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Russian roulette 7

 




Russian roulette

        vol.7







 あまり記憶は無いが、振り絞った力で入浴だけは済ませた。

 昼頃に家に辿り着き、暗くなるまでぼんやりとしていた春歌だったが、それでも熱いお湯を張ったバスタブに浸かると、多少なりとも生活の色を取り戻せた気になれた。
 潜り込んだベッドでは大分眠れた。そこから出なければならなくなったのは、事務所から呼び出されたからだった。

 それなりの時間は眠れたので、体力的には問題が無かった。あの妙な倦怠感も消えていた。
 しかし心はそうはいかず、沈んだ気持ちに無理矢理ごまかしの化粧をして、もぬけの殻といった風情を隠しきれず外出した。
 


 仕事の話で呼び出されたのだった。
 
 来期、龍也が準主役を務める人気ドラマ枠の出演作品の音楽のほぼすべてを、春歌に任せて貰えるという。
 
 大物作曲家が既に起用されていたのだが、人気と実力は折り紙つきだが我儘でも有名という主演の女優が音楽にケチをつけ、急きょ違う人物が曲を作る事になったのだという。降板させられた人物とあまり関係ない作曲家を選ばなければならず、担当プロデューサーと個人的に飲みに行く機会もある龍也出演の縁で、シャイニング事務所に依頼が来た。

 「悪いな急で。でもお前ならきっとやれる。少し前に事務所に持ってきたデモ用のCDに、いいのがあった覚えがあってな。」

 そう言って龍也は、きちんと整理された棚から、春歌を作曲家としてプロモーションする時の資料ファイルを取り出す。
 事務所内に数個ある会議室の1室で、春歌は真剣に龍也の説明を聞いていた。所属しているタレント同士が同じ仕事をする時などの打ち合わせによく使われる少人数用の会議室はしんと静まり返っていて、集中して仕事の話をするには最適だった。
 
 
 何かに没頭する機会は有難かった。
 一瞬でも、僅かでも、優しい恩師と仕事ができる些細な幸せに気持ちが変わる。

 「これだ。このCDの4曲目。それと、7~10曲目、全部使える。それ以外に、その資料に書いてある場面で使用するヤツが何曲かほしい。これは3話までの台本だ。これと資料を見て曲を手直ししてくれ。行ける筈だ。時間はある。頑張ってみろ。」

 「解りました。」

 「七海、チャンスだ。あのドラマのプロデューサーに気に入られたらお前、次のドラマも絶対回って来るぞ。頑張れ。」

 「はい、解りました。日向先生、あの、わざわざ新人の私にお気遣い頂いたんですよね、有難うございます。」

 「ばぁか。お前の実力を買ってるんだよ。気遣いじゃねえ。だから曲の出来でちゃんと俺の顔を立ててくれよ。」

 龍也は優しく笑って、春歌の頭を小突く。

 「それと、もう先生じゃねえって何度言ったらわかんだよ、お前は。社会人どんだけやってんだ。」

 「す、すみません!」

 慌てて小突かれた額を抑えながら、頭を下げる。
 その時、ノックの音がして、龍也が返事をする。

 ドアを開けて現れたのは、音也だった。
 途端に春歌の身体が凍りつく。彼が来るなど予想外だ。それは音也も同じだったらしく、春歌の姿を見て明らかに驚いていた。

 「おお、もう来たのか一十木。早いな。悪ぃ、ちと待っててくれ。コイツとの話は終わったが、ひとつ仕事があってな。10分で終わる。」

 「はい。」

 龍也がバタバタと手元の書類をかき集めながら出て行き、静まり返った部屋に二人が残された。

 極度の緊張で喉が焼けそうな春歌は、俯いたまま動けなかった。
 言いたい事も聞きたい事も山ほどあるのに、どれから告げたら一番2人の為になるのか選べなくて、だが早くしないと龍也が戻って来てしまうと気持ちばかりが焦る。

 空気も停滞していた部屋で、音也が沈黙を破った。
 

 「聞いてもいい?」

 「っは、はい。」

 思っていたような怒気は無く、寧ろ泣きそうな彼の声に、春歌は驚いて顔をあげた。

 音也は暫く目を瞬かせた後、春歌の顔を見ないままゆっくりと言った。

 「俺と、別れたいの?」

 今一番使われたくない、別れ、という単語に春歌の心が大きく痙攣する。
 部屋で捨てられていた物の数々の映像がぱあっと眼前に広がる。眩暈がしそうだ。

 「・・・なん、で、ですか。そんなこと・・・。」

 震える声で一歩自分に近づいた春歌を見るのが辛いのか。それとも今の自分が辛いのか。音也は苦しそうに目を閉じると、

 「俺のもの、どうして捨てたの。俺が、もうあの部屋に行けないからなの?」

 どくんと。
 心臓が握られたような気がした。ぎゅうっと縮む神経に呼吸が乱れる。

 「それ、そんな、違います、私じゃない。私じゃありません、私だって帰ってきたら、音也くんのパジャマが捨てられてて、びっくりして、だけど音也くんしかあの部屋に入れないから・・・!」

 自分でも何を言ってるのか解らない。 
 頭が混乱し、順序立てて組み立てた言葉が発せられない。

 「じゃあ誰が捨てたの。君以外は俺しかあの部屋に入れないんだろ。俺は捨ててない。俺じゃない。」

 「私じゃありません! 私にも何がなんだか、帰ってきたらあんな風になっててビックリしてっ!」

 思わず大声を出した春歌に怪訝な目をして、音也は今度は真っすぐ春歌を見た。

 「帰って来た、って、どこから帰って来たの? 俺が部屋に行った時、君はまだ帰って無かった。」

 大好きな音也に、後ろ暗い自分を隠すのは難しい。
 自分が朝まで家に帰って来なかったのを知られていたというのは、春歌を一気に動揺させた。一瞬言葉に詰まる。

 「・・・いつ、来たんですか。」

 話を逸らすような質問返しが痛々しいと自分で思った。
 音也も、そう思ったのだろう。

 「そんなの関係ないよ。」

 強い調子で云い捨てる。

 「あの日、嶺ちゃんと何時まで一緒に居たの。結局あの時、事務所には行ってないよね。俺ね、あの後事務所に行ったんだ。でも嶺ちゃんも君も居なかった。携帯も通じなくて、すっごい悩んで、でもやっぱり家にじっとしていられなくて、・・・信じてたんだ。君は部屋で寝てるって一生懸命信じて、だけど・・・。」

 一度言葉を切って、息を吐く。
 ただ話をするだけで、こんなにお互い息が上がる事が今まであっただろうか。

 「俺、君の寝顔さえ確認できれば、それで良かったんだ。なのに・・・。」

 やるせなく首を振った音也の表情は、見た事が無い程の苦渋に満ちていた。

 「君は帰ってなくて、俺があの部屋で使う物が全部捨ててあった。俺もワケが解らなくて待ってたんだけど、君は・・・朝まで帰ってこなかった。俺が行ったのは真夜中だよ。寝ようとしたけど気になってしょうがなくて眠れなくて、どうにもなんなくて出かけたんだ。もう2時位だったと思う。そんな時間に帰って無くて、俺のもの全部捨てて、別れる気が無いって言われても・・・そんなのさ、変、でしょ。」

 泣いてるような声が辛くて、春歌の目から涙が零れる。
 自分が音也を苦しめているのだと判る。自分は甘かったのだと思い知る。

 先輩だから大丈夫とか、トキヤに限って何かしてくるなんてありえないなど。自分に都合のいい思い込みと油断で、好きな男をこんなに悲しませるなど、なんて愚かなのだろうと今更ながらに痛感していた。打開策も見つけられない無力な自分は、音也以外の誰かと接触するべきでは無かった。

 もう、遅いのだろうか。
 今から、音也に2度とこんな事はしないと約束して貰うのは不可能なのだろうか。

 
 身勝手な期待を抱く春歌の涙も見ず、相変わらず視線を逸らしたままの音也が、息を吸い込んで思い切ったように言った。

 「ね。本当はどういうつもりで捨てたのか教えてよ。」

 彼の語尾が震えた。
 別れるというのは、彼にとっても悲しいのだと判り妙にほっとする。その一方で、彼が悲しいと思ってくれている今、誤解を解かなければと春歌は思った。

 「音也くん、本当に私が捨てたんじゃないんです。それだけは本当です。本当に、私が帰ってきたら捨てられていたんです。」

 「だったら、それが本当なら、あの部屋に、俺以外の誰かも入れるって事だよね。」

 「そんな筈ないんです、だから、だから私、怖くて・・・!」

 「君はあの夜どこに居たの? 俺は・・・。」

 音也は言葉を切って、唇を噛んだ。
 顔を手で覆い、嗚咽でも洩らすような有様で言葉を絞り出す。

 「俺は、君じゃないなら、君と一緒にあの時居たヤツしか、あんな事しないと思ってるんだ・・・だって、だってそうだろ! 俺以外は部屋に入れない筈なんだよ、だったら君が誰かを部屋に入れたとしか考えられないじゃないか!」

 「違います! そうじゃな、ひっ!」
 
 思わず音也の腕を取ろうした春歌は、だんっ! と大きな音を立て烈火の勢いで机に拳を叩きつけた音也の激情に身を竦めた。
 振動で椅子が揺れる。
 
 まるで激しい運動でもしたかのように大きく肩を上下させて息をする音也を見るのは、心臓が縮む思いだ。

 音也がもう一度、今度は軽く机を拳で叩いた。

 「・・・なんですか。これ。」
 
 さっき拳を叩きつけたと思ったのだが、違った。
 音也は、春歌の前に何かを突きつけたのだった。

 「見ればいいよ。」

 「・・・。」

 ぐしゃぐしゃに握り潰されたそれは紙だった。
 音也の露わな感情が恐ろしくて、春歌はそれを手に取る事が出来ない。

 「今朝、俺の部屋のポストにあったんだ。郵便で送られてきたんじゃない、誰かが持って来たんだ。」

 音也に強い目線で促され、泣きそうな気持ちでそれを手に取り、ごわごわになった紙を広げる。
 よく見るとそれは封筒だった。酸欠で停止しそうな頭を必死に保ちながら、春歌は封をあけた。元々糊付けはされていないようだった。

 見てすぐはなんだか判らなかった。
 中に入っていたのは写真だったのだが、酷く画像が荒くて、人物と背景の境目も一瞬では判別出来ないような代物だ。

 だが、数十秒見詰めていた春歌の顔から、さあっと血の気が引いた。

 「そこ、どこなの。」

 「これは・・・!」

 車の助手席を降りる女の手を取る男と。

 降りた後だろう2枚目は、腰に手を回されて、男に寄りかかるように歩く女と。

 自分の姿に目が釘付けになる。
 事情を知らない人間が見たら只の恋人同士だ。まさか体に卑猥なモノを埋められているせいで上手く歩けず、よろけそうになって腰を引かれていたとは推測及ばないだろう。

 近しい人間ならなんとか、嶺二と春歌だとギリギリ判別出来る程に画像が酷いが、間違いない。あの夜だ。あの夜、嶺二のマンションの駐車場で、建物に入るまでを撮られていたのか。

 

 誰に?


 「誰が・・・。」

 思わず呟いた春歌の質問を、音也は一蹴した。

 「嶺ちゃんはアイドルだよ。そんな写真、いつどこの週刊誌が狙ってたっておかしくない。そんな事どうだっていいんだ。俺は、そこがどこなのかって聞いてるんだ。」

 音也の静かな怒りに、春歌は咄嗟に真実を口にしてしまう。

 「違うんです! 寿先輩のおうちで打ち合わせする事になって、でも、私、お部屋には上がってません! 本当です!」

 心の中で、しまったと思った。
 家に行くなど、なんて愚かな真似をしたのかと罵られればまだいい方で、彼は深く傷つくに違いない。それこそ罵倒され別れられても文句が言えない位、しないでくれと念押しされたそのものずばりをしてしまったのだから。

 それでも言わずには居られなかった。打ち合わせをする為だけに自分は行ったと、他意は無かったと。もっと言えば、先輩である嶺二に逆らう訳にはいかなかったのだと、それだけは伝えたかった。

 より隠したい事実を守る為とは言え、とうとう黙っていた一部を言ってしまった事に胸の動悸が収まらない。
 このまま、総てありのままを話してしまおうか。その方がきっといい。彼はきっといつか許してくれる。いや許して貰えなくとも、自分の意思で音也を裏切ったのでは無いのだと、それだけは伝えたい。

 「音也くん、私、私、本当は」

 「聞きたくないよ!」

 「聞いて下さい、寿先輩にわたしっ!」

 「なんで嘘つくんだよ!」

 「嘘なんてついていません、だって」

 「どう見たって嶺ちゃんちじゃないだろ、その写真は!」

 
 
 思考が止まった。
 
 

 「――――――――え?」

 
 もう一度、写真にゆっくりと目を落とす。
 どこから見ても、あの日の自分だ。あの日の嶺二だ。あの日乗せられた、嶺二の車。

 「どこのホテル? 俺、いつから裏切られてたの?」

 「そんな、違う、違います、そんな・・・。ここは寿先輩のおうちで、だって。」

 「違うよ。嶺ちゃんちは何度も行ってるから知ってる。あのマンションの駐車場はそんな造りじゃない。見れば判る。」

 怒りを通り越したのか、音也は少し笑顔だった。
 絶望したような哀しげなその笑顔が春歌の心を切り裂くのだが、先ほどの彼の言葉に先に神経を貫かれていて、周りの景色もよく見えなくなっている。

 嶺二の家ではない?
 では、あれはどこだ。確かにエレベーターに乗って運ばれたあの玄関は、一体どこなのだ。

 「待たせたなー。」

 がちゃりとドアが開いて、龍也が戻ってきた。

 「すまん待たせちまったな。予想外に話が長引いてあの担当、ほんっと細かくてイヤになるぜ・・・って、ああ、すまん愚痴った。気にしないでくれ。」

 ぼりぼりと頭を掻きながら呑気に喋る龍也のせいで、さっきの音也の言葉の真偽を確認出来ない。
 まだ聞きたい事も、言いたい事も山ほどあるが、音也とこれ以上ここでさっきの話を掘り下げられない。
 
 「七海、じゃあ頼むな。なに、まだ時間はあるんだ。じっくりやってくれ。」

 何も知らない龍也が、ニコニコと春歌に笑顔を向ける。

 「・・は・・。あ、はい、ありがとうございました。…失礼します。」

 諦めた春歌は、予め録音されたような機械的な挨拶を口をすると、一礼した。

 「おう、気をつけて帰れよ。さて一十木、例の映画の件だけどな・・。」

 龍也の声を聞きながら部屋を出る。

 ドアが閉まる前、音也が呼ばれたのは映画の件なのだとぼんやり思った。
 少し前に長期ロケに出掛けていた分だろうと頭の片隅に浮かんだ。浮かんだだけで一瞬で消えた。

 心臓が激しく動いて止まらない。
 誰にも逢わないように、取り敢えず化粧室の個室に逃げ込んだ。

 広くない個室でぐるりと左右前後を見渡す。
 
 怖かった。
 次から次へと突きつけられる衝撃が。そして後から後から引っ繰り返されて打ちのめされるのが。閉じ込められた水槽で、誰かが外から水を大量に吹きかけたり増水させたり、水槽ごとひっくり返して一旦水ごと流し出されたりを繰り返されている気分だ。

 どれも死因にならない。
 悪意も憎悪も感じさせない。無機質にぬるく、そして手酷く自分を追い詰めるだけだ。発狂するのを待つように手を変え品を変え、驚かせて意識を揺さぶって来る恐怖。嶺二と一緒にドライブをしただけだったあの日から。

 ぐるぐると、今までの出来事が頭の中で高速で回り続ける。
 回り続けるのをなんとか止めようとする。まずは速度を落とそうとした。

 動悸が落ち着くまで待った。
 頭の中にはそれでも、溢れる疑問と考えられる可能性が走り抜けては浮かびぐるぐると回っている。

 (落ち着かないと、まずは落ち着いて。)

 過呼吸になりそうな呼吸を整え、心臓を窘める。
 しんと静まり返った水場であっても、落ち着きを取り戻すのはそれなりの時間がかかった。数十分、胸を押さえて立ち尽くしていた春歌が、やがて脱力して洋式トイレの蓋に力無く腰を降ろした。

 会話の内容に、精力を吸い取られたような気分だ。
 自分に与えられる情報と責め苦に翻弄された挙句、真っ向から否定され、身に覚えのない罪を着せられている。

 なんなのだ。
 次は、何が来る? 嶺二の辱めか。トキヤの苦しい愛情か。音也との諍いか。次こそ、致命傷を受けるのか。春歌にとってそれは音也との別れに他ならない。神経が絞られるように萎縮する。手探りでも進めない道の無い奈落にいるようだ。

 あれは、どこなのだ。
 自分は嶺二の家だと信じて疑わなかったが、音也は違うと言う。あの様子で音也が嘘を言ってると思う人間は居ないだろう。自分は嶺二の家を知らないし、初めて連れていかれて周りの風景も道中の景色も覚えていない。


 じゃあ、あの部屋は?

 「まさか・・・。」

 昨日見た幸せそうなトキヤの顔が思い出される。「酔っぱらった君を寿さんが連れてきた。」 彼は確かにそう言った。

 自分は信じていた。あまりにも予想外の人物が隣に居た所為で、あらゆる事が頭から吹っ飛んでしまった衝撃で、言われた全部を鵜呑みにしたのだ。トキヤの人柄に疑いを見出さなかった。

 (私は最初から、移動なんかしていないんだ・・・。多分、一ノ瀬さんが、あの部屋に来たんだ。)

 どうして?

 ずっと、どうしてという気持ちに翻弄されている。
 嶺二の真意も測りかねていたが、ここへきて、どうしてトキヤが嘘などついたのか。全く判らない。大体、だとしたら、嶺二とトキヤは何をどういう理屈で繋がっている?

 持てる力総てを脳を回転させる為に使っていた春歌は、突然鳴った電子音に肩を大きく揺らして驚いた。

 携帯電話の呼び出し音だった。
 慌ててバッグから携帯電話を取り出す。ディスプレイに表示されていた電話の相手は

 「一ノ瀬さん・・・!」

 春歌はあまりに驚いた拍子に個室から出ていた。人間は咄嗟の拍子に無意味な行動を取るとどこかで聞いた話をチラと思い出しながら、疑念を抱いた瞬間にかかってきた電話を禍々しい物のように見る。
 
 輪郭を掴みかけた謎がハッキリするかもしれない未来が怖くて、すぐにはボタンが押せなかった。
 
 十回ほど鳴ったコールが切れた。
 なんとなくほっとしたのも束の間、10秒もしないうちに、もう一度同じ相手からの呼び出し音が鳴り響く。

 迷った末、切れる寸前で春歌は決意した。


 通話ボタンを押すと、長方形の小さな端末から、聞き覚えのあるトキヤの声が流れてきた。

 「私です。すいません、出るのが大変な時でしたか?」

 「いえ、大丈夫です。あの、な、なんでしょうか。」

 「そうですか。少し出るのに時間が掛かっていたようですけど、大丈夫ですか。・・・申し訳ないのですが、今から時間はありますか。」

 聞える筈がないのに、トキヤに自分の心臓の音が聞こえてしまいそうな気がして春歌は胸を押さえた。鼓膜の隣に動脈があるかのような体内の振動。胃が口から出そうな圧迫感と緊張に塗れながら、春歌は口を開いた。

 「あ、はい、時間はあるといえばあるんですけど・・・あの、一ノ瀬さん、今、どこに居るんですか。」

 「事務所です。」

 「えっ。事務所って、事務所ですか、シャイニング事務所にですか。」

 やはり落ち着いてはいない為、下らない聞き方をしてしまう。無意識に歩を進めた化粧室内の洗面台前にある鏡の前で、蒼白になった自分の顔に思わず見入った。
 
 自分の後ろが映る鏡の端に意識が行く。

 廊下が見える。

 
 「え・・・?」

 
 廊下など、なぜ見えるのか、女性用化粧室そのもののドアは閉められている筈なのに。
 
 影が、動いた。

 目が覚めてトキヤが隣に居たあの時も驚いたが、今度こそ春歌は言葉にならない悲鳴をあげて腰を抜かした。

 人の形をした黒い何かが、ゆらりとドアの傍から動いて、驚き過ぎて瞠目している春歌に近付いた。

 影は、素早く携帯電話を春歌の手から取り上げると通話を切り春歌の口を塞いだ。

 
 「声出さないで。おいで。今すぐ。僕と一緒に。来ないと、もっとすごい写真をおとやんが見る事になるよ。」

 無色で無機質な、多少焦っている以外何も浮かべていないその声が、春歌の神経と背骨の中に冷や汗を流し込む。足が竦んで喉が攣り、春歌はもう動けない。音也の名前を出されて頭は真っ白だ。

 位置的に春歌から顔は見えない。だから彼がどんな表情をしているのかは見えない。だが声で解る。この男が誰なのか。解るから余計に恐ろしい。ここへきて元凶にまた舵を握られたと、絶望に似た悪寒がする。口を塞ぐ大きな手が鼻にもかかり息が苦しくなる。前が見えなくなる。

 ガチガチと鳴りそうな歯も、言葉にならないうろたえも、みっともない様のまま。
 
 這うように歩くのが精一杯のまま、春歌は完全に判断力を抜き取られてしまった。自身の処理能力の限界を越えてあわあわと戦慄くのだけの塊になった春歌を嶺二は、引き摺るように事務所から連れ出した。






              

              To Be Continued・・・









 
 

 

 
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みるくあずき2

Author:みるくあずき2
成人。
主婦。母。妻。嫁。娘。事務員。など。

本家ブログはアメブロ
http://ameblo.jp/milk15azuki
にて、乙女ゲームレビュー(感想・攻略? 雄叫び、乙女向けCDも愛聴)を書き綴っております。

乙女ゲ歴というかゲーム歴4年。
妻となり母となって大分経ってから見つけた趣味なので、遅咲きです。
遅咲きの狂い咲きってヤツですね。

本家ブログは只今リアル絶賛多忙中の為に気紛れゆるゆる更新です。コチラは元々気の向くままに進めています。

下のカテゴリからお好みのモノを選んで頂くと、連載は1話から読めます。

感想・お世辞は大歓迎ですが、苦情は受け付けられません。
鍵付きのコメントは、拍手コメントも含め一切の誤表示を防ぐ為、お返事は致しませんが、必ず読んでおります。励みになっております。有難うゴザイマス。
拍手とかコメントとか貰えると泣いちゃうくらい嬉しいですよ・・・。

鍵付きでは無いコメントは、拍手コメントも含め必ずお返事させて頂いております。
宜しくお願い致します。

只今うたプリだと トキ春 嶺春 蘭春 音春を筆頭にカミュ春や翔春、真春、レン春もございます。R18、オールNLとなりますので宜しくお願い致します。

だけど最近プリンスよりも先輩とかヘヴンズが好きだったり・・・。

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