かに、打ち合わせだと音也に告げた時、トキヤも傍に居た。あのまま車に乗せられて辿り着いたマンション一室の玄関まで入った事は覚えている。

 だが違う。
 自分は部屋には上がらずに、玄関先でおかしな薬をムリヤリ口移しで流し込まれたのだ。お酒を飲んだというのは、一体どこでそんな話になっているのだろう。

 何から尋ねるべきかすら判断の出来ない春歌の頬を、トキヤがそっと撫でた。

 「・・・?」

 「君が、酔っ払ったせいとはいえ、私に逢いたいと言ってくれたなんて・・・嬉しかった。」
 
 「・・・・は、い?」

 今、なんと?
 彼は、なんと言った?

 「私は、そんな事を言ったんですか・・・・。」

 腰から不安が泡立って昇ってくる。
 覚えがない。第一どんな状況になろうとも、自分が音也以外の男に逢いたいと口走るなど思えない。

 「ええ、だから寿さんがココへ連れて来てくれたんですよ。私も最初はへべれけな君を見て驚きましたが、でも・・・。」

 「!」

 のそりと覆い被さってきたトキヤに驚く暇も無かった。
 彼のさっきの言葉が自分の中で高速で回転している。

 (私が、一ノ瀬さんに逢いたいと言ったの? 音也くんに逢いたいって言ったのを勘違いされているのではなくて? 本当に私がそう言ったの?)

 渦巻く疑問に呑まれているせいで、春歌はトキヤの口づけに気付くのがまた遅れた。
 今度は舌を軽く舐められる。皮膚がぞわりと毛羽立つ。衝撃的な出来事で目は覚めたがそのせいで、酷く敏感になっているらしい。
 
 春歌が抵抗しないのを只の同意だと受け取っているのか、トキヤは春歌の唇や舌を舐めながら、囁くように言う。

 「酔っていると本音が出ると言いますから・・・私に抱きついて、・・・ちゅ、ん、好きだと言ってくれて・・・私もずっと君が好きだったから、もう舞い上がってしまって・・・。本当は私はずっと、君は音也とつきあっていると思って諦めていました。でも、・・・んっ、違ったんですね。…いえ、そうだったとしても、私を選んでくれたという事でしょう? ・・・違うんですか。」

 キスの合間の熱い囁き。
 ふっと、睦言を止めたトキヤが不安を覗かせた。

 「昨日のコトは、夢ではないですよね? 私を好きだと言ってくれて、何度も強請ってくれた君の言葉を、信じてもいいのですよね?」

 「・・・。」

 何か言わなければと思って開きかけた唇が止まる。

 違う、と言いかけた唇が、トキヤのキスでまた塞がれたからだ。
 抵抗出来るほど体が動かない。
 媚薬の詳細を春歌は知らないが、翌日までこんなに倦怠感が続くものだろうか。でも原因にはそれしか心当たりがない。
 

 しかし、春歌が抵抗しなかったのは、体が動かないという理由だけではなかった。

 混乱していた。あまりにも。

 総てが霞がかった状態で、トキヤに何を言おうというのだ。今、自分がどこでどうなったのかすら正確に把握できないという局面で。
 
 知らない場所で記憶も曖昧な自分が、今ここで、この幸せそうにしている男にどんな正確な返事ができる?
 唇を解放してくれたトキヤは、とても満足そうにしている。
 
 自分はトキヤに逢いたいと、好きだと言ってないなど、自信が無い。気持ちの上では言う筈がなくても、酩酊状態の最中の行動が断言出来ない。幸せそうにしていながら、夢のような状況に少し自信が持てないのを春歌の言葉に埋めて貰いたくて、甘えるように瞳を覗きこんでくる旧知の友に対して。

 誰がどうみても、言い逃れの出来ない風景。
 男と女が服も身につけずベッドに潜り込んでいるままのこの姿で。

 あまりにも、どうすればどうなるのか思いつかない。
 喰い射るような目で見られていると気付いて春歌が目を閉じたら、それが誘いと取られて深く口づけられた。

 さっきまでと違い、舌全体で口の中を犯すキスで、意識が朦朧と地底へ沈み込んでいくような気分になる。
 トキヤのキスに確かに快感を拾っていると自覚して泣きたくなる。


 昨日は嶺二で、今日はトキヤで、自分は男なら誰でも受け入れてしまうとでも揶揄されて仕方ない惨状に涙が滲む。これが油断だったのだ。一番最初に嶺二に襲われた時の彼の言葉をまた思い出す。

 そして後悔した。
 次から次へと自分の前に降りかかる連続した驚愕。巻き戻したい、時間を。音也の許へ何もなかった自分に戻って帰りたい。

 はっと、気付いた時には、トキヤの吐息は興奮を交えていた。

 「こんなキスをしていたから、また・・・君のせいですよ。」

 手を取られて宛がわれる。
 掌に熱く固い塊を押し付けられ、春歌は驚いて手を退くが、トキヤはそれを許さなかった。

 耳元で、甘い熱を孕んだ誘惑が囁く。

 「昨夜のように、積極的にはしてくれないのですか? いっぱい欲しいと言って、あんなに擦り寄ってくれたじゃないですか。」

 「!」

 ぐ、と太股を開かれ、春歌は咄嗟に叫んだ。

 「やめてっ!」

 「そんな顔をしないで。」

 「!」

 切なそうな声が懇願のようで、春歌の叫びが止まる。
 それを確認したトキヤが、間を置かずに自身を春歌の中心へ挿入した。

 「あっ、あ、ああああああーーー。」

 悪い夢。
 
 なのに、気持ちが良いと感じる身体が自己嫌悪を通り越して、春歌の意識を混沌とさせる。
 
 覆い被さるトキヤの唇が、春歌の耳の後ろを這う。彼の濡れた吐息が益々頭を狂わせる。快楽を呼び起こして、堕ちるものかと拒否する春歌の心を破壊するのだ。今の春歌は、指先で触れるだけで崩れる砂の城。音也への操はサラサラと音も無く、押し寄せるトキヤの欲情の波で意思をすり抜け消えていく。

 「やめ、てぇ・・・お願いですっ・・・ああっ。」

 ひっくり返されて、顔をシーツに埋めながらトキヤに懇願する掠れ声が嬌声に変わる。
 背中や尻を撫でながら、彼は何度もゆっくりと抜ける寸前まで引き抜き、それから何回か素早く抜き差しをして、またゆっくりと引き抜いて・・・を繰り返した。

 「やめて、もう、もうしないでえ。」

 気持ちを裏切り続ける体が、燻ぶる焦れったさを覚える。それを悟られたく無くて必死で許しを乞いたのが逆効果だった。

 「激しくされたいですか?」
 
 「・・・いや・・・今しちゃダメっ!」

 「イキたくて仕方ないんでしょう。いいですよ・・・。」

 「ダメぇ! イっちゃうからダメえっ!」

 頭が回転しないせいで馬鹿正直な抵抗の言葉しか出なかった。
 
 ふ、と笑う吐息が聞こえ、次の瞬間、ぴったりと春歌の背中に自分の身体を密着させたトキヤが、獰猛に腰を打ちつけてきた。獣じみた姿勢で羞恥に震えが走る。

 「あっ、あ、あんっ、あんあん!」

 「はぁ、っ、君の声が、もっと聞きたい・・・、私のモノになった、君の声、っ。」

 肌を噛まれて瞼の裏で火花が飛ぶ。
 真っ暗な思考のそこかしこでも火花が散る。後ろから探られて固く勃ち上がった胸の突起を強く扱かれる。トキヤは春歌を抑え込むようにうつ伏せで組み敷いて、肌がぶつかる音が途切れる間の無い程に激しく犯し続けた。

 「好きだ・・・君が、君だけがっ・・・もう音也の所になど帰さないっ・・・!」

 ぐっと最奥に入れ込まれ、それが何を意味するかを蕩けた頭であっても理解できた春歌の腰が強張る。

 「あん、ダメ・・ッ、あんっ、ああーっ。」

 どこまでも奥へ。
 言葉にならないトキヤの思いを快楽と同じだけ感じ取って、春歌は全身を走り抜けた電流に意識を持って行かれた。







 肌に食い込む彼の指の力がやっと抜け、体の向きを変えられて、そっと口づけられる。

 ぐったりと横たわる春歌を見詰め、トキヤはそしてまた彼女を腕に抱きしめた。

 「可愛いですよ・・・。ずっとこうしていたいですが、・・・・・仕事です。残念ですが、今日はもう出ないと。君はどうしますか?」

 「・・・?」

 意味が解らないという風にトキヤを見た春歌の髪を、彼が優しく撫でる。

 「ココで私の帰りを待っていてくれても、いいのですよ。鍵は君にもお渡ししましょう。」

 「!」

 途端に頭が冷める。
 違う。どうして自分の気持ちや記憶が全く無視されて、どんどん話が進められているのだ。そもそも、自分はトキヤに逢いたいと言った覚えが無くて、ましてやこのように抱かれてしまう間柄では無かったのに。 

 急激すぎて理解不能すぎた状況に、あっさりと呑まれてしまっている。
 まるで津波だ。突然押し寄せてきたと思ったら、叫ぶ事はおろか、周りの状況も確認出来ずに海底に引き込まれてしまった。

 戻ってきたら、呑まれる前とはまるで世界は変わってしまった。
 なぜ、自分がトキヤに、部屋の合鍵を渡すなどと言われているのだ。

 「一ノ瀬さん、私っ。」

 「大丈夫ですよ。私たちの交際がバレないように細心の注意を払います。その為にも別々に部屋を出た方がいいと思うのですが、女性の方が支度に時間がかかりますから、君が後から出る事になれば、どのみち鍵をお渡ししないといけません。」

 「いえ、すぐ出ます、鍵なんて貰えません。すぐに出ますから。それと一ノ瀬さん、あの。」

 「すぐ出ると言っても・・・シャワーだって浴び」

 「いいえ! シャワーもいいです、兎に角ココを出ます。それであの、一ノ瀬さん、私が昨夜酔っぱらって一ノ瀬さんに逢いたいと言ったっ」

 「すいません、事務所に入れる大事な連絡を忘れていました。ちょっと電話をしますので。」

 「あのっ!」

 「すぐ終わりますよ。私はそのままリビングで支度をしますから、気にせずに着替えて下さい。」

 強引に閉じられたドアの音は、そのままトキヤの態度だった。
 答えて貰えないのだと、会話の途中で気付いた。めげずに喰い下がっても、彼は姿勢を変えなかった。
 
 (どうして?)
 
 春歌はベッドを降り、脱ぎ捨てられていたままの服を手に取った。

 詳細を追求したら、トキヤは困るのだろうか。だとしたら、自分はやはり彼に 「逢いたい」 などとは言ってないのではないだろうか。トキヤがそう思いたいだけなのでは? だから質問する隙をくれないのではないか。


 ならばどうして自分はここに居る? 嶺二が連れてきた以外に考えられない。あの時自分は、確かに崩れ落ちてしまった。記憶も途切れている。とても一人でここまでこれたとは思えない。

 なぜ嶺二はここへ連れてきた? 

 大体、人ひとり担いで駐車場へ戻るだなんて、そんな目立つ事を芸能人の彼がどうしてする必要があったのだろう。春歌自身がそんなにトキヤに逢わせろと喚いたのだろうか。確かにトキヤの言う通り、トキヤの名前を出したから連れてこられたと結び付けるのが普通だ。

 自分は、逢いたい、とは言ったのではないだろうか。どうしてか解らないが、音也では無く、トキヤに逢いたいとは口走ったのではないだろうか。そして、それを真に受けた嶺二に連れてこられて、自分を好きだったらしいトキヤがこれ幸いとあのような行為に及んだのではないか。

 それが、春歌が鈍る頭で着替えながら、導き出したひとつの答えだった。そしてそこまで考えて、春歌ははっとする。

 だとしたら、自分は嶺二には、最後までされていない?

 

 ―――――――――なぜ?


 服を身につけながら、思考が止まる。
 嶺二はこの間から、春歌を何度も辱めながら、最後まではしてこない。なぜ? 意味が解らない。解らなくて怖い。嫌われているのだろうか。嫌われる理由が思い付かない。何も思い付かない。

 ショーツを履こうとして、一度脱いだ物だという事に一瞬憚られた。
 些細な迷いに手の動きが止まった直後、とろりとトキヤの先ほどの情事の残滓が内股に垂れてきて、慌てて何枚もティッシュを引き抜いた。泣きそうになりながら、音也以外の男の精液を拭き取る自分が惨めで堪らなかった。知らない部屋で、知らないうちに、こんな目に遭っている。ところが相手が幸せそうにしていて、しかも相手に罪が無くて怒る事も出来ない。

 総て、嶺二が引き起こしたのだ。
 彼に逢って一から説明して貰わなければ、この怒りが収まらない。

 ぽたりと落ちる涙が染みになるシーツの一部分を見ながら、春歌は唇を噛みしめた。
 頬を拭い、早々にある程度の身なりを整えリビングに向かう。

 「おや、早かったですね。」

 ドアを開けた春歌に優しく微笑んだトキヤが声を掛ける。
 忙しくて家に居ないせいなのだろうか。ぱっと見は妙に殺風景なリビングだと春歌は思った。

 「君が先に出た方がいいでしょう。道は解りますか?」

 「いいえ、ここがどこなのかも私・・・。」

 「そうでしょうね。一番近いのは○○線のT町駅です。ここを出て右へ行って下さい。少し歩くとAA電機という大きな会社があります。看板が大きいから必ず解りますから、そこの信号を右へ。5分も歩かないうちに○○線の駅へ出ます。迷わないとは思いますが、くれぐれも気をつけて。」

 「・・・はい。わかりました。」

 返事をした春歌の頬に、トキヤの指先がそっと触れる。咄嗟に春歌は、その指を振り払った。

 「あっ、す、すみません。あの、私っ。」

 振り払われた指を見詰めて黙るトキヤに対し、罪悪感が湧き思わず謝る。
 トキヤはあまり気にしてない様子で少し微笑んで、自分の前髪をかきあげた。

 「次の休みは、一緒に夕飯でも食べましょう。どこか個室を用意してくれるお店を、月宮さんにでも聞いておきますね。勿論、君と行くなどとは言いません。」

 「一ノ瀬さん、私は」

 「さ、遅刻してしまいます。君が出ないと私が出られない。急いで下さい。」

 ぐいっと玄関の方へ体を向けられ、春歌はまた続きを言わせて貰えなかった。

 そのまま笑顔でドアを閉めたトキヤと別れ、エレベーターに乗り込む。
 混乱した頭で銀色の壁を無気力に見詰めながら、春歌は機械の箱にただ下へと運ばれていった。



 


 

 だるい体と、相変わらず鈍痛が取れない頭をひきずるように家に辿り着いた春歌は、惰性のように靴を脱いだ。
 自分の住処に帰って来た安堵感で増した疲労は、リビングのドアを閉めた途端、ずるずるとその場に座りんでしまう程だった。
 
 暫く放心状態でそうしていた。
 カーテンは開いたままだった。帰ってくるつもりだったのだから。なのに、なぜ日にちが変わってから戻ってくるような事になってしまったのだろう。

 何を間違えてしまったんだろう。
 わからない。

 何十分もそうしていたが、やっと、トキヤの部屋では浴びられなかったシャワーを浴びようとのろのろと立ち上がった。ふと、視界の端に見慣れているものが入る。

 それはいつも日常に溶け込んでいるただのゴミ箱で、なのに何かが違う気がして、春歌は何気なく中を覗き込んだ。

 「・・・な・・・!」

 弾かれたように手を突っ込んで中身を取り出した。
 両手に取って確認する。

 「どうして・・・。」

 それは、この部屋で音也がいつも使うパジャマだった。
 少し前にも着た為、洗濯をして畳んでタンスに仕舞っておいたものだ。どうしてこれがココにあるのか。

 それを握ったまま、セットになっているボトムも捨てられているのに気付き取り出した時に、ごとん、と鈍い音を立てて陶器が床に転がり落ちた。マグカップだった。それも音也が使うもので、

 「割れてる・・・なんで、どうしてなの・・・?」

 厚みのある大き目のマグカップの上部は欠けていた。
 欠片はすぐに見つかった。ゴミ箱の中には、音也がこの部屋で使っていたものばかり様々が、乱雑に放り込まれていたからだ。

 春歌は、思わずぞっとして後ろを振り返った。
 
 誰も居ない。
 当たり前だ。

 なのに、恐ろしくて堪らない。自分の部屋で、自分がしていない事が行われた明らかな証拠。見えない何かが自分の周りを急速に変化させていく。悪い方へ。掌握出来ている箇所が僅かであってもそれは理解出来ていた。自分は今、悪い波に浚われていると。

 「まさか・・・。」

 この部屋に入れるのは自分と、恋人の音也だけだ。
 これは音也からの、別れるという意思表示なのだろうか。音也の懇願を聞き入れなかったせいで?


 捨てられていた物を床に散らかしたまま、春歌は今度こそ魂を抜き取られたようにへたり込んだ。

 見詰める床も、窓も、総ては冷たく、夕闇が春歌を呑み込んでいくだけだった。
 

 

 
 
             
            

              To Be Continued・・・









 

 
 

Russian roulette 7

 




Russian roulette

        vol.7







 あまり記憶は無いが、振り絞った力で入浴だけは済ませた。

 昼頃に家に辿り着き、暗くなるまでぼんやりとしていた春歌だったが、それでも熱いお湯を張ったバスタブに浸かると、多少なりとも生活の色を取り戻せた気になれた。
 潜り込んだベッドでは大分眠れた。そこから出なければならなくなったのは、事務所から呼び出されたからだった。

 それなりの時間は眠れたので、体力的には問題が無かった。あの妙な倦怠感も消えていた。
 しかし心はそうはいかず、沈んだ気持ちに無理矢理ごまかしの化粧をして、もぬけの殻といった風情を隠しきれず外出した。
 


 仕事の話で呼び出されたのだった。
 
 来期、龍也が準主役を務める人気ドラマ枠の出演作品の音楽のほぼすべてを、春歌に任せて貰えるという。
 
 大物作曲家が既に起用されていたのだが、人気と実力は折り紙つきだが我儘でも有名という主演の女優が音楽にケチをつけ、急きょ違う人物が曲を作る事になったのだという。降板させられた人物とあまり関係ない作曲家を選ばなければならず、担当プロデューサーと個人的に飲みに行く機会もある龍也出演の縁で、シャイニング事務所に依頼が来た。

 「悪いな急で。でもお前ならきっとやれる。少し前に事務所に持ってきたデモ用のCDに、いいのがあった覚えがあってな。」

 そう言って龍也は、きちんと整理された棚から、春歌を作曲家としてプロモーションする時の資料ファイルを取り出す。
 事務所内に数個ある会議室の1室で、春歌は真剣に龍也の説明を聞いていた。所属しているタレント同士が同じ仕事をする時などの打ち合わせによく使われる少人数用の会議室はしんと静まり返っていて、集中して仕事の話をするには最適だった。
 
 
 何かに没頭する機会は有難かった。
 一瞬でも、僅かでも、優しい恩師と仕事ができる些細な幸せに気持ちが変わる。

 「これだ。このCDの4曲目。それと、7~10曲目、全部使える。それ以外に、その資料に書いてある場面で使用するヤツが何曲かほしい。これは3話までの台本だ。これと資料を見て曲を手直ししてくれ。行ける筈だ。時間はある。頑張ってみろ。」

 「解りました。」

 「七海、チャンスだ。あのドラマのプロデューサーに気に入られたらお前、次のドラマも絶対回って来るぞ。頑張れ。」

 「はい、解りました。日向先生、あの、わざわざ新人の私にお気遣い頂いたんですよね、有難うございます。」

 「ばぁか。お前の実力を買ってるんだよ。気遣いじゃねえ。だから曲の出来でちゃんと俺の顔を立ててくれよ。」

 龍也は優しく笑って、春歌の頭を小突く。

 「それと、もう先生じゃねえって何度言ったらわかんだよ、お前は。社会人どんだけやってんだ。」

 「す、すみません!」

 慌てて小突かれた額を抑えながら、頭を下げる。
 その時、ノックの音がして、龍也が返事をする。

 ドアを開けて現れたのは、音也だった。
 途端に春歌の身体が凍りつく。彼が来るなど予想外だ。それは音也も同じだったらしく、春歌の姿を見て明らかに驚いていた。

 「おお、もう来たのか一十木。早いな。悪ぃ、ちと待っててくれ。コイツとの話は終わったが、ひとつ仕事があってな。10分で終わる。」

 「はい。」

 龍也がバタバタと手元の書類をかき集めながら出て行き、静まり返った部屋に二人が残された。

 極度の緊張で喉が焼けそうな春歌は、俯いたまま動けなかった。
 言いたい事も聞きたい事も山ほどあるのに、どれから告げたら一番2人の為になるのか選べなくて、だが早くしないと龍也が戻って来てしまうと気持ちばかりが焦る。

 空気も停滞していた部屋で、音也が沈黙を破った。
 

 「聞いてもいい?」

 「っは、はい。」

 思っていたような怒気は無く、寧ろ泣きそうな彼の声に、春歌は驚いて顔をあげた。

 音也は暫く目を瞬かせた後、春歌の顔を見ないままゆっくりと言った。

 「俺と、別れたいの?」

 今一番使われたくない、別れ、という単語に春歌の心が大きく痙攣する。
 部屋で捨てられていた物の数々の映像がぱあっと眼前に広がる。眩暈がしそうだ。

 「・・・なん、で、ですか。そんなこと・・・。」

 震える声で一歩自分に近づいた春歌を見るのが辛いのか。それとも今の自分が辛いのか。音也は苦しそうに目を閉じると、

 「俺のもの、どうして捨てたの。俺が、もうあの部屋に行けないからなの?」

 どくんと。
 心臓が握られたような気がした。ぎゅうっと縮む神経に呼吸が乱れる。

 「それ、そんな、違います、私じゃない。私じゃありません、私だって帰ってきたら、音也くんのパジャマが捨てられてて、びっくりして、だけど音也くんしかあの部屋に入れないから・・・!」

 自分でも何を言ってるのか解らない。 
 頭が混乱し、順序立てて組み立てた言葉が発せられない。

 「じゃあ誰が捨てたの。君以外は俺しかあの部屋に入れないんだろ。俺は捨ててない。俺じゃない。」

 「私じゃありません! 私にも何がなんだか、帰ってきたらあんな風になっててビックリしてっ!」

 思わず大声を出した春歌に怪訝な目をして、音也は今度は真っすぐ春歌を見た。

 「帰って来た、って、どこから帰って来たの? 俺が部屋に行った時、君はまだ帰って無かった。」

 大好きな音也に、後ろ暗い自分を隠すのは難しい。
 自分が朝まで家に帰って来なかったのを知られていたというのは、春歌を一気に動揺させた。一瞬言葉に詰まる。

 「・・・いつ、来たんですか。」

 話を逸らすような質問返しが痛々しいと自分で思った。
 音也も、そう思ったのだろう。

 「そんなの関係ないよ。」

 強い調子で云い捨てる。

 「あの日、嶺ちゃんと何時まで一緒に居たの。結局あの時、事務所には行ってないよね。俺ね、あの後事務所に行ったんだ。でも嶺ちゃんも君も居なかった。携帯も通じなくて、すっごい悩んで、でもやっぱり家にじっとしていられなくて、・・・信じてたんだ。君は部屋で寝てるって一生懸命信じて、だけど・・・。」

 一度言葉を切って、息を吐く。
 ただ話をするだけで、こんなにお互い息が上がる事が今まであっただろうか。

 「俺、君の寝顔さえ確認できれば、それで良かったんだ。なのに・・・。」

 やるせなく首を振った音也の表情は、見た事が無い程の苦渋に満ちていた。

 「君は帰ってなくて、俺があの部屋で使う物が全部捨ててあった。俺もワケが解らなくて待ってたんだけど、君は・・・朝まで帰ってこなかった。俺が行ったのは真夜中だよ。寝ようとしたけど気になってしょうがなくて眠れなくて、どうにもなんなくて出かけたんだ。もう2時位だったと思う。そんな時間に帰って無くて、俺のもの全部捨てて、別れる気が無いって言われても・・・そんなのさ、変、でしょ。」

 泣いてるような声が辛くて、春歌の目から涙が零れる。
 自分が音也を苦しめているのだと判る。自分は甘かったのだと思い知る。

 先輩だから大丈夫とか、トキヤに限って何かしてくるなんてありえないなど。自分に都合のいい思い込みと油断で、好きな男をこんなに悲しませるなど、なんて愚かなのだろうと今更ながらに痛感していた。打開策も見つけられない無力な自分は、音也以外の誰かと接触するべきでは無かった。

 もう、遅いのだろうか。
 今から、音也に2度とこんな事はしないと約束して貰うのは不可能なのだろうか。

 
 身勝手な期待を抱く春歌の涙も見ず、相変わらず視線を逸らしたままの音也が、息を吸い込んで思い切ったように言った。

 「ね。本当はどういうつもりで捨てたのか教えてよ。」

 彼の語尾が震えた。
 別れるというのは、彼にとっても悲しいのだと判り妙にほっとする。その一方で、彼が悲しいと思ってくれている今、誤解を解かなければと春歌は思った。

 「音也くん、本当に私が捨てたんじゃないんです。それだけは本当です。本当に、私が帰ってきたら捨てられていたんです。」

 「だったら、それが本当なら、あの部屋に、俺以外の誰かも入れるって事だよね。」

 「そんな筈ないんです、だから、だから私、怖くて・・・!」

 「君はあの夜どこに居たの? 俺は・・・。」

 音也は言葉を切って、唇を噛んだ。
 顔を手で覆い、嗚咽でも洩らすような有様で言葉を絞り出す。

 「俺は、君じゃないなら、君と一緒にあの時居たヤツしか、あんな事しないと思ってるんだ・・・だって、だってそうだろ! 俺以外は部屋に入れない筈なんだよ、だったら君が誰かを部屋に入れたとしか考えられないじゃないか!」

 「違います! そうじゃな、ひっ!」
 
 思わず音也の腕を取ろうした春歌は、だんっ! と大きな音を立て烈火の勢いで机に拳を叩きつけた音也の激情に身を竦めた。
 振動で椅子が揺れる。
 
 まるで激しい運動でもしたかのように大きく肩を上下させて息をする音也を見るのは、心臓が縮む思いだ。

 音也がもう一度、今度は軽く机を拳で叩いた。

 「・・・なんですか。これ。」
 
 さっき拳を叩きつけたと思ったのだが、違った。
 音也は、春歌の前に何かを突きつけたのだった。

 「見ればいいよ。」

 「・・・。」

 ぐしゃぐしゃに握り潰されたそれは紙だった。
 音也の露わな感情が恐ろしくて、春歌はそれを手に取る事が出来ない。

 「今朝、俺の部屋のポストにあったんだ。郵便で送られてきたんじゃない、誰かが持って来たんだ。」

 音也に強い目線で促され、泣きそうな気持ちでそれを手に取り、ごわごわになった紙を広げる。
 よく見るとそれは封筒だった。酸欠で停止しそうな頭を必死に保ちながら、春歌は封をあけた。元々糊付けはされていないようだった。

 見てすぐはなんだか判らなかった。
 中に入っていたのは写真だったのだが、酷く画像が荒くて、人物と背景の境目も一瞬では判別出来ないような代物だ。

 だが、数十秒見詰めていた春歌の顔から、さあっと血の気が引いた。

 「そこ、どこなの。」

 「これは・・・!」

 車の助手席を降りる女の手を取る男と。

 降りた後だろう2枚目は、腰に手を回されて、男に寄りかかるように歩く女と。

 自分の姿に目が釘付けになる。
 事情を知らない人間が見たら只の恋人同士だ。まさか体に卑猥なモノを埋められているせいで上手く歩けず、よろけそうになって腰を引かれていたとは推測及ばないだろう。

 近しい人間ならなんとか、嶺二と春歌だとギリギリ判別出来る程に画像が酷いが、間違いない。あの夜だ。あの夜、嶺二のマンションの駐車場で、建物に入るまでを撮られていたのか。

 

 誰に?


 「誰が・・・。」

 思わず呟いた春歌の質問を、音也は一蹴した。

 「嶺ちゃんはアイドルだよ。そんな写真、いつどこの週刊誌が狙ってたっておかしくない。そんな事どうだっていいんだ。俺は、そこがどこなのかって聞いてるんだ。」

 音也の静かな怒りに、春歌は咄嗟に真実を口にしてしまう。

 「違うんです! 寿先輩のおうちで打ち合わせする事になって、でも、私、お部屋には上がってません! 本当です!」

 心の中で、しまったと思った。
 家に行くなど、なんて愚かな真似をしたのかと罵られればまだいい方で、彼は深く傷つくに違いない。それこそ罵倒され別れられても文句が言えない位、しないでくれと念押しされたそのものずばりをしてしまったのだから。

 それでも言わずには居られなかった。打ち合わせをする為だけに自分は行ったと、他意は無かったと。もっと言えば、先輩である嶺二に逆らう訳にはいかなかったのだと、それだけは伝えたかった。

 より隠したい事実を守る為とは言え、とうとう黙っていた一部を言ってしまった事に胸の動悸が収まらない。
 このまま、総てありのままを話してしまおうか。その方がきっといい。彼はきっといつか許してくれる。いや許して貰えなくとも、自分の意思で音也を裏切ったのでは無いのだと、それだけは伝えたい。

 「音也くん、私、私、本当は」

 「聞きたくないよ!」

 「聞いて下さい、寿先輩にわたしっ!」

 「なんで嘘つくんだよ!」

 「嘘なんてついていません、だって」

 「どう見たって嶺ちゃんちじゃないだろ、その写真は!」

 
 
 思考が止まった。
 
 

 「――――――――え?」

 
 もう一度、写真にゆっくりと目を落とす。
 どこから見ても、あの日の自分だ。あの日の嶺二だ。あの日乗せられた、嶺二の車。

 「どこのホテル? 俺、いつから裏切られてたの?」

 「そんな、違う、違います、そんな・・・。ここは寿先輩のおうちで、だって。」

 「違うよ。嶺ちゃんちは何度も行ってるから知ってる。あのマンションの駐車場はそんな造りじゃない。見れば判る。」

 怒りを通り越したのか、音也は少し笑顔だった。
 絶望したような哀しげなその笑顔が春歌の心を切り裂くのだが、先ほどの彼の言葉に先に神経を貫かれていて、周りの景色もよく見えなくなっている。

 嶺二の家ではない?
 では、あれはどこだ。確かにエレベーターに乗って運ばれたあの玄関は、一体どこなのだ。

 「待たせたなー。」

 がちゃりとドアが開いて、龍也が戻ってきた。

 「すまん待たせちまったな。予想外に話が長引いてあの担当、ほんっと細かくてイヤになるぜ・・・って、ああ、すまん愚痴った。気にしないでくれ。」

 ぼりぼりと頭を掻きながら呑気に喋る龍也のせいで、さっきの音也の言葉の真偽を確認出来ない。
 まだ聞きたい事も、言いたい事も山ほどあるが、音也とこれ以上ここでさっきの話を掘り下げられない。
 
 「七海、じゃあ頼むな。なに、まだ時間はあるんだ。じっくりやってくれ。」

 何も知らない龍也が、ニコニコと春歌に笑顔を向ける。

 「・・は・・。あ、はい、ありがとうございました。…失礼します。」

 諦めた春歌は、予め録音されたような機械的な挨拶を口をすると、一礼した。

 「おう、気をつけて帰れよ。さて一十木、例の映画の件だけどな・・。」

 龍也の声を聞きながら部屋を出る。

 ドアが閉まる前、音也が呼ばれたのは映画の件なのだとぼんやり思った。
 少し前に長期ロケに出掛けていた分だろうと頭の片隅に浮かんだ。浮かんだだけで一瞬で消えた。

 心臓が激しく動いて止まらない。
 誰にも逢わないように、取り敢えず化粧室の個室に逃げ込んだ。

 広くない個室でぐるりと左右前後を見渡す。
 
 怖かった。
 次から次へと突きつけられる衝撃が。そして後から後から引っ繰り返されて打ちのめされるのが。閉じ込められた水槽で、誰かが外から水を大量に吹きかけたり増水させたり、水槽ごとひっくり返して一旦水ごと流し出されたりを繰り返されている気分だ。

 どれも死因にならない。
 悪意も憎悪も感じさせない。無機質にぬるく、そして手酷く自分を追い詰めるだけだ。発狂するのを待つように手を変え品を変え、驚かせて意識を揺さぶって来る恐怖。嶺二と一緒にドライブをしただけだったあの日から。

 ぐるぐると、今までの出来事が頭の中で高速で回り続ける。
 回り続けるのをなんとか止めようとする。まずは速度を落とそうとした。

 動悸が落ち着くまで待った。
 頭の中にはそれでも、溢れる疑問と考えられる可能性が走り抜けては浮かびぐるぐると回っている。

 (落ち着かないと、まずは落ち着いて。)

 過呼吸になりそうな呼吸を整え、心臓を窘める。
 しんと静まり返った水場であっても、落ち着きを取り戻すのはそれなりの時間がかかった。数十分、胸を押さえて立ち尽くしていた春歌が、やがて脱力して洋式トイレの蓋に力無く腰を降ろした。

 会話の内容に、精力を吸い取られたような気分だ。
 自分に与えられる情報と責め苦に翻弄された挙句、真っ向から否定され、身に覚えのない罪を着せられている。

 なんなのだ。
 次は、何が来る? 嶺二の辱めか。トキヤの苦しい愛情か。音也との諍いか。次こそ、致命傷を受けるのか。春歌にとってそれは音也との別れに他ならない。神経が絞られるように萎縮する。手探りでも進めない道の無い奈落にいるようだ。

 あれは、どこなのだ。
 自分は嶺二の家だと信じて疑わなかったが、音也は違うと言う。あの様子で音也が嘘を言ってると思う人間は居ないだろう。自分は嶺二の家を知らないし、初めて連れていかれて周りの風景も道中の景色も覚えていない。


 じゃあ、あの部屋は?

 「まさか・・・。」

 昨日見た幸せそうなトキヤの顔が思い出される。「酔っぱらった君を寿さんが連れてきた。」 彼は確かにそう言った。

 自分は信じていた。あまりにも予想外の人物が隣に居た所為で、あらゆる事が頭から吹っ飛んでしまった衝撃で、言われた全部を鵜呑みにしたのだ。トキヤの人柄に疑いを見出さなかった。

 (私は最初から、移動なんかしていないんだ・・・。多分、一ノ瀬さんが、あの部屋に来たんだ。)

 どうして?

 ずっと、どうしてという気持ちに翻弄されている。
 嶺二の真意も測りかねていたが、ここへきて、どうしてトキヤが嘘などついたのか。全く判らない。大体、だとしたら、嶺二とトキヤは何をどういう理屈で繋がっている?

 持てる力総てを脳を回転させる為に使っていた春歌は、突然鳴った電子音に肩を大きく揺らして驚いた。

 携帯電話の呼び出し音だった。
 慌ててバッグから携帯電話を取り出す。ディスプレイに表示されていた電話の相手は

 「一ノ瀬さん・・・!」

 春歌はあまりに驚いた拍子に個室から出ていた。人間は咄嗟の拍子に無意味な行動を取るとどこかで聞いた話をチラと思い出しながら、疑念を抱いた瞬間にかかってきた電話を禍々しい物のように見る。
 
 輪郭を掴みかけた謎がハッキリするかもしれない未来が怖くて、すぐにはボタンが押せなかった。
 
 十回ほど鳴ったコールが切れた。
 なんとなくほっとしたのも束の間、10秒もしないうちに、もう一度同じ相手からの呼び出し音が鳴り響く。

 迷った末、切れる寸前で春歌は決意した。


 通話ボタンを押すと、長方形の小さな端末から、聞き覚えのあるトキヤの声が流れてきた。

 「私です。すいません、出るのが大変な時でしたか?」

 「いえ、大丈夫です。あの、な、なんでしょうか。」

 「そうですか。少し出るのに時間が掛かっていたようですけど、大丈夫ですか。・・・申し訳ないのですが、今から時間はありますか。」

 聞える筈がないのに、トキヤに自分の心臓の音が聞こえてしまいそうな気がして春歌は胸を押さえた。鼓膜の隣に動脈があるかのような体内の振動。胃が口から出そうな圧迫感と緊張に塗れながら、春歌は口を開いた。

 「あ、はい、時間はあるといえばあるんですけど・・・あの、一ノ瀬さん、今、どこに居るんですか。」

 「事務所です。」

 「えっ。事務所って、事務所ですか、シャイニング事務所にですか。」

 やはり落ち着いてはいない為、下らない聞き方をしてしまう。無意識に歩を進めた化粧室内の洗面台前にある鏡の前で、蒼白になった自分の顔に思わず見入った。
 
 自分の後ろが映る鏡の端に意識が行く。

 廊下が見える。

 
 「え・・・?」

 
 廊下など、なぜ見えるのか、女性用化粧室そのもののドアは閉められている筈なのに。
 
 影が、動いた。

 目が覚めてトキヤが隣に居たあの時も驚いたが、今度こそ春歌は言葉にならない悲鳴をあげて腰を抜かした。

 人の形をした黒い何かが、ゆらりとドアの傍から動いて、驚き過ぎて瞠目している春歌に近付いた。

 影は、素早く携帯電話を春歌の手から取り上げると通話を切り春歌の口を塞いだ。

 
 「声出さないで。おいで。今すぐ。僕と一緒に。来ないと、もっとすごい写真をおとやんが見る事になるよ。」

 無色で無機質な、多少焦っている以外何も浮かべていないその声が、春歌の神経と背骨の中に冷や汗を流し込む。足が竦んで喉が攣り、春歌はもう動けない。音也の名前を出されて頭は真っ白だ。

 位置的に春歌から顔は見えない。だから彼がどんな表情をしているのかは見えない。だが声で解る。この男が誰なのか。解るから余計に恐ろしい。ここへきて元凶にまた舵を握られたと、絶望に似た悪寒がする。口を塞ぐ大きな手が鼻にもかかり息が苦しくなる。前が見えなくなる。

 ガチガチと鳴りそうな歯も、言葉にならないうろたえも、みっともない様のまま。
 
 這うように歩くのが精一杯のまま、春歌は完全に判断力を抜き取られてしまった。自身の処理能力の限界を越えてあわあわと戦慄くのだけの塊になった春歌を嶺二は、引き摺るように事務所から連れ出した。






              

              To Be Continued・・・









 
 

 

 

Russian roulette 8

 


Russian roulette
         vol.8


 

 

 
 乗り込んだ車の中で、春歌は顔面蒼白で自分の身体を抱いていた。
 頭を殴られるような衝撃が巨大スクリーンで幾重にも目の前に繰り出される。永遠にそれが終わらない錯覚。

 無言でハンドルを操る嶺二が、信号待ちの度に春歌を引き寄せ髪を撫でる。
 その手は不気味なのだが慈愛に満ちていて、益々春歌を混乱させた。

 連れてこられた先は、この前の建物ではなかった。
 そこの駐車場でやっと春歌は、まともに口が利けたのだった。

 「ここは、どこなんですか?」

 震えが収まり、それでも怯えが顕著な目で尋ねる春歌に優しく微笑み、嶺二が答える。

 「僕んち。」
 
 「本当ですか・・・。」

 「本当だよ。さ、とにかく降りて。美味しいお茶をおにーさんが淹れてあげよう。」

 「い、要りませんっお茶なんて!」

 嶺二に渡される物を飲む。
 それがイコール災いだと覚えた春歌は、また頭を撫でようとした嶺二の手を思い切り振り払う。
 
 「帰して…いやです、もう私を家に帰して下さい! なんなんですかこの間からずっとこんなっ、一体何がしたいんですか! 私が、私が何をしたっていうんです、なんでこんな嫌がらせみたいな、どうして、何なんですか!」

 心細さが感極まってぼろぼろと涙を流し始めた春歌を、ぎゅうっと抱き寄せた嶺二が温かい声で言った。

 「ほらほら、落ち着いて。大丈夫。僕は君を傷つけたいわけじゃないんだ。」

 泣く子供をあやす仕草で彼は続けた。

 「ね。色々聞きたいなら、いい子でついておいで。教えてあげる。」

 驚いて、溢れる涙そのままに目を見開き自分を見上げた春歌を、嶺二はそっと腕から離し、そして車のドアを開けた。




 

 「だからー。本当に大丈夫だっていうのに。僕ちん信用ないなあ。」

 「信用なんかあるワケないじゃないですか・・・!」

 徹底的な不信と憤りを込めて、春歌は言い返した。
 嶺二の淹れた紅茶が、甘いフレーバーの湯気を立てて春歌の目の前に置かれていた。

 どうしても飲む気になれない。今度こそどうなるか解ったものではない。

 嶺二は少し離れて隣にどっかりと座り、コーヒーを一口含む。
 世間話のついでのように、彼は春歌に言った。

 「ねえねえ。トッキーに何回されちゃったの? どんな風にされたの? おとやんとドッチが良かった?」

 自分が動物だったら、今全身の毛が逆立ったに違いない。
 春歌の嫌悪は相当で、向けた視線に一瞬嶺二が苦笑いをした程だった。

 「そんなに怒らないでよ~。っていうかほーんと君、解りやすいね~。やっぱりヤラれちゃったんだ。そうかあ。」

 少しの間、嶺二が思案気な顔をする。
 面白がってる様子はなく、どちらかと言えば不機嫌そうだった。嶺二は、トキヤが春歌に何をしたか知っていたのではなくて、単にカマをかけられたのだと春歌は気付いた。しかし、カマをかけられる理由が判らず、じっと嶺二の顔を見る。

 春歌の視線が探るような気配なのに気付いた嶺二がふっと笑う。

 「だからほんとさっきも言ったでしょ、別に僕は、君を傷つけたいとは思ってないよ。トッキーがそうしない保証も無かったけど・・・そうかぁ。ちょっとトッキーを信用し過ぎちゃってたかな。意外と我慢が利かないねえ。」

 一瞬で纏う空気を変え、いつもと変わらない飄々とした仕草で話す嶺二がカップをテーブルに置く。
 先輩の笑顔でもう一度春歌を見て、視線を前方に移す。


 「ガス燈。って映画、知ってる?」

 「は。」

 春歌は突然ふられた話題についていけず、間抜けた返事をする。
 嶺二はのんびりと話を続けた。

 「往年の大女優・イングリットバーグマンが、アカデミー主演女優賞を取った映画なんだけどね。映画の中で、バーグマンは夫に色々嘘をつかれたり、奇妙な仕掛けをされたりして、段々精神的に追い詰められていく。この映画から、心理的虐待の事を、ガスライティングっていうようになったんだって。」

 ぴくりと、春歌の片眉が上がる。

 「ガスライティングっていうのは結構面白くてね。心理的虐待と言っても綿密には、例えば君が僕に、お前が嫌いだ、死んでしまえと言い続けるのとは違うんだ。」

 春歌は、黙って嶺二の話を聞いていた。
 
 「昔、美しい有名女性奇術師が社会主義共和制国家の独裁者に気に入られ、国に招待されてショーを行った。彼女は現地で原因不明の病に倒れ帰国が遅れたばかりか、帰国してからも、持ち物をすりかえられたり、盗まれたり、身近で奇妙な事件が連続した。さて、彼女の周りで起こったおかしな事件の犯人は誰だと思う?」

 嶺二が問いかける。
 春歌は、真面目に返事をした。

 「有名女性奇術師を気に入ったっていう、その国の、独裁者・・・?」

 ふふん、と嶺二が笑う。
 決して馬鹿にしてるようではなかった。どちらかと言うと、何も知らない新人にいろはを教える先輩になったばかりの得意気なかおだ。

 「無理さ。独裁者は国のトップ、大要人だ。おいそれとたかが女1人を追って国を出られない。女性奇術師も有名人だ。そうそう甘いガードじゃない。それに。」

 嶺二が又コーヒーを一口飲む。
 春歌も、つられてお茶を飲んだ。警戒心が薄れる程、嶺二の話はこの場には突飛で奇っ怪だったが興味を惹きつけられた。

 「どの事件も、彼女が出掛けてる少しの隙に行われていて、場所も違う。一人の犯行じゃない。あくまで推測だけど、その国家そのものの仕業だと言われているよ。」

 「国家・・・。」

 「ガスライティングの定義は様々だけど、まず一つは嘘や目晦ましを多用している節がある。もう一つはこの奇術師のように、物をすり替えられる程度の嫌がらせが続くってコト。命に別条は無い。原因不明の理由で倒れても、帰国が遅れた程度で済んでる。」

 春歌の喉が上下する。
 思い当たる出来事が頭に浮かんで渦になる。

 「重傷を負うとか、生命の危機は無い。身に覚えの無い事を言われる程度。だけど、やられた当人は気持ちの上で相当なダメージを受ける。そんな風に次から次へと奇妙な事が起こって、まるで自分がおかしいのではないかと判断力を狂わされて精神が破たんしていく。ガスライティングは主にそういう手法を指すらしい。ちょっと面白そうだなって思ってさ。実際ホントに、そんな風になるもんなのかなあ、どんなもんかなーって、試してみたかったんだよね。聞いてる分じゃ、稚拙っていうか、本当にそんなんで人が壊れるの? って感じじゃない。」

 それを、私に聞かせてどういう反応をしろと言うのですか。と、春歌は目で訴えた。
 嶺二がそれを受けて口角を上げて見せる。

 彼はずっと微笑んでいる。それが不気味なのだと、春歌は心の中で詰った。

 「ある日、仲がいい程度の先輩に本気かどうかわからないお誘いをされて、別の日には突然襲われて、だけど最後までされなくて。恋人に疑われて。そんで次は玩具なんか入れられてアヤシイ薬盛られて。気が付いたら知らない部屋のベッドの上で、隣にはそれまで自分をからかっていた奴とは別の男が寝てました。って、どうだった。結構、キツかったでしょ。自分がおかしくなったと思っちゃった?」

 茶目っ気たっぷりの嶺二のウインクで、春歌は体中の正体不明の濁りを一瞬で怒りに変化させた。

 「ふ、・・・ふっ、ふざけないで!」

 全身を占めた怒りで頭が沸騰した春歌は喉の奥から嶺二に罵声を浴びせた。勢いで立ち上がり、爪が喰い込んで痛くなっても握りしめた拳を解けずにない。

 「そんな、そんなどうでもいい事を試す為に私をあんな目に遭わせたんですかっ! 最低! 私が、どんな気持ちで、大体、だったらどうして音也くんの物を捨てたりしたんですか! 音也くんは関係無いじゃないですか! どうして私で試そうと思ったのか知りませんけど、音也くんまで巻き込むなんて、ひどい、なんて事してくれたんですか! もう私は音也くんに嫌われて、もう別れるしかない、あなたのせいで、あなたのせいで私は・・・わ、わあああああああああん。」

 堰を切った感情が激流として溢れ出し、春歌は大声をあげてその場に泣き崩れた。
 嶺二が、わあわあと声をあげて大泣きする春歌を抱きあげて、自分の膝に乗せ優しく抱き締める。 

 「さわ、らな、で・・・!」

 しゃくりあげながら拒絶する春歌などお構いなしに腕に閉じ込め、嶺二がその頬の涙をそっと舐め取った。

 「後輩ちゃん泣かないで。僕は別に、君を傷つけたいワケじゃなかったんだってば。それは本当だよ。」

 「だったら、だったらなんで・・・ひっく、なんで・・・!」

 春歌の嗚咽は止まらない。
 ぼろぼろと流れる涙も止まらない。

 「あのさ。」

 嶺二が、取り出したハンカチで涙を拭ってくれる。

 「人って、単なる他人より、自分の好きな人に自分が嫌だと思ってる事をされると、めっちゃくちゃ傷つくんだよ。哀しくて、文字通り心が折れる。自分じゃない男と仲良くされて、しかも何度もされたらかなり凹むよね。疑いや不安が続くと、人ってホント擦り切れてくんだ。浮気してるみたい。でも証拠が無い。相手は明らかに態度がおかしい。そんな事が続いたら、どうしていいか精神的に八方塞になるよね。」

 嶺二のその言葉が耳に入って来た時、暴発した感情がばらばらと音を立てて自分に降り注ぐ中で、かちっと何かが填まる音を春歌は聴いた。
 
 涙が止まった。
 ゆっくりと、嶺二の腕から少しずつ離れる。目に映る嶺二は微笑んだままだ。後ずさる春歌を、彼は引き止めなかった。

 「私を傷つけるつもりじゃ、なかったって・・・それ、って・・・。」

 背中にソファの肘掛が当たり、それ以上後ずされないのを合図にしたように春歌は口を開いた。

 「私じゃなくて、私を、使って、って、コト・・・?」

 信じられないものを見たという目はこういう目なのかと、嶺二が感嘆の息を洩らす。
 春歌の凝視には、軽蔑、侮蔑、あらゆる蔑みが宿っていた。

 「私じゃなくて、音也くんを、傷つけたかったんですか・・・どう、して・・・どうしてですか・・・。」

 「どうしてかな?」

 ふふんと鼻を鳴らし、自分の髪をさらりと梳いた嶺二が、春歌をぐいっと引き寄せた。

 「そんなコト、どうでもいいじゃない。僕はもう十分話したでしょ。君の言う通り、僕の本当の目的は君じゃない、おとやんだった。君は辛い目に遭い続けても、それをおとやんに言えないだろう。だけど隠すのも下手だろうって思った通りだったよ。君の態度がおかしくなったから、おとやん精神的にヤラれてた。かなりへこんだおとやんを見れて、まあ満足だ。」

 「満足・・・? 満足、て・・なんて、人なの・・・。」

 「僕の目的はある程度達成。君に種明かしをしてあげた。それで?」

 何をどう詰られても、嶺二はどこ吹く風だ。
 掴まれた手首は、針金で巻かれたように痛い。

 「それで、って・・。」

 「これ以上、君に言わなければならないコトってある? 無いよね。」

 「あ、ありますよ! 一ノ瀬さんは、一ノ瀬さんはどういう、一体どうして一ノ瀬さんが嘘なんかついたんですか!」

 嶺二の笑顔は崩れない。だが、至近距離で彼を見ていた春歌の目には、彼の吐息が感情の揺れを現したのに気付いた。

 「そんなコトどうでもいいでしょ。」

 「よくありません! 答えて!」

 理由は解らなかったが、ここは畳みかけるべきだと思った。初めて捕まえた嶺二の感情の揺れを逃がせないと必死だった。解らない事はもう全部なくしたい。チャンスは今しか無い。彼はまだ何かを隠してる。

 「うるさい。まったく、優しくしてあげようと思ってたんだけど、聞きわけの無い子はどうしようもないな。」

 腕を捻りながら春歌をソファに押し付けた嶺二が、ここへきて初めて苛立った声を出した。

 「取り敢えず、僕の相手をしなよ。言う事を聞けば痛い事はしない。」

 「いやですっ、離して!」

 「悪いけど離す気は無いんだ。漁夫の利ってヤツは、自分以外が手にするのはムカつくからね。」

 言われた台詞に引っ掛かり、春歌が一瞬動きを止める。
 その数秒で、ショーツを引きずりおろされた。

 「やっ!」

 「暴れるならしょうがないね。でも、痛いのは最初だけだよ。」

 必死になって逃げようとして、思い切り足や腕を振り回したせいで、春歌はテーブルにあったカップを弾き飛ばした。
 甲高い音がして、テーブルにお茶が零れる。

 「あちゃー・・・あ、良かった、スマホにかかんなくて。割れなくて。」

 嶺二が、春歌の上にどっかりと座ったまま、無理気味な姿勢でスマートフォンを手に取った。
 春歌は動けない。彼の体勢が不安定になった機に乗じて暴れても、体の中心を抑え込まれていて逃げられるまでいかなかった。それどころか、逆にさっきとは違う位置から手を伸ばされて、足首に引っ掛かっていたショーツを簡単に部屋の隅に放り投げられてしまった。

 「なん・・・どいて下さい!」

 「あー・・・しつこいなぁ、もう。」

 低い声で呟いた嶺二が舌打ちをした。
 尚も抵抗し続ける自分に向けられた言葉かと春歌は体をビクつかせたが、そうではなかった。嶺二は、画面を撫でながら眉を顰めていた。
 
 そして春歌に目を遣る。春歌は何事かと身構えた。

 無表情で数秒、春歌を見詰めた嶺二が、にっと笑った。
 
 「君は、なんだかどこまでも可哀想だね。運命?」

 「・・・?」

 言いながら何やら指先を動かしていた嶺二が、端末を耳に当てる。

 「ああ、僕。どこ・・・そ。今すぐ開けるよ、待って。」

 短い通話を終えて、そのまま春歌から退いた。そして壁に掛かったインターフォンを何やら操作して玄関へ向かう。春歌はぽかんとその後ろ姿を見送っていたが、はっと気付いてバッグ探した。部屋に来る時、嶺二が持ってきてくれていた筈だったからだ。中には携帯も入っている。見つけて引っ掴み逃げようとした所で、嶺二が戻って来た。

 「お待たせーごめんねー。」

 その声が春歌の頭を素通りしていく。足が地面に縫いつけられたみたいに動けなくなった。
 
 嶺二の後ろに、トキヤの姿を見たからだった。

 「やっぱりここに居たんですか。・・・探しましたよ。まったく、携帯もインターフォンも切るなんて・・・。」

 「一ノ瀬さん・・・。」

 今この場面で、嶺二があのような会話をする相手はおそらく、とは予想していた。だが、いざ目の前に予想通りの回答が現れても、やはり春歌には驚きがあった。

 さっきの嶺二の説明では、どうしてトキヤがこの台風の中に居るのか解らなかったからだ。関係性が見えないのだ。

 「あれ、帰る気?」

 春歌がバッグを手にしているのを見た嶺二が、訝るでも不機嫌になるでもなく、淡々と問いかける。
 我に返った春歌が動き出すのと、左右から腕を取られたのが同時だった。

 「帰れると思ってるトコロがほんとーに・・・。」

 愛しいものを見るような目で、嶺二がそんな春歌に苦笑する。
 春歌の右手首を握る嶺二が、バッグを抜き取る。

 「今ココから帰っても、トッキーに拉致されちゃうよ。だったら、僕と一緒に居た方がいいと思わない? なんたってトッキーは、協力するような顔して、最初から君を独り占めする為に僕を利用しようとしてただけ。っていうズっルーいヤツなんだからさ。」

 「人聞きの悪い事を言わないで下さい。」

 トキヤが、むっとした目線を嶺二に向ける。

 「ほんとじゃーん! 僕ちんは、別にこの子をどうこうしたいんじゃないから、怪我とか絶対させないでねって言っておいたのにさ。」

 「怪我などさせてないでしょう。」

 「いや骨折とか捻挫はしてないけどさ、穴だらけにするってどうなの。暴行って単語はニュースで流れる時に性的な意味も入ってる時があるでしょ。それと一緒!」

 「・・・彼女も同意の上ですよ。」

 チラリと自分を見たトキヤのその言葉に、春歌は一瞬頭が真っ白になった。
 同意とは。
 いつの事だ。意識が無かった夜のうちを指すのか。それとも、混乱極まって碌な抵抗もしなかったあの目覚めた後のコトなのだろうか。

 だが嶺二が、春歌を引き寄せながらトキヤに言い放つ。

 「抜け目無いなぁ、ちゃっかりどっかでそう言える既成事実まで作ってるもんなー。何をどう上手くやったか知んないけどさ、そもそも最初が嘘なんだからダメでしょ。」

 「寿さん!」

 嶺二の言葉をトキヤが遮る。
 春歌は二人を見比べて、出てくる言葉を待つだけだ。

 「ねえ、君が最初に目を覚ました時、トッキーは君に何て言ったの? 君がトッキーとあの部屋で寝ていた状況がどうして起こったか、なんて説明したの?」

 「え・・・。」

 「寿さん! そんなコトは今更どうでもいいでしょう!」

 「えーそうかなーこの子はどうでもよくないみたいだよー? 僕ちんも観念して、色々喋っちゃったもん。」

 「な・・・! 何を話したんです。どこまで・・・。」

 明らかに狼狽えたトキヤの手の力が強まる。
 春歌は左手首の痛みに顔を顰めた。

 「わ、私は、私は酔っぱらって、一ノ瀬さんに逢いたいって言ったって、聞いてますけど・・・違うんです、か。」

 春歌が、恐る恐る嶺二を見上げる。
 嶺二は顔色ひとつ変えない。

 「まあまあ、こんなトコで立ったまま話すのもなんだし。リビングに戻ろうよ~。」

 「戻りませんよ、私は彼女を連れて帰ります。」

 「あのねえトッキー。帰るってなに。もう今更この状況で、トッキーの思い通りに行くと思ってるの?」

 「っ。」

 「大体ねえ、今からイイトコだったのに中断されてるワケよ僕たちは。ねぇ、後輩ちゃん?」

 ぺろりと、嶺二に唇を舐められた。

 「なっ!」

 トキヤと春歌が同時に声をあげた。嶺二を非難する声だ。そんな2人を尻目に、嶺二が春歌のスカートを捲り上げた。

 「あっ! やだっ!」

 「やっぱりー。そんなヒマ無いと思ったんだよねー。パンツ履くより逃げる方が大事だったんだねえ。」

 咄嗟に隠してももう遅かった。 
 トキヤに一方の手を掴まれているせいで、余計に隠しきれない。

 「・・・君・・・。」

 トキヤが驚いたのが解って、泣きそうになる。
 誰が見たって驚くだろう。下着を着けて無い自分が可哀想でならない。

 「準備出来たトコだったのに、お茶がねー。音もバイブも消して無視しようと思ってたんだけどねー。お茶がねー零れてねー。やっぱ光ってるのが目に入ったら、履歴確認しちゃったよ。仕事の習慣って怖いね。」

 嶺二が冗談めかして言ってる台詞も、既に春歌しか目に入ってないトキヤには雑音らしかった。
 トキヤの視線が恐怖で、春歌は体を捩って嶺二に涙声で離してと叫ぶ。しかし力の差が歴然でどうにもならない。

 「寿さんに、触らせたんですか。」

 「ちがっ、とにかく離して下さいっ!」

 反論した春歌の脚の間に、徐にトキヤの指が触れた。

 「やっ!」

 「触らせたかどうか聞いてるんです。」

 探るように肉を割る指から逃げるが叶わない。
 嶺二が後ろから春歌を抱えるようにして、首筋にキスをしてきた。

 「っひ、やめっ、イヤ・・・!」

 「寿さん、彼女に触らないでくれますか。」

 春歌の秘所を擦る指を休めないまま、トキヤが棘のある声で嶺二を牽制する。
 だが嶺二はお構いなしに、春歌の耳朶を食み、服の中に手を入れて胸を揉みしだいた。

 「やめて、やめてえ。」

 2人がかりの快楽の暴力で、春歌の身体は気持ちとは裏腹に陥落寸前だ。

 「どうして寿さんに触られて、溢れて来てるんです。」

 「えーそうなの。僕、結構好かれてるのかなぁ。嬉しいから、サービスしてあげちゃおうかな。」

 「しなくて結構ですよ。私がしますから。」

 さっきより険呑な声で、トキヤが嶺二に言葉を投げつける。
 嶺二はそんな彼を挑発する目的で春歌の顔を舐めると、きゅっと彼女の胸の先端を力を入れて摘んだ。

 「っあああっ、イヤ、あああっ。」

 一際大きく啼いて腰を撓らせた春歌の胸の先端は、それでも解放されなかった。続け様に流される快感に、最早喘ぐしか術の無い春歌を腕に抱えたまま、嶺二がゆっくりと言った。

 「そんなに気になるなら、自分で確認すれば。奥まで拡げて、僕のが残って無いか試しに掻き出してみなよ。それか、中がこないだと違うカタチになってるか実際にヤってみればいいんじゃない。ま、僕は潔白だけど。」

 トキヤに下肢を、嶺二に上半身を絶えず愛撫され、快楽に負け崩れ落ちる身体が恨めしい。だけどその気持ちすら真っ白になっていく頭にかき消される。

 「と・り・あ・え・ずー。」

 嶺二の声が3人の間を抜ける。

 「僕が楽しむから待っててくれる? それとも、後輩ちゃんを検分したい? どっちかに決めてよ。3秒で。」

 トキヤが、呆れた色の息を洩らした。
 
 「どうして貴方を楽しませなければならないんです。検分しますよ。薬を飲ませないなら、彼女が暴れないように抑えてて頂けますか。」




            

           

        
               To Be Continued...






  

 

 次回9話は、1月18日頃更新予定です。予定ですので、遅れたらゴメンナサイ~。




 
 
 
 
 

Russian roulette 9

 

 

Russian roulette       
           vol.9

 

 




 

 検分という彼らの言葉は的確だった。
 
 
 ソファに座らされ、上半身は後ろに回った嶺二に固定された。

 「い、いや、イヤ・・・。」

 冷たい表情で、剥き出しの下半身に触れてきたトキヤの指がナイフのようで、その温度の無さに身体がガチガチに固くなる。床に膝をついたトキヤが春歌の脚を大きく開かせ、中心をゆっくり捲り眺める。

 「トッキーさぁ、そんな怖い顔でしてて楽しいの。春歌ちゃん泣いちゃってるよ。もっとお互い気持良くやんないと。ね。」

 「うるさいですね。・・・一応、腫れてないみたいですが。」

 「おっ、僕の無実が証明されそう?」

 「何を馬鹿な事を・・・。どういう了見で今更無実だなどと、本当に図々しさが常識外ですね。」

 「えー? だってだって、春歌ちゃんのレイプに関しては僕は無実だもん。トッキーみたく騙してヤってないもん。突っ込むなってのに、どーせ中に出したんでしょ。怖いねえ全く、男の嫉妬は醜い。」

 嶺二がケラケラ笑っている間も、トキヤの指は動き続ける。
 壁をなぞり、花芽を引っ掻き、春歌は唯一自由になる腰をがくんがくんと揺らしながら大きな声で喘いだ。弱い部分を正確に触れてくるトキヤが、自分を追い詰める。

 「嫉妬で彼女が手に入るなら、幾らでもしますよ。・・・んっ。」

 「ひっ!」

 花芽に熱い息がかかったと思った途端吸い上げられ、春歌はとうとう一瞬気を遣った。

 「あ、多分イったかも。戻っておいで。」

 「ひぁああ。」

 嶺二がからかうように胸の先端をぎゅっと摘む。痛みギリギリの刺激に春歌は引き戻される。

 「君さ、もっと色々警戒したら? 確かに夜と朝じゃ景色が違うし、玩具入れられてまともに景色も見れなくて、気付く可能性が少ないとは思ってたけどさ。それでも玄関通って、エレベーター乗って、少しも似てるなーとか、見た事あるなーとか思わなかったの? 知ってる人間ってのが安心の理由にはならないって覚えておいた方がいい。これからは気をつけなよ。」

 こんな場面で、諭すかのような嶺二の物言いが不思議だった。まるで気遣いだ。だがそんな気持ちもすぐ消される。トキヤが指を中に2本入れてきた。そしてまた芽を、今度は舌で撫でるように構う。

 「やめ、も、あ、あ、やめっ・・・。」

 先ほどのような強い刺激ではないにしろ、連続して腰に快楽の波が間髪入れずに訪れる。頭が霞む。嶺二が、春歌の胸を好き放題に弄りながら、耳元で囁く。

 「ね、トッキーはね、僕が君とおとやんを別れさせようとしてるの知ってね、協力するって言ったんだよ。君が好きだから。」

 春歌の熔ける頭に、嶺二の言葉がダマとなって浮く。

 彼は今、これまでとは違う単語を使った。 

 別れさせる?
 
 なぜ?

 単に嫌いな女にいやがらせをしていたのではないのか。そこから先がいつも解らない。彼は一番大事な何かを言わないでいる気がしてならない。

 そしていつも、快楽で溺れる寸前で息も絶え絶えな時にしか、そこに繋がりそうな台詞を口にして貰えない。今回もまた、胸に膣内に流される快感ずくめの愛撫に脳が弾け飛ぶ。

 
 「ガス燈のバーグマンみたいに君がおかしくなったら、自分だけは味方だよって顔して、君を囲っちゃう気だったんだよ。あのジェリービーンズを僕にくれたり、君を帰りに攫おうとしたり、酷いコトばっかりしてさ。悪い男だよね。」

 自身の耳にも聞えているだろうその密告を、トキヤは遮らなかった。
 ここまできて無駄だと思ったのか、春歌の蜜の元の検分に余念が無いのか、舐めるのに夢中になっていた。


 快感で朦朧とした頭で、この間の嶺二の台詞を思い出す。
 「このテの話で冗談を言わないヤツが言っていた。」 彼は、あのジェリービーンズが何なのかを説明した時、確かにそう言った。冗談を言わないような人物というのは、トキヤを指していたのだと春歌は知った。

 「だけど、僕は出来るだけ長く楽しみたかったからさ、我慢しろって言っといたのに、犯しちゃうもんなあ。」

 「仕方無いでしょう。好きな女性を前にしてあの状況で理性が保てる若い男は天然記念物ですよ。」

 それを聞いて、ムっとした調子でトキヤが言い返す。
 会話が進むも、2人とも唇も手指も春歌を弄んだままだ。そのせいで春歌はまた気を遣り、2人の声が遠のいてしまう。

 「だからって、気が急ってもう写真を送っちゃダメだって。もっと長く根気よく追い詰めるつもりだったのになあ。計画台無し。」

 嶺二が春歌の耳を、熱い息ですっぽりと覆う。
 春歌の背面の総てに、ぞわっと目の眩む枝が走る。

 「あれを送ってさっさとおとやんに別れる決意をしてほしかったんでしょ。彼女に何て言ったか知らないけど、おとやんさえ別れを切り出してくれれば、このまま自分のモノに出来ると思ったんでしょ。」

 嶺二の、答えを知ってる上での質問に、トキヤはチラリと視線を送っただけで答えない。
 そのまま立ちあがり、すっかり意識が蕩けて息が上がり、自分に降りかかった災厄の裏の事情の受け入れ難さに思考が止まっている春歌を見下ろして、自分のズボンのベルトに手を掛けた。

 「ちょっとトッキー、僕まだ一度も彼女とヤってないんだけど!?」

 「そのようですね。安心しました。もうそこまで力を入れて抑えずとも、逃げる気力も残って無いでしょうから、彼女から離れて下さい。」

 「ひど・・・どうなのこの先輩の扱い、無いね、ホント。」

 だが名残惜しさも無さげに、嶺二が春歌から離れる。
 ずるりと、春歌の身体がクッションに身体が沈んだ。

 「一ノ瀬さ・・、本当は、私、ほん、とは、逢いたいなんて、好きだなんて、言ってないんじゃ・・・。」

 それだけ問うのが精一杯だった。春歌にとって、今呆ける頭でも捨てられない、音也に対するせめてもの操だ。
 力が抜けて動くのも上手く無い春歌を、トキヤが目を細めて見詰めた。

 「言いましたよ。」

 「どうなのそれ。あれを、言ったって言ってもいいもんなの?」

 「言った事実に間違いはありませんよ。逢いたいと言ったから運んだという部分は嘘ですが、言うのは言いましたよ、間違いなく。どんな誘導尋問であれ、ね。」

 「誘、導・・・。」

 「あの部屋は、元々君に度々ちょっかいをかける事になるからと、2人で借りておいたんです。私は君たちより前に到着していた。玄関先で長く話していたんで出て行くべきか迷っていました。寿さんがあの薬を君に上手く飲ませられなかったら、私も出て行かないといけませんでしたが、まだ最初の段階で私の存在がバレない方が都合が良かったんで、ギリギリまで待ちましたよ。」

 春歌の問いかけの後、2人の手は止まっていた。
 そのおかげで多少正気の戻った春歌がトキヤに縋り付く。怒りと、悲しみと、不安とが綯い交ぜになった顔で。

 「なんでですか・・・、なんで、どうし、て。こんなことっ・・・!」

 「・・・。」

 トキヤはその時少しだけ息をつめたが、考えを巡らせている訳では無さそうだった。
 揺るぎない回答を言おうかどうか迷ってる訳でも無く、ただ、知らせる程のモノではないとでも言いたげな顔だった。

 「君が欲しかった。音也が憎かった。それだけですよ。」

 淡々と、溜息混じりに言うトキヤに、春歌が尚も食い下がる。

 「わかりません、そんな、どうして・・・!」

 言葉がハッキリして来た春歌に僅かながら逃げる隙を与えた気がしたトキヤは、もうそこで春歌に喋らせなかった。
 床に引き摺り下ろして上に覆い被さると、抵抗する春歌に滅茶苦茶なキスをして、嶺二にもう一度春歌の腕をおさえてくれと頼んだ。

 「先輩使い荒いなーもう。」

 そう独りごちる嶺二は、言葉とは裏腹に妙に嬉しそうに春歌の手を一纏めに取る。

 「やめて、どうして!?」
 
 服を脱ぐトキヤに必死になって訴えかける春歌の頬を、嶺二が撫でる。

 「だから、トッキーの理由は本当にあれだけだよ。君が好きだから自分のモノにしたかったんでしょ。そこにどうしても何もない。人を好きになるのに理由なんて無い。勝手に惚れて、勝手に嫉妬してるだけだ。写真とか決定的な物証を突きつけるのはもっと後の予定だったのに、普段冷静なトッキーが焦る程、君を好きになってた、それだけのコトさ。」

 また嶺二の言葉に引っ掛かる。
 
 トキヤの理由はあれだけ? じゃあ、まだ他に彼以外の誰かは理由があったのか。そんな疑問が過る。過るだけで、トキヤのような見目の良い男が欲しがっていたという優越と快感に負け、また彼らの手に溺れる。巧みに動く指と舌に抵抗や貞操を毟り取られていく。

 「持ち出されたくない物を、テーブルに無造作に置いておく寿さんが悪いんでしょう。」

 嶺二の顔も見ず、トキヤが淡々と言い放つ。
 春歌の脚を拡げて持ち上げると、反り返った自分のものを濡れた孔に宛がった。

 「春歌、私は君が好きなんです。諦めていた君を手に入れるチャンスがあったから、賭けてみた。今回のコトはそれだけです。別に寿さんの味方をしたつもりもない。利害の一致というだけですよ。」

 宛がった昂ぶりの先端を、挿入直前といえる位置まで押し付ける。

 「抵抗しないと言うなら、ちゃんと2人きりで、ベッドの上で優しくしてあげますよ。どうします?」

 「やめて・・・抵抗しないから、もうやめて下さい・・・。」

 無駄だと知っていながら口に出す願いは儚かった。
 ふぅ、と息を吐き出したトキヤが無表情で呟く。

 「仕方ありませんね。私で君がどんな顔をしながらよがるか、寿さんなんかに見せるのは癪だったのですが。」

 「どーゆー言い草ーもうっ。・・・ああ、中出しはやめときなよ。アイドルとして、自分がまだ事務所に宣伝費の回収もさせてない身だって忘れないように。出来ちゃったら困るのはトッキー自身だ。そこは冷静になりな。」

 軽くいなしながら、しかし途中から声に真剣味を出した嶺二の言葉に、トキヤが頬を引き攣らせる。

 「・・・解りました。もう邪魔しないで下さいね。春歌、挿れますよ。」

 「あああっ! あ、ああっ、ぁあーーーー。」

 前置きは言葉だけだった。
 事前に通知したのはポーズだけで、言葉のような殊勝さは皆無だった。実際には遠慮も躊躇いも無く一気に肉杭を穿たれて、春歌の身体と意識が剥がれる。
 その勢いのまま腰を打ちつけられ、自分の乳房が大きく揺れる羞恥に苛まれながら、春歌は声をあげた。

 「はぁんっ、ん、も、あああっ、やめっ、あっ。」

 「うーん、流石に僕もヤバいかも。こんな顔してあんあん言ってる春歌ちゃん見てたら理性飛んじゃう。お口ならいいかなー。」

 「っ、ダメに決まっている、でしょう・・・。っ、はぁ。」

 「トッキーのそのケチさはどっから来るのさ。ダメ、マジ我慢ムリ。ちょっとトッキー、この子ひっくり返して。仰向けのままよりその方がいいと思うから。」

 「人の話を聞いてないんですかっ。」

 「聞いてるよ。だけどこの状態で我慢しろって、さっき自分で、あれで我慢できるかって言ってたじゃない。おんなじだよ。僕、健康な男の子だし。」

 春歌の胸に手を伸ばし、掴んで捏ねる嶺二のその手がどうにも許せなかったのか、トキヤが春歌を抱き起こす。
 挿し込んだまま座らせて、大仰に口を吸った。自分のキスで春歌がどんな表情をするのか伺う目は同時に、影を落とす睫毛の隙間から嶺二を威嚇する。

 「上の口も自分のものだって言いたいの。どこまで強欲なんだろうね、このナマイキな後輩は。」

 肩を竦めた嶺二はソファに沈み込んだ。
 諦めて成すがままになっている春歌は、半分泣いていた。

 「泣き顔が可愛いんだよねー・・・反則レベル。」

 嶺二は小さな声で呟く。そして、自分の事を全く気にしてないだろう2人を見ながら一度部屋を出た。
 しかしすぐに戻って来て同じ場所に座ると、膨らんだ自分の性器を取り出した。

 「オカズにする位はいいよね。」

 トキヤの反論は無い。
 もう、周りの音なんて聞えて無いのだろう。検分するという上辺の目的を取り繕う時間も過ぎているからか、春歌から得られる快楽に夢中になっていた。

 嶺二はその様子を見ながら、どうやったら収まるか不安な程張りつめた自分の肉茎を握り込む。ゆるゆると上下に扱き、短く息を吐いた。

 霞む目に、嶺二が自分で自分のモノを慰めている姿が映り、春歌はぎょっとした。
 男が自分で処理をする場面を当然だが見た事が無かった。トキヤと繋がった姿に欲情される扇情。他人の性欲のみの目に晒されて、我を失う真っ白さが急に停止した。

 「どこを見てるんです。」

 「ひっ。」

 髪ごと頭を引っ張られ、トキヤと目を合わされる。
 その時初めてトキヤも、嶺二のし始めた行為に気付いたようだった。

 「・・・随分遠慮するんですね。ありがたいですが、どうしてそんなに手を出さない事にこだわるんです? 私に言われたからってあっさり引き下がるなんて。・・・気味が悪いですよ。何を考えてるんです。」

 「んー? 別にトッキーに言われたからじゃないんだけど・・・。まあ、こういうのも中々、貴重な経験かなって、さ、・・・っふ、結構ヤバイね。知り合いのを見ながらってのも・・・、はぁ、すぐイキそうだよ。・・・ね、続けてよ。僕は見て楽しむ位しか出来ないんだからさ。ね、イク時、っは、あ。彼女の顔に…掛けてよ、見たいなあ。」
 
 自身を扱きあげる手を休めないままの回答。どこまでもはぐらかす口調が消えない嶺二に怪訝な顔をしていたトキヤが、振り切るようにまた春歌を揺さぶり始めた。

 「あっ、あっ、やぁ、あんっ。」

 「イヤじゃないでしょう。もう、何度も私にこうされて、そろそろ覚えたんじゃ、ないです、かっ。」

 息を乱すトキヤに、ずぐりと抉り入れられる。

 「んぁああああっ。」

 「君は、あの時、私のコレが気持ちいいと、好きだと、ハッキリ言いましたよ・・・。何度も自分から、強請ったクセにっ・・・っ。」

 「あっ、あああっ、あんっ。」

 それはおかしな薬のせい。
 そう言いたくても、口からは喘ぎ声しか零れない。

 「その後も、っはぁ、抵抗しなかったじゃ、ないですか。ぁ、っ、逃げもせず、嫌がりもせず、私を受け入れたじゃないですかっ。」

 だからそれも、あの時、どうする事も出来なかった。
 
 目が覚めて記憶が無くて、あの変な薬の所為で頭も働かなくて。抵抗するも何も、何をどうしていいか解らなくて、自分で自分のコントロールすら出来なくなっていたのだ。

 嶺二が言っていた、あの映画の女優のように。
 自分がおかしくなったのかと。何かをしたら、又何かが起こるのではないかと。恐怖に動きも気持ちも委縮して身動きが取れなかっただけなのだ。

 でもそれも言葉にならない。
 トキヤに激情のまま揺さぶられて、理性は溶けて快楽の海に全身が呑まれ、考える力が崩壊していく。
 
 揺れる髪、乳房。
 明らかに普段とは違う肌の色でトキヤに貫かれ啼き声を上げる春歌の姿は、嶺二をあっという間に射精まで追い上げた。そして視姦だけでなく、直にその体を腕に抱くトキヤこそそれが顕著だ。

 「やっば・・・もうイク・・・っ、っ・・!」

 「っ、出しますよ・・・!」

 ガツガツと剥き出しの性欲と身勝手な愛をぶつけて自分に侵入し襲う男と、それを眺め自慰行為の助長に春歌を利用する男と。それぞれに犯されているという実感が、春歌の身体に知らなかった泡を張り巡らす。前が見えない。頭の中で反響する自分の声と、宙に浮いたようになる身体を掴めない。

 気付いたら杭を抜かれて、腹の上に、トキヤの熱い体液がぼとぼとと飛び散っていた。
 その熱さに心地良さがあって、人と交わる快楽に溺れる理由がなんとなく解るような気になる。解るような気になるから胸が痛くなる。

 見知らぬ男に犯されたのではなく、よく知っていて、想われてる事実を不快に取れない相手だからこそ、身体に落された体液の熱さにも人肌の心地良さを覚えてしまうのだが、それこそが心を打ちのめすのだ。徹底的に。
 結局、恋人ではなくても、嫌がって抵抗しても、愛されて抱かれれば女はそれなりに受け入れてしまうのかと、深い部分から気持ちが泣くのだ。

 音也だけを愛していると、自分は思っていたのに。
 彼以外を受け入れるなどという場面がもし人生であったら、自分は舌を噛んで死ぬしかない位のつもりで居たのに。割と呆気ない。自分はもっと酷く取り乱して首でも吊るかと思っていたが、実感したのは、身体の中心に感じる果てのない空洞だけだった。

 

「終わったー?」

 嶺二の呑気な声が掛かる。
 ティッシュを大量にゴミ箱に放り込んだ彼は、既に服も元通りだった。箱ごと、まだ残っているティッシュをトキヤに投げて寄こす。

 「ちゃんと拭いてあげなよ。あーあ、顔にかけるのが見たいって言ったのにぃ。ケチなんだから。」

 「だから、どうして貴方を楽しませなければならないんです。まったく・・・。」

 返事も適当に、トキヤが春歌の腹をさっとティッシュで拭う。春歌は起き上がれなかった。まるで本当に恋人同士がするのと変わらない事後で、もうどうしていいか判らない。

 「綺麗になった? 良かった良かった。一応、人に逢うのにあんまり汚れてちゃね。」

 「・・・?」

 嶺二の言葉に、トキヤと春歌が不思議そうに顔を見合わせる。
 春歌は女として反射的に、”人に逢う” という単語に突き動かされ、傍でグシャグシャになっていた自分の服を手繰り寄せ身体を隠すした。
 
 「しかも、元。とはいえ恋人に逢うんだもん、女の子としては綺麗で居たいよね。他の男の精液かかったままはキツイでしょ。」

 「・・は?」

 トキヤの心底不思議そうな声が、人の気配と重なった。

 「・・・!」

 その時同じ空間に存在して、息を飲んだのは、2人。
 トキヤと、そして春歌だ。

 残りの2人は―――――。

 嶺二はいつものようにどこか笑って目を眇めて。そして、いつから居たのか現れた音也は、血の気の無い顔で静かに入口に立っていた。

 「恋人のアソコに、他の男のモノがずっぽり入りこんでる絵は興奮した? あー、でもその顔だと、泣いちゃってたかな。」

 嶺二の声は明るかったが、その通りなのだろう。
 音也の頬に涙の跡などなくとも、誰の目にも明らかだった。

 「なんで・・・。」

 音也が弱く呟く。
 想像もしてなかった人物の登場で呆気に取られていたトキヤは、その声で我に返ったようだった。裸のまま居直ったように、悪びれもせず、音也を見返す。

 「なんで、とは? 」

 「トキヤが、なんで春歌を・・・。」

 ショートした機械にも似た接触の悪さで、音也は動きも言葉も滑らかさが無い。
 無機質な声でトキヤが答える。

 「彼女が好きだからですよ。他に何か理由が? 私は、好きでもない女を必死に抱くほどヒマではありませんよ。」

 「・・・。」

 喉元まで出かかった感情が言葉にならず、音也は唇を震わせて立ち尽くしていた。
 春歌はといえば、まさか今この時に音也がこの場に現れるなど、万に一つも思っていなかった現実に驚き過ぎて、声も、まともな呼吸も失っていた。

 嶺二が、春歌の隣にしゃがみ込む。
 
 「今まで一番ビックリしたみたいだねえ。・・・うわー・・・ちょっと、やりすぎたかな。・・・大丈夫?」

 嶺二に目の奥を覗き込まれても、春歌は微動だにしない。

 「・・・・ははっ。マジやりすぎたかも。でもまあ、良く頑張ったねえ。もう終わり、終わりだよ。安心して。これで終わりだ。ロシアンルーレットは弾が命中したら終了だからね、大丈夫だよ。見られたのがそんなにショックだったんだ。そっかそっか。…ごめんね。」

 「どういう意味・・・。」

 音也が嶺二を見る。

 「ん? 意味? そのまんまだけど。この子、ずっと銃口突き付けられてるのと同じ状態だったから。どこまで行けるか僕が試してたんだけど、やっとぶち抜かれてくれちゃったみたい。今まで撃った弾も結構しんどかったらしいけど。・・・まぁ、詳細は知りたきゃ彼女に聞けばいいんじゃない。尤も、今は口も利けないっぽいけど。」

 「信じられないくらい悪趣味ですね。でも、本当に見たかったものが見れたようで。満足なんじゃないんですか。」

 「そうだねー、まあ、満足かな。ホントに人って壊れちゃうんだ。ま、壊れても直せるんだろうけど、そっかー・・・。」

 トキヤは不愉快気に眉を顰めて、音也はすっかり困惑しているようだった。
 嶺二だけがいつも通りで、冷静だ。ただ、初めて見たものに素直に感動し、まじまじと春歌を見つめている。その眼は、純粋にきらきらと興味で輝いていた。

 「なんなの、これ。一体どういう、トキヤも、嶺ちゃんも、なん、で。」

 音也は目線も定まらない。
 どこを見ていいか解らない。どこを見たら現実なのか、どこかが夢かもしれないといった様子だ。
 手早く下半身だけ衣服を纏ったトキヤが、脱ぎ捨ててあったシャツを手に取りながら音也に答える。

 「見ての通りです。彼女は私のモノになりました。返すつもりはありませんし、そもそも彼女も、こうなってしまっては性格的にあなたの所へは帰れないでしょうし。持って帰ります。」

 「モノ扱いかいっ。」

 「寿さんには関係ありませんよ。私が連れて行く事に不都合でも?」
 
 「待ってよ、なんで、いつから、俺そんなコト一度も・・・!」

 「聞いた事が無いって? 当たり前でしょう。それこそどうして、私が自分の恋心をあなたなんかに打ち明けなくてはいけないんです。・・・音也。」

 「え。・・・な、に・・・?」

 トキヤは真っすぐ音也を見据えた。
 聞きたいのに聞きたくない何かを告げられる予感で、音也が強張る。
 
 「私はあなたが嫌いです。アイドルとして天性の才能に恵まれている故に能天気で、大した努力もしてないクセに人に好かれ。彼女まで手に入れて・・・。少し前の映画のオーディション、私も寿さんも受けた事、覚えていますか。」

 春歌はそこでやっと顔をあげた。
 
 映画。
 その響きに覚えがあった。嶺二に突然誘われる直前、音也は映画の長期ロケに出ていた。今日も、龍也と打ち合わせした会議室から帰る時に聞えて来たのは、映画の話だ。

 「あの時ですよ。あなたが主役に選ばれて、私と寿さんは選ばれなかったあの時、私の中でずっと燻ぶっていた嫌悪が、憎い、というハッキリした感情に変わったのは。」

 「トキヤ・・・。」

 「あ、僕もそうだよ。厳密には、僕はトッキー程の感情は沸かなかったんだけどね。残念だったなーっていう程度。でも確かに、あの映画には思い入れがあったから、主役を取られたのは悔しかったよ。」

 スマートフォンをいじりながら、嶺二が口を挟む。
 
 春歌は、音也が映画に出演する事になって長期ロケに出掛けるとは聞いていた。彼がそのロケから帰って来る日から、日々がおかしくなったのだ。しかし主役だとは聞いて無かった。ぼんやりと頭の片隅で、撮影が済んでから驚かすつもりだったのかとも思った。音也らしくない。停滞した意識のほんの隙間で、かろうじてそんな思考が浮かんだ。

 浮かぶだけで、糧にも言葉にもならない。
 すっかり神経が麻痺している。

 「まー長い人生こんな事もあるよ。で、おとやんどうするー。他の男に抱かれてイっちゃったトコ見ても、まだ前みたく彼女を抱いてあげられる? 言っておくけど、トッキーのレイプはこの1度だけじゃないからね。因みに僕は潔白。見てたでしょ。僕ちんはオナニーで我慢しました。はー、嶺ちゃんホントおりこうだわ。」

 淡々と、おやつのメニューを決める調子の嶺二の声が部屋を通る。
 それが癇に障ったのか、音也がぎっと目線を鋭くした。

 「トキヤ、俺が嫌いなら、俺に言えば良かったじゃないか・・・なんで、なんで春歌をっ・・・!」

 音也がトキヤに掴みかかり、二人の身体がリビングに派手な音を立て倒れ込む。

 「あー顔は殴らないように! アイドルだからね。お互い商売道具に傷付けたら仕事になんない。」

 「嶺ちゃんだってひどいよ!」

 涙声で、音也が嶺二を振り返る。
 実際、目端に浮いた涙は今にも零れ落ちそうだった。

 「俺に、俺に直接言えばいいじゃないか・・・俺がイヤなら、俺だけをどうにかすれば良かっただろ!」

 「それじゃダメだったの。おとやんだけに何かしても、意味がなかったんだよ。意味がないっていうか、うーん・・・逆に遠回り? 僕がつまんないっていうか、うーん。」

 「どういう意味だよ! わけがわかんないよ!」

 「ちょっと待って。大事なメール送ってるからさ。」

 ちょん、と。仕上げのように人差し指で画面をつつくと、嶺二は座り直してトキヤに馬乗りになった音也を見た。
 その時、トキヤがふっと笑った。

 「似合うじゃないですか、音也。」

 「・・・?」

 「いつも能天気な顔して笑っていたから意外です。絶望してる顔も、よく似合ってますよ。その顔が見たかった。私が味わっている気持ちを、あなたは解らないだろうと思っていましたが・・・。」

 軽く笑ったトキヤを、音也が呆然と見降ろす。
 嶺二がまた口を挟む。

 「いやいや、似合っちゃダメでしょ。おとやんが、絶望する演技を上手くできちゃうかもしれなくなるんだよ。そうなったら、またトッキーは差をつけられちゃうんじゃない。そうかそうか。僕たち、撮影でおとやんが煮詰まってたシーンを上手く撮る手助けをしてあげちゃったんだねえ。あっちゃー。」

 面白い話題だと言わんばかりに、嶺二は楽しそうに喋る。

 「おとやん。あのシーン、全然ダメで撮り直しなんでしょ。龍也さんから聞いてるよ。良かったね。あの場面は、これ以上無いっていう絶望的な顔を魅せるトコロだからね。この経験を生かして、頑張ってよ。」

 「な・・・。」

 怒りと絶望で短い息を吐くだけしか出来なくなってきた音也を、無表情に彼を見詰めるトキヤを、いつもと変わらない飄々とした嶺二を、春歌はただ見ていた。

 きっと、もう総てはこれで終わるのだろうという、読めた先に打ちひしがれながら。
 音也とは、決して元通りになれないのだろうという悲しみにくれながら。


 心臓を抜き取られた空っぽの身体で、何もかもを失くした事実に耐えられず拒否反応を起こしたそのまま、嶺二の部屋で春歌はただ、量子の塊となってその場に佇むしか出来なかった。

 
 

 

 

         
                   To Be Continued・・・

 

 


       



       次回最終回です。25日頃に掲載を予定しています。







Russian roulette 最終話

 


 Russian roulette
      vol.10 最終話








 あの番組は、トッキーがメインなんだよ。

 僕がメインだと思ってた?
 違うよ。君、ちゃんと台本読んだ?
 
 事務所の年功序列で、っていうか、まぁ芸能界なんてそうなんだけど、ぱっと見そう見えるだけ。総司会者なんて、肩書きだけだよ。演出を良く見てごらん。明らかにトッキー中心で構成されてる。まったく、実力のある後輩のお陰で僕の食い扶持も延命されるのは確かだけど、複雑な気持ちだよね。

 トッキーはおとやんのコト憎いって言ってたけど、あれは憎いっていうか、まあ実際本人が言うんだから憎いんだろうけど、要はおとやんのアイドル性って、天賦の才に近いじゃない。それを妬んでたんだと思うよ。憎しみじゃなくて、どこまでも妬みだ。あの2人、全然違うからね。羨ましかったんでしょ。

 羨ましいだけで済んでるうちは良かったけど、君まで取られたとあって、感情がおかしな方へ行っちゃったんだよね。彼はああいう所があるよ。どうも周りを見て無い。見てないのに見てるように見えて、得な人だよね。

 僕は、僕はね、おとやんに対しては、うーん・・・。

 映画の主演をおとやんに取られたのは痛かったよ。思い入れのある映画だからね。どんな思い入れかって? ・・・それを君に説明する義理はないかな。別に君が知らなくてもいいコトだしさ。ああ、君がどうこうじゃない。あの映画に対する僕の元々の思い入れに関して、君やおとやんは全く関係が無い。

 ま、結果的に僕が主役を貰ったんだ。今はもう何とも思ってないよ。寧ろ、ありがたくて感謝してる。

 ん?
 ぜーんぜん。嫌いだったとか無いよ。トッキーみたいな感情は僕は持ってない。

 可愛い後輩だよ、2人とも。

 別に深い意味は無くてさ。主演を取られて、ちょっとイジワルしてやろうっていうか・・・。イジワルって言っても、からかう程度のつもりでね。

 ああ、そうかも。言っちゃったかもね。そうだよ。
 今となってはもういいか。バレても。僕は君たちを別れさせようとしてた。でもあからさまにしたら、逆に恋人同士は障害にして燃え上がっちゃうからさ、悟られないようにしてた。勿論それは一面で、あの時も言ったけど、僕は僕で心理実験したかったからね。

 アイドルとしてトップまで登りたいなら、こんな新人のうちに恋愛スキャンダル出たら絶対困るんだし、別れるのはしょうがないでしょ。先輩としての教育的指導だと思ってほしいね。僕、悪気無いし。てか悪い事してないよ。恋愛禁止は事務所の決まりだ。

 トッキーが計画に乗るって言った時、すぐ君をモノにするコトだけに目が行くだろうなってのは解ってたよ。っていうか、その為だろうって。
 必ず君を抱くチャンスがあって、おとやんを傷つけられて、一石二鳥って踏んだんでしょ。君を抱けたら、そのまま本当にモノにする自信があるんだろうなって。解ってて引きいれたよ。だって。

 女に狂ってるトッキーなんて、きっと早々お目にかかれない。見てたら絶対面白いからさ、見たくて。
 それに、僕、ガスライティングの説明する時に言ったかな? 協力者は多い方が成功するらしいんだ。まあ、これは大抵どんな事にも当てはまるけどさ。

 まーとにかく、そんなワケでトッキーが計画に乗って来た。僕も受け入れた。
 
 案の定、早速計画から外れて君を抱く事に夢中になってた。あのトッキーが、僕の目も気にせず君を犯すのに必死なんて、最高だった。
 狂っていくだろうなってワクワクしたよ。僕を排除して、君を独り占めする為に、どんなコトやらかしてくれるんだろうなって楽しみでさぁ。・・・なのに、監禁なんて考えが浅いよねえ。事務所が騒いだら終わりだっていうのに。
 君は男を狂わせてくれるねえ、そ、君が狂わせたんだよ、彼らを。・・・こういうのも、淫乱って言う気がしない? 

 違う?
 えー。そうそう違わないでしょ。

 君が警戒心を持ってなかったせいで、鈍かったせいで、彼ら精神やられちゃってるのに自分は何も悪く無いって? 僕のせいだって? どんな被害者面なのそれ。
 君があらゆる抵抗をして、考えられる限り僕を避けたら良かったのに。君、しなかったじゃない。

 何度もイって。気持ち良さに負けてたじゃない。

 君はね、僕に何かされるのを期待してたんだ。
 次はキスされるんじゃないか。次は押し倒されるんじゃないか。次は、とうとう僕のモノを入れられちゃうんじゃないか。それをドキドキして、期待して待ってたんだ。

 君は、無邪気さと無知で人を傷つけた。

 ああ、そっか。そんなコトを言ったような気もする。そうだったね。
 
 うん、あの時は、ほんと、君って可哀想だなって思ったよ。トッキーの着信が山ほど残ってるのを見てイラっとしたんだけど、でも、その時思い付いちゃったんだ。どうせトッキーが早まったなら、もう終わらせちゃおうって。だからおとやんを呼んだ。僕んちに今から来れば、春歌ちゃんが浮気してる現場を抑えられるよってね。

 おとやん、すぐ飛んできたよー。ドアは開けておいてあげた。
 あれはショック受けてたね。多分、暫く立ち直れないんじゃないかなあ。

 君に恨みがあったワケじゃないからさ、僕としては、言えるギリギリの範囲で教えてあげたつもりだったんだけど・・・。僕のヒント、解らなかったんだね。

 今も、わからない? こんな近くに居るのに?
 ふうん、そうか・・・。

 僕の手が届かないのか、君がそーゆー運命なのか、どっちなんだろうね。







 
 揺り籠の動きに合わせる子守唄さながらの声は、春歌の胸に澱となって巣食ったままだ。
 
 眠りが浅いと、あの時の嶺二の声を思い出す。
 彼は独り言と称して、延々と春歌の心を抉る話を続けた。

 迫り出す壁に挟まれそうな恐怖の中でトキヤに犯され、それを音也に見られた絶望で空っぽになった夜から抜け出し切れてなかった春歌の中に、彼の言葉は呪いのように染み込んだ。

 それでも嶺二の言葉の通り、トキヤはあの時、確かに狂っていたのだと春歌も思う。

 あれからトキヤは、春歌の独占を諦めきれずに自分の部屋に監禁した。
 毎日毎日、ベッドの上しか居場所の無い春歌を犯した。涙も枯れて目の光も消えた彼女を抱き続けた。

 そんな時、急がない筈だった龍也の依頼が、先方の都合で前倒しの納品となった。
 仕事の提出物だけは仕方ないのでトキヤも渋々作らせたのだが、その時の春歌の精神状態が満足な作品を作り出せるわけも無かった。

 リテイクの注文を繰り返していた龍也が、数日もすると春歌の身の上を心配し始めた。直接声が聞ける電話には出ず、メールだけのやりとりも、体調でも悪いんじゃないかと心配を膨らませる理由になったようだ。

 次第に事務所でも、なぜアイツは事務所に直接顔を出さないのか。部屋を訪ねても居ないのか。と口にするようになった龍也を見て、林檎が、気になるなら様子を見に行けばいいじゃない! と強引に話を纏めた。
 
 トキヤは、龍也が林檎と共に春歌の部屋に行くと決めた日、予め春歌を寮へ戻し、耳元で指示を出してドアを隔てた状態で会話させた。だが既にその時、トキヤの維持したい世界は限界だったのだろう。翌々日、龍也が取締役権限で寮の春歌の部屋のドアをこじ開けると言い出し、トキヤは歯噛みしながら春歌を解放した。

 やっと顔を見せた春歌を確認して安堵したと同時、その姿に、直感的に危険信号を感じ取ったと、後々龍也は春歌に言った。
 それから春歌は、龍也の新番組の音楽を担当する事もあって、暫く龍也の付き人まがいの仕事も作曲と兼ねるように指示を受けた。

 「付き人兼、というよりは、今のお前には、雑用だけをさせた方がいい気がするな。何も聞かねえが、曲が作れるような状態じゃねえだろう。社長には上手く言っとく。取り敢えずひと月位は俺と一緒に仕事しろ。いいな。」

 有無を言わさない決定だった。
 だがそうでなかったとしても、春歌には反論する余地も気持ちも何もない時だった。言われるままに、言われる事だけをこなす時間が過ぎる事になる。

 それからは、常に龍也と共に居た。
 
 龍也には、取締役という役職故か仕事は大量にあった。彼自身が一人で面倒を抱え込む性質を持ち合わせていたのもあり、春歌が書類をファイリングしたりメールチェック等をするだけでも、かなりの時間を要する程の量だった。

 必然的に、朝早くから夜遅くまで、龍也と共に黙々と仕事をこなす日々が続いた。

 そんな頃だった。
 龍也の部屋で一人で、慣れてきた書類の整理をしていた春歌の前に、あの日以来で嶺二が突然現れたのは。

 春歌はやっと立ち直りかけた時で、いきなりドアを開けたのが嶺二だと判った途端、過ぎ去った恐怖の日々を思い出して震え上がった。あまりの怯え方に嶺二がその場で龍也に電話をし、待ち合わせをしてるからもうすぐ帰るという龍也の声を聞かせて宥める程だった。

 「大丈夫、僕、部屋にはあがらないから。龍也さんが来るまでココに居るから。ね。だから怖く無いでしょ。もう何もしないよ。君は龍也さんに守られてるんだ。絶対に大丈夫な場所に居るんだから、安心しなよ。」

 そう言いながら嶺二は唐突に、思いついたように話し始めたのだった。
 彼の話は流れていく唄のようで、春歌には忌まわしい呪詛のようにも取れた。

 
 あれから時々、彼の言葉が何かの拍子に浮き上がる。
 春歌の心に、暗い癌となってへばりついているのだった。

 一方で、彼に狂ったと称されたトキヤは、春歌に全く近づけなかった。龍也が常に目を配っていたのもあるが、嶺二も面白がって邪魔をしたからだ。

 音也とトキヤが視界に入らず、恩師である存在と何の変哲も無い日々を重ねていくのは、春歌にとってこれ以上無い安心を齎した。世の中のあらゆる事に不信を抱いた心は、それでも日常を紡ぐうちに少しずつ傷が治るような気がした。

 音也とは自然消滅のように終わった。
 
 あの夜の翌日、彼は大事な撮影をすっぽかした。折角決まった主演映画の撮影だったが、3日に亘る無断欠勤を事務所も庇い切れなかった。同じオーディションに最後まで残っていた嶺二に急きょ主役を交代をさせ、龍也があちこちに頭を下げて凌いだ。

 


 「やっと収まりそうだな・・・今回は疲れた。流石の俺も走り回ったぞ・・・。」

 ある夜、帰って来るなりどっかりと座って大きく息を吐いた龍也が、小さく、恨みがましく呟いた。コーヒーを出していた春歌は、龍也の疲労感を隠さない態度の珍しさに瞬きをした。
 
 龍也が苦笑する。

 「悪ぃ、思わず文句言っちまった。俺の仕事はそういう仕事だからしょうがねえのにな。ウチが抱えてる人材の不始末をつけるのも俺の役目だ。だが、まぁ・・・一十木は暫く謹慎だな。クビにならないだけ感謝しろってもんだ。」

 目線と仕草で隣に座れと春歌に促し、龍也はカラっとした調子でそう言った。
 春歌は、少し距離を置いて隣に座る。

 向けられる龍也の笑顔は優しかった。
 その優しさにどれほど救われただろう。

 そしてそう思う度、音也には今、救ってくれる誰かが居ないという現実が酷く悲しかった。

 捨てられた自分が隣に居られる道理が無いとは解っていた。申し訳ない気持ちが音也に対しては占めていた。この結果を招いたのも、自分に何か足らない部分があったからだと落ち込む。自分の所為で音也が、引いては龍也にまで迷惑をかけているのだと思うと、胸の奥が更にキリキリと痛んだ。
 
 音也が映画の仕事に穴をあけた代償は大きかった。
 代役を立て、嶺二で撮影をし直し、スポンサーの機嫌も直し、共演者たちの噂が無くなる迄待ち・・・というように、事態が完全に収まるまで数週間かかっていた。

 配役をマスコミ発表する予定だった日まで、時間があったのが幸いだった。プロモーション戦略上、主役の発表は大分後にする予定だったから助かったと、龍也がほっとした様子で説明してくれた。

 その時春歌は、ああ、だから自分も知らされなかったのかと、小さな疑問の解決を見た。
 ちらりと、あの悪夢の如き日々が思い出される。何、という明確な出来ごとではなく、ずっと続いた戦慄の記憶が湧く水のようにさあっと浮き上がるだけだったが。それでも
 
 「申し訳ありません・・・。」

 つい、口からそんな言葉が零れていた。
 
 自分の存在も、少なからず今回の映画の騒動に関わっているのだ。何もしてなくても、存在自体が。そんな気持ちから自然に洩れた言葉だった。

 「? なんでお前が謝るんだ? お前は関係ないだろう。一十木が勝手にサボって、勝手にチャンスをフイにしたんだ。」

 「それは・・・そうなんですけど・・・。」

 

 ――――――君のせいだ――――――
 
 嶺二のあの言葉が、春歌の胸を暗い影で覆う。

 

 ――――――君が狂わせた――――― 

 普段沈殿している澱が、また不穏に心を舞い始める。

 

 「変なヤツだな。」

 
 泣きそうな顔で俯く春歌に、龍也がそっと春手を伸ばした。

 「・・・先生・・・。」

 大きな手が春歌の頭上で優しく、子供をあやすようにぽんぽんと動く。

 「なんだか解らんが気にするな。お前は悪く無い。俺が疲れた顔見せたんで、心配かけちまったか? だとしたら、俺が悪いな。すまん。」

 「そんな、違います!」

 「じゃーそんな顔するな。1日走り回って帰って来て、お前にそんな顔されたらやるせない。俺はな、こうしてお前が仕事手伝ってくれるようになって、コーヒー淹れてくれるようになって、随分救われてるんだ。」

 「ほんと、ですか・・・。」

 「ああ、ほんとだ。」
 
 龍也が笑顔を見せる。
 春歌は、こそばゆい気持ちを覚えて少し俯いた。

 「それとな、先生じゃねえって、何回言わせるんだよ。今度言ったら罰ゲームな。」

 「ええっ!」

 「ははっ、罰ゲームは冗談だよ。だが先生は禁止だ。もうお前は生徒じゃないんだ。・・・生徒じゃ、困るんだ。解ったな。」

 「あ、は、はいっ。」

 「よし、それでいい。お前は元気に笑ってろ。・・・っと、なんだ?」

 空気が振動して、龍也が胸ポケットに手を当てる。

 「あ、メール、ですか。」

 春歌が尋ねた。

 「ん、ああ、そうだな、仕事のメールだといかんから、ちょっとすまんな。」

 言いながら、素早く胸ポケットから取り出した電話端末を操作する。
 
 「なんだ、○山監督からだ。舞台 「マスカレイド」 福岡公演初日がさっき、無事終わったとさ。」

 「あ・・・。」

 春歌はトキヤに監禁されていた事を誰にも話さなかった。気付いていた筈の嶺二も誰にも言わなかったようだった。龍也や林檎はあくまで知らずに部屋をこじ開けると言いだしたようだったので、言えないのもあり、言わないでおいた。トキヤも、素知らぬ顔で仕事をしていた。

 そんなトキヤはあの後すぐ、長期公演の舞台出演が決まった。主役ではないが、かなり重要な役どころだと聞いた。

 嶺二との新番組の仕事以外、総ての時間がその練習とプロモーションに当てられた。今迄にも、実力派と評される人気俳優が毎度起用され、繰り返し上演される人気作品だ。その舞台への出演チャンスは、彼の知名度を大きく伸ばす絶好の場だった。

 彼は一気に春歌と顔を合わせる日が無くなった。2カ月程前に東京で初日を終え、今は地方でのロング公演をこなしている。舞台自体は盛況で、チケットも各地ほぼ完売状態だと聞いている。

 「今日から福岡で3週間だ。それから大阪、名古屋、仙台、札幌が待ってる。特に大阪と名古屋は1カ月以上公演期間があるからな。少なくとも半年は、まともにアイツの顔を見る日は来ねえ。嶺二とやってるあの番組の撮影だけにとんぼ帰りってのもしんどいだろうが、しょうがないな。」

 「でも、舞台がお休みの日もあるんですよね。」

 「ああ、そりゃあるさ。でも折角地方に居るんだ。地元のテレビやラジオにばんばん出してる。頑張って一人前になってもらわねえとな。東京に帰って来てるヒマがあったら、一人でも多くのファンを取って来い、って言ってあるんだよ。」

 「そうですか・・・。」

 自分を取り巻いていた不穏なものが少しずつ、確実に遠のいている。
 それに安心したのは、事実だった。

 今、春歌にとってたった一人頼れる龍也の手や言葉は、春歌をふんわりと優しく包んでくれた。




 

 

 季節がひとつ変わった。
 
 すっかり龍也と阿吽の呼吸に近い形で仕事を進められるようになってきた頃、春歌はまた少しずつ、曲を作れるようになっていた。

 「無理するな。お前、何かあったんだろ。まだ無理しなくていい。俺のドラマの曲だけ作ってればいい。そういうスケジュールにちゃんとしてあったんだ。それだって、手直しする程度でいいってあの時言っただろ。」

 「そうですけど・・・。でも、少し、曲も作れるようになって、あの、感謝してます。」

 「感謝? ばーか。いいんだよそんなのはしなくて。お前は笑ってる方が可愛い。」

 「え・・・。」

 ぽかんと龍也を見上げた春歌に、彼は少し赤くなって目を逸らす。

 「っ、いーからほら、さっさと残りの書類やっちまうぞ。帰りは送ってってやるから、安心しろ。」

 龍也がいつも、気遣ってくれた。
 春歌はそのお陰で、やっと乗り越えられる確信すら持てるようになっていた。









 


 それは日差しが柔らかい日のこと。

 
 勢いよく、シャイニング事務所内の会議室のドアが開いた。

 「あーホントにココに居た! 林檎ちゃんに聞いたらココだって言うからさー。寿嶺二、先ほど無事にクランクアップしましたー!」

 龍也と春歌が、新しいCMの打ち合わせをしている最中に、嶺二がけたたましい大声を出しながら現れた。

 「…嶺二。」

 一瞬驚いていた龍也が、嶺二の姿を認めて上がった肩を下ろす。

 「いきなり入ってくんな・・・ビックリしたじゃねえかよ。あーそうか、今日か。わーったわーったおめでとさん。で、もうちょっと静かに喋れねーのか。」

 「えー? だって二人の邪魔するつもりで来たんだもーん。出来る限りやかましくしないと。」

 「邪魔ってなんだよ。俺たちは今、仕事の話をしてんだよ。」

 そう言って、斜め向かいに座る春歌の手から書類を取り、嶺二にひらひらと翳す。

 「ブーブー! 仕事の話だろうが何だろうが、愛し合ってる2人で話せばデートでしょ! あー悔しい。龍也さんばっかりモテて、悔しい!」

 「あ、あの!」

 機関銃の如く喋る嶺二の顔を見ないようにしていた春歌が、慌てたように切りだした。

 「私、あの、学園に資料を取りに行ってきます。」

 龍也が、申し訳ないと表情に出す。
 それを見た春歌は、龍也に笑顔を向けて、

 「1時間もかかりませんから。」

 「そうか。ああ、悪いが帰りに眠気覚まし用のガム買ってきてくれ。味は任せる。」

 「はい。」

 ぺこりと頭を下げ、春歌はそそくさと部屋を出て行った。




 


 「・・・あーあ。相変わらず僕、避けられてるや・・・ま、当たり前かー。」
 
 ふざけた仕草で人差し指を当てた唇を、嶺二が尖らせる。

 「別にいいだろ、お前は一ノ瀬と違って、アイツに惚れてたワケじゃないし。それより、良かったな。あれだけ思い入れのあった映画に主演出来ただけじゃなくて、続編まで無事クランクアップか。おめでとうさん。」

 「ありがとーございまっす!」

 「早かったな、撮影。」

 龍也が、椅子にどかっと座り直して首をごきっと鳴らした。 
 嶺二も、龍也の近くにあった適当な椅子に腰を下ろした。

 「まあ続編だし、前の回想シーンも一杯入ってるし、集中型で缶詰でしたからね。何にせよ、無事終わって良かったです。ありがと龍也さん。龍也さんのお陰だ、感謝してる。無事に続編の撮影も終わって、嶺ちゃん大満足! でもそんなコトより。」

 ずい、っと。悪戯な目で龍也を覗きこむ。

 「おとといの! あれ! まさか恋人宣言されるとは思わなかったよー。酒の席の悪ふざけかと思った。恋愛禁止は若手アイドルに対してのみって、いつからそんな龍也さんルール適用になったのー。ズルすぎ! ま、面白かったからいいけど。やっと東京に戻って来れたと思ったら、絶対手出し出来ない相手に取られちゃってたなんて、トッキー悲惨過ぎ。おとといの飲みは、トッキーの舞台成功のお祝いって意味もあったのに、お祝いになってないよねー。」

 あの瞬間のトキヤの顔が傑作だったと、嶺二は楽しそうに笑う。
 龍也は目だけで、ほんの少しだけ笑った。そんな龍也をチラリと見て、嶺二は少し真面目な声で言った。

 「いやほんと、よく出来た筋書きだったよ、龍也さん。」

 嶺二の言葉に、龍也の目の色がほんの少しだけ濁る。
 その、極稀に見られる、何年も一緒に仕事をしている身だから判断出来る濁った色が結構気に入ってるからこそ、自分は動いたのかもしれないと、嶺二はその時ぼんやりと思った。

 ぎ。と、龍也の椅子が軋む。

 「人を悪代官みてーに言うんじゃねーよ。大体俺は、ウチの事務所は恋愛は禁止なんだから、先輩として責任持って一十木と七海を上手く別れさせろよって言っただけで、具体的にどうやるかはお前に任せてたんだから、筋書き書いたのはお前だろう。俺はなんも知らねえぞ。」

 「えー。だけどどの道、失恋した彼女を慰めて自分のモノにしちゃうってのは予め腹にあったんでしょ。失恋したばかりの女が一番堕としやすいとは聞くけど、目の前で実際に見て納得しちゃったな。」

 「弱みに漬け込んだ、みたいな言い方すんな。・・・でもまぁ、そうか?」

 自嘲気味に龍也が笑う。

 「だけどお前、ありゃやりすぎだろ。完璧壊れてたじゃねーかよ。」

 「いいじゃないですか。複雑骨折より、ボキっと派手にいってる方が治りも早いって言うでしょ。それと一緒ですよ。」

 「あほか、どういう基準だそりゃ。」

 「どういうって、骨折の基準? でもそうだと思いますよ。あれだけ壊れちゃったからこそ、治りかけに染み込んで来た優しさが利くってもんでしょ。それに、どう言われようといいんでしょ・・・幸せそうですね。そんなに好きだったんですか、彼女のコト。」

 「まぁな。」

 答える龍也の目は、嶺二が時々見かける、春歌を愛おしげに見ている時と同じ目だった。

 「僕は結構骨を折りましたよ。結局一度も彼女に入れられないし。」

 「たりめーだ。ヤんなって言っただろうが。お前がヤってたら承知しねえ、殺す。」

 鋭い目を向けられ、嶺二が慌てて抗議する。

 「だからヤってないんだってば。ホントにヤってないの僕ちんは。必死でしたよ。ヤリてー。ヤったら龍也さんに殺されるーって、めっちゃ葛藤してました。トッキーが不思議がってたなあ。あの状況でヤラなかったなんて、絶対インポだと思われてるなぁ。・・・あ、オカズにはしました。」

 「・・・それ位は今回の働きに免じて、イヤだが勘弁してやる。」

 「イヤなんだ・・・。」

 「たりめーだ!」

 「ですよねー・・・。そりゃそうですよねー・・・。でもトッキーはいいなんて、ズルいよー。」

 「あのな。俺は別に一ノ瀬ならイイなんて思っちゃいねえぞ、これっぽっちも。ただ、コトを上手く運んで行く上でしょうがなかったっつーだけだ。許せんのは同じだから、地方周りに飛ばしてやったんだよ。」

 「コワーイ! この上司コワーイ! パワハラー!」

 「・・・殺すぞ。」

 「なんでー! 僕頑張ったのに、なんでー!」

 嶺二が大袈裟に仰け反って、次は泣き真似をする。

 「トッキーがあんな序盤で暴走したのは予定外だったけど頑張ったのに。暴走はするだろうと思ってたけど、早すぎてマジ苦労したんだからー。龍也さん、僕が困って相談しても適当に返事してるだけで、全然詳しく聞いても来ないから、この人ほんとにやる気あるのかって疑ったもん。」

 「そりゃ任せるって言った以上、滅多な事で口出しゃしねえよ。基本、結果だ。途中経過はどうでもいいからな。」

 龍也が腕組みをして、真面目な顔で答える。

 「お前なら、なんとかするだろって思ってたんだよ。」

 「任せるのと放っておくのは違うって・・・。でも、だから少しでも龍也さんが協力してくれるとは思わなかったなあ。あれは助かった。」

 不満そうな声が途中で変わった嶺二を見て、龍也が優しく微笑む。

 「ダメならダメでしょうがねえだろって思ってたからな。一応俺にも、元・生徒に手を出すなんてな誉められたもんじゃねーって自覚はあるんだよ。それでも成り行き任せにして上手く行くなら、そういう運命だろって気もせんでもないっつうか。・・・でも、ま、ちょっと手伝ってやっても罰あたんねーだろうと思ってな。」

 多少ばつが悪そうにしている上司に、嶺二が気を利かして口を動かす。

 「別れるまでは、知らん顔通すと思ってたからビックリしたよー。おとやんのモノ捨ててくれたのは効果あったねー。流石年の功でやるコトえげつな!って感動しました。あの子、あれですっかり頭がグルグルになっちゃったっぽかったもん。」

 折角の嶺二の口利きは、当の本人には何の足しにもならなかった。
 きょとんとした龍也が、何を言ってるんだと言わんばかりの口調で返す。

 「あれは手伝ったんじゃねえよ。捨てたかったから捨てた。そんだけだ。」

 「・・・怖っ。」

 「なんでだよ。当然だろ。別れる男のもんとっとく必要無ぇだろ。・・・俺が手伝った、っつか、口出したのなんて、一ノ瀬があいつを待ち伏せしてるから何とかしてくれって、お前に連絡した時だけじゃねえか?」

 「ああ、あれは助かりました! 」
 
 嶺二が体を前のめりにして勢い込む。

 「いきなり電話してきてそれ!? みたいな、人使い荒いな~みたいにしか、最初は思わなかったんだけどね。あの子、あの時パニクり具合ハンパ無かったみたいで、キンキンに大きい声で喋ってたから、トイレの外まで声が丸聞えで助かった。いやーホント、トッキーより先に見つけられなかったら、あそこで浚われてたワケだからね。そうなったら僕きっと殺されてたよね、貴方に、あはは。」

 「だけど、結局1週間以上も監禁されちまったがな・・・。あの馬鹿、殺してやりたかったぜ。仕事にだけは何食わぬ顔して来ていやがったが。」

 「若いんですよ。なんだかんだクールぶってるけど、所詮若い。監禁なんかして続くワケがないのにさ。でも、取締役権限発動して取り返せたから良かったね。」
 
 「俺も、林檎辺りが騒ぐとうるせえから、他にテが無ぇか考えたんだが、あれ以上、一ノ瀬の手垢がつくのも我慢できなくてな。」

 「うわー、ここにも嫉妬深いのが居たー・・・。」

 「あ?」

 「なんでもないです!」

 
 開け放してある窓からは、心地よい風が入って来る。
 

 「おとやんも、」

 話を変えるように嶺二がふる。

 「最近また普通に仕事してるけど、謹慎からどんだけ? 1年・・・は経ってないか。でもあれからそんなに経つんだなー。僕もあれからすぐ忙しくなったから、今まであんま気にしてなかったけど。こうして龍也さんと喋るのも、すっごい久しぶりだよね。」

 「ああ、お前らにはわざわざ忙しくなって貰ったんだよ。一十木だけはひと月謹慎させたがな。あの時のアイツは、仕事どころか人間の生活も怪しかった。ちったぁ俺も罪の意識持って、復活の舞台は充分なもんを用意したつもりだ。」

 「売れてるみたいだね、おとやんの新曲。龍也さん大サービスしたなぁ~って、オリコン見て思ったよ。」

 「まあ、あのタイアップならそれなりに売れるのは約束されてるからな。単独でライブやる話も出てる。そういや一ノ瀬も今度また歌を出すんだよ。お互い妬みでも憎しみでも何でもいいから、売れてくれりゃ、事務所は儲かる。どんどん仕事して、今後一切俺の女に近づく暇がないようにしてもらう。」

 龍也は仕事の顔をしていた。
 嶺二がその顔に触発されて、ぼそりと洩らした。

 「国家っていうのを、例えたつもりだったんだけどな・・・。」

 「ん?」

 「あ、いや・・・。ココも独裁国家だなって。龍也さんには、僕たち逆らえないワケだし。でも何かあっても、トップの龍也さんが表立って動くワケじゃない。変わりに、長く居る者として僕が動いたりっていうね。」

 「なんの話してんだ、おまえ。」

 「えへへー。」

 笑顔で龍也をはぐらかして、嶺二は穏やかな日の光が差し込む窓から、外を見る。

 その時、静かな部屋に電子音が鳴り響いた。
 龍也は、掛かって来た電話をスーツの胸ポケットから取り出し、嶺二に、悪い。とでもいうように片手を上げてから通話ボタンを押し、何やら難しい顔で仕事の話を始めた。

 その姿を見ながら、嶺二がぽつりと呟いた。

 「僕には解りませんよ。そんなにまでして欲しいのに、人任せにした気持ちは。何もかも投げ捨てて横取りする為に熱くなるのも真似できない。愛してる相手が汚されて悲しいからって手を離すのも、理解不能。・・・まぁそれも全部、龍也さんがあんな宣言した以上、終わりか。」

 龍也に嶺二の独り言は聞こえていない。
 真剣に仕事の話をしている。

 「じゃーすいませんが、その流れでお願いします。ええ、また明日、連絡をお待ちしてますよ。」

 ピ、っと電子音が鳴って、通話が切れる。
 龍也が、ふぅ、とため息をついた。それを合図にしたように嶺二が立ち上がる。

 「んじゃ僕、行きます。」

 「おぅ、気をつけてな。ああ嶺二、お前はホントに映画だけで良かったんだな。」

 龍也の問いに、嶺二はにっこり笑った。

 「やだなあ、十分ですよ。僕はあの映画に出られさえすれば良かったんです。続編はタナボタでしたが、最初に出て無ければ出られないんだから、龍也さんのお陰ですよ。」

 「そうか。まーそう言ってくれりゃ助かるな。で、次どこ行くんだ? 今日はなんか収録か。」

 「毎週、水曜日はFDE局の生放送ですよ。嶺ちゃんの単独ラジオ番組!」

 「ああ、そうだったな。」

 「では行ってきます!」

 日常は戻っている。
 嶺二は、足早に次の仕事場へ向かって歩き出した。

 

 角を曲がったところで、戻って来た春歌の姿が見えた。

 初めて押し倒した時より、妙に大人の顔をしている気がするのは幻覚だろうかと、嶺二は立ち止まる。

 髪が少し伸びてる気がする。ちょっとだけ痩せた気がする。
 遠くから、些細などうでもいい事を観察する自分がおかしかった。
 
 龍也に頼まれていたガムだろう。資料を入れた手提げバッグと反対の手に、小さな物を持っている。そっと、嶺二は気付かれないように距離を取る。

 歩く姿を見送りながら、嶺二はその背中に投げかけるように静かに言った。

 「”ガス燈” でね、夫がバーグマンをそんな目に遭わせた理由は、宝石を探していたからなんだ。」

 さあっと、柔らかい風が吹く。
 靡く自分の髪で、春歌の姿が見えなくなった。風がやんだ時には、もう春歌はどこにも居なかった。嶺二は微笑む。

 

「・・・宝石、か・・・。」

 抜けるような青い空。
 手が届きそうで、永遠に届かない美しい空。

 本当は、後先考えず今だけを見て、自分だけのモノにする為に血眼になったトキヤの気持ちは理解できた。
 自分の気持ちが置き去りの状況で、様々な苦悩と絶望故に、大事なものを手放してしまわざるを得なかった音也の気持ちも、わからないではなかった。

 龍也の愛が歪んでいるとも、ずるいやり口だとも言い切れなかった。
 

 
 傍観者で構わない。手を出す気なんてない。自分は言われたから部下として動いてるだけだ。

 そう思う傍から、それは、それでも気になる存在に起こる総てを見ていたいという欲求を隠すための、自分が当事者になって傷つかない為の詭弁だ。わかっていても。

 「宝石とかってさ。自分のモノにしちゃうより、見てるだけがいいんじゃないかって、僕は、思ってる。」

 強がりに近い自己暗示だと知っている。
 でも、自分にとってまるっきり嘘じゃないのだ。感情はややこしいな。と、嶺二は苦笑する。

 「君の色んな声、表情、もっと知りたかったけど、それは未来永劫、絶対に僕のモノにならないからこそ、そう思うんじゃないかって。」

 自分に都合のいい言い訳をしてるだけだとも思う。

 「難しいね・・・。臆病なだけなんだけどさ。・・・でも、本当にそうも思うんだから仕方ないよ。君が、決して僕の手に出来ないキラキラした存在だからこそ、思い続けられるような気もするんだ・・・よく、判んないけど。」

 
 呟きが風に消える。
 嶺二は今度こそ、次の仕事に向かい歩き出した。
 

 







                     ~fin~









 

 お読み頂きありがとうございました。
 あとがきも書いたのですが、ネタバレが含まれる為、来週辺りにUPしたいと思います。どうしてもあとがきが最初に表示されますので、うっかりそっちを読まれてしまう方が居るとイケナイので、うーんと、一週間後くらいかな。に。





プロフィール

みるくあずき2

Author:みるくあずき2
成人。
主婦。母。妻。嫁。娘。事務員。など。

本家ブログはアメブロ
http://ameblo.jp/milk15azuki
にて、乙女ゲームレビュー(感想・攻略? 雄叫び、乙女向けCDも愛聴)を書き綴っております。

乙女ゲ歴というかゲーム歴4年。
妻となり母となって大分経ってから見つけた趣味なので、遅咲きです。
遅咲きの狂い咲きってヤツですね。

本家ブログは只今リアル絶賛多忙中の為に気紛れゆるゆる更新です。コチラは元々気の向くままに進めています。

下のカテゴリからお好みのモノを選んで頂くと、連載は1話から読めます。

感想・お世辞は大歓迎ですが、苦情は受け付けられません。
鍵付きのコメントは、拍手コメントも含め一切の誤表示を防ぐ為、お返事は致しませんが、必ず読んでおります。励みになっております。有難うゴザイマス。
拍手とかコメントとか貰えると泣いちゃうくらい嬉しいですよ・・・。

鍵付きでは無いコメントは、拍手コメントも含め必ずお返事させて頂いております。
宜しくお願い致します。

只今うたプリだと トキ春 嶺春 蘭春 音春を筆頭にカミュ春や翔春、真春、レン春もございます。R18、オールNLとなりますので宜しくお願い致します。

だけど最近プリンスよりも先輩とかヘヴンズが好きだったり・・・。

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