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complice 第1話

 


 complice

   第1話









 
 
 ぼんやりと見ていたグラスの中の氷が動いて、春歌ははっとした。
 その場に居たのに、まるで見えて無かったすぐ目の前の窓の向こうが目に映る。

 引き戻された意識でもう一度耳を傾ける。今日は、初めての打ち合わせだった。会議室のテーブルには10数人がついているとはいえ、進行役はホワイトボードをコツコツ叩きながら熱っぽく語るのに夢中で、春歌の放心には全く気付いていないようだった。

 手元の資料をもう一度めくる気にはなれなかった。

 今、一番視聴率が取れると言われているドラマ枠で始まる新番組。
 その新しいドラマに、「女性に人気の高いアイドル歌手役」 として出演するのは自分の恋人だった。喜ぶべきはまり役。

 しかし。
 資料に目を通し、様々な説明をされたこの会議の途中、手放しで出演を祝う気持ちが完全に削がれてしまった。

 「神宮寺くんはね~。女性をとっかえひっかえする悪い男の役なんでねぇ~、キスシーンとか頻繁にあるんでね~。ま、宜しく頼むよ~。でも、お相手は今をときめくアイドルや女優さんなんで、美味しいと思って頂戴よ~。」

 所謂エライ人、という立場の恰幅の良い中年男性の調子だけは良さそうな言葉は、音楽担当として会議に出席した春歌の心にぐさりと突き刺さった。

 エライ人にそう言われ、短い優等生的な返答と、営業スマイルでにっこりと返した恋人の笑顔は、それこそ悲しくなる程に憂いが無かった。




 


 「ハニー、ごめんね。でも仕事だ。ああ返事するしかなかった。判ってくれ。」

 そんな事は判っているのだ。
 なのに、上手く笑えない。自分の子供っぽさに呆れてしまう。

 「あの、大丈夫です。ああいうのって、撮影の仕方で、ほんとにしてるように撮ってくれるんですよね。」

 必死で、好きな人の応援が出来る彼女。を作り出そうとしたのに、春歌はそこまで嘘が上手くなかった。春歌の引き攣った頬を見たレンの顔が一瞬で曇る。

 「あのね、ハニー。・・・・・どうせ知られてしまうから先に言っておくけど、あの監督は・・・そういうのは、ダメなんだ。だからハニーに、俺の事を信じて耐えてもらうしかない。・・・すまない。」

 仕事が終わってからやってきた恋人の部屋で、春歌はまた胸に、鉛に近い重い何かを抱え込まされた。

 仕事だから仕方ない。その免罪符は、こんな職業にこそだと実感した。判り切っていた筈なのに、いざ現実に自身に起こったら、話にならない程簡単に打ちのめされた。自分の弱さがあまりに自分の想像を越えていて、辛い。

 そっと、レンが彼女の手を握る。
 
 大きな手は、いつもドキドキしたり、ほっと安心させてくれる手で、愛しい。良くも悪くも、春歌の頭を真っ白にしてしまう魔法をかけられる手。そう思えば思うほど、今日は胸が締め付けられるのを感じ、春歌は顔を逸らした。

 「ハニー・・・。ごめんね。でも、ああ言ってるけど所詮ゴールデン枠だ。そんな気にするようなシーンは、そうそう無いはずだよ。小学生でも起きてる時間だからね。前のも、その前のドラマだって、そんなシーンはほとんどなかった。どっちかって言えば遠目で撮影した感じのシーンが多かったしね。だから、心配しないで。」

 「でも、台本にはもう、3話までで6回も・・・。」

 「ははっ、それはちょっと酷いな。その回数だと、ヒロインの回想シーンの分も入ってるじゃないか。回想は同じシーンを使い回すだけだから、それを数に入れられると俺も辛いな。」

 レンが困ったように笑って、春歌の頬をなぞる。
 春歌は返す言葉が見つからなくて、その手に自分の手をそっと重ねた。

 その華奢な手を取り、無言で口づけたレンが目を伏せて静かに呟く。

 「ハニー、許してくれる?」

 そんな聴き方はずるい、と言いたいのをぐっと我慢して春歌も目を伏せた。

 許すも許さないも、この問題に私の意思など介入出来ないではないか。介入させたら私はただの子供だし、神宮寺さんがそれをだからと言って受け止めて仕事を降りられる筈もないのでしょう。

 そう、誰が悪い訳でもない。
 
 言いたい内容は、実際は言葉に出せなかった。

 誰が悪い訳でもない。

 繰り返し脳内を巡るそんな言葉は、大人が自己中心的な考えを肯定する体の良い方便だと思っていたから、自分がそんな場面に置かれた今が切ない。

 そして、そんな気まずさをごまかすように、彼の手が熱を帯びて背中を滑り降りるのが更に切ない。

 どうしてこんな時にこんな事するの? 本当はそう尋ねたい。だけど、尋ねたところでどうにもならない空気が生まれるだけだ。彼も、こうするしか糸口が見つけられないのだ。それが判るから、尋ねられない。

 こんな切ない夜は、ほしくない。
 
 でもそんな気持ちも、あっという間に真っ白にされて、また二人で朝を迎えるのだ。
 彼も必死で振り切っている。きっと。恋人に申し訳ないという個人的な気持ちを、仕事だから閉じ込めている。それは解るのだ。

 だとすれば、自分はどうする?

 春歌も多少大人だ。
 自分の気持ちのやりきれなさよりも、二人して同じ路頭に迷ってる今この時をどうするかを考えた方がいいと、気持ちを切り替える。
 
 だが、気持ちを切り替えて考えるも、キスの最中の朦朧とした頭では、こたえは一つしか見つけられなかった。頭のいい人には、もっと違うこたえが見つけられるのだろうか。だとしたら教えてほしいと、春歌はぼんやりしていく頭で思った。

 彼の手がいつもより優しいせいか、ぼんやりして行きつつも頭のどこかが妙に冷えていて、いつもと同じような快感が走るのも虚しくて泣きそうになる。

 今は、こんな事をしたいんじゃない。
 こんな事でごまかされたくない。でも、これはごまかしなのだろうか。彼だって、きっと申し訳ないと思ってる。ごまかすつもりなんかじゃないと思える。そんな行き場の無い自問自答が頭の中をぐるぐると回る。恋人同士なのに、求める手があるのに、気持ちがカチっとはまり切ってないのが哀しい。

 ぐるぐる回る思考。

 それでも彼の指が探り当てた場所から、くちゅりと甘い水音がした。
 ふ、と洩れた笑ったみたいな彼の吐息は、少しだけ安堵の気配がする。

 「舐めてほしい? それとも、もう挿れてもいいのかな。」

 彼の濡れた声に春歌は、それが鋏だったかのように何かを切られ、襲ってくる答えの無い心のもやを忘れたくて、ぎゅっと目を瞑り返事をした。

 「もう、挿れて下さい・・・いっぱい、激しくして。」

 「ん、いいよ。今日は、俺も、そんな気持ちだ・・・。」

 
 夜は長い。
 今はぎこちなくても、きっと荒い津波みたいな快楽を貪りあえば、なんとかなるに違いない。
 気持ち良さに総て投げ出してから眠ればきっと、この寂しさに似た気持ちは明日の朝には消えているはずだ。そう願いながら、お互い縋るようにしがみついた。
 





 


 あの夜から暫く、春歌は制作に必死になっていた。
 
 曲作りに没頭してるうちは時間の流れは速いし、頭が曲のみにしか使われてないから気持ちは楽だったりする。
 夢中で好きな何かに打ち込める贅沢。それが仕事で得られるのだから感謝すべきだと常々思う。

 それが例え、自分の恋人が、役ではあっても別の女性とキスする場面で使われるBGMであっても。

 「・・・・・・・・・・イヤ。」


 そこまで考えて、ふと、意識せずに言葉が漏れる。
 
 「いや、です。神宮寺さん・・・。やっぱり、いや。」

 今頃はリハーサルも終わり、撮影に入ってるだろう。
 台本に名を連ねる女優は、今人気が出てきてると噂の、女の自分が見てもため息が出る程可愛いアイドル女優だ。それ以外にも新人の端役ともそんなシーンがあるらしいし、色気とスタイルが売りの王道の美人、といったベテラン大物女優も居る。

 ふらりと鏡の前に立つ。
 
 どこにでもいそうなありふれた顔。いや、それは過大評価かもしれない。どこにでもいそうな、よりももっと可愛くないかもしれない造りの顔。人目を惹けないスタイル。

 どうして自分が、プレイボーイと噂された男と付き合ってるのか疑問だ。

 しかも彼は、単に見目の良い男、というだけではない。日本でも有数の大財閥の御曹司。アイドルの血を持って産まれたお陰か、天性の華があって、見る者を自然と惹き付ける。洗練された立ち居振る舞いは、本当に別世界の王子さまみたいだと、春歌は思う。

 学園で知り合った2人は、色々あった中でお互いの気持ちをひとつにして卒業し、デビューを勝ち取れた。きちんとつきあい始めたのは卒業と同時。

 (鈍くさくて音楽しか取り柄の無い私を、神宮寺さんは可愛いって、ハニーって呼んで愛してくれる。ダーリン、とは恥ずかしくてまだうまく呼べなくて、それ一つとっても私は神宮寺さんに不釣り合い。)

 春歌は、いつもそんな風に考えていた。

 自信が無いから彼を同等に呼べないのだ。
 私は彼に比べて、こんなに容姿も社交性も劣っている。

 芸能界にごまんと居る、人目を引く女性タレント達に囲まれて日々仕事をしている彼にとって、自分との交際は只の気紛れだったとしか思えなくなってくる。悪い方へばかり考えてしまう。芝居とはいえ、自分じゃない誰かと唇を重ねる恋人を思い浮かべたら、寒気がして仕方が無かった。

 きっと自分は捨てられるという悪寒。
 
 涙がぼろぼろ溢れて来て、春歌はそのまま鏡の前で蹲る。
 その時、携帯電話が鳴った。

 「・・・?」

 誰だろう。
 仕事の電話だろうかと、テーブルに置いてあった端末を手に取った。

 「一ノ瀬さん・・・。」

 表示された名前を確認した春歌は、通話ボタンを押した。













 「あ、こちらですよ・・・迷わなかったですか?」

 「はい。」

 トキヤは先に来ていた。
 春歌の姿を見つけるとさっと近寄り、見やすい位置まで連れて来てくれた。

 「突然ですいませんでした。でも君も、見ておいた方がいいと思いまして。」

 「そう、ですよね。はい。丁度曲を作る手が止まってしまっていたので、気分転換が出来て良かったです。誘って下さって有難うございます。」

 ぺこりと頭を下げた春歌見て、トキヤはふっと笑った。
 
 一ノ瀬トキヤ。
 学園時代、Sクラスで一緒だった時からつきあいのある、レンと共通の友人だ。
 
 友人というよりライバルなのかもしれない。
 レンとは確かに性格的はあまり合いそうもないのだが、お互いがお互いの才能を認めているのは確かだった。レンとはまた違うアイドル性と、努力が産む歌や芝居のうまさなど、春歌も色々学業を修める上で刺激をもらった。

 (一ノ瀬さんは本当に真面目です・・・。たった一回ゲストでしか出番の無い番組の撮影をちゃんと見学に来て、頑張ってる。すごいなあ。ウジウジしてないで、見習わないといけないな・・・。)

 本当は、今日だけははっきり言って気が乗らなかった。
 台本を読んだだけでもイヤだったのに、まさかそのシーンの撮影現場を、間近で見る事になろうとは。

 それでも断れなかった。ワガママを言って自己嫌悪に陥るのもイヤだったし、何より、トキヤに理由を説明できなかったからだ。正直に話すのは事務所の方針上言語道断と思われたし、かと言って仮病にしろ嘘を吐くのは忍びなかった。

 数メートル先では、大勢の人間がレンや他の役者達を囲むように動いていた。
 背丈もあり華があるレンは、遠目からでも目立つ。その天性の華は、決して大物俳優にひけを取って無いと、春歌は眩しい気持ちで自分の恋人を眺めた。

 真剣な顔で何かを話しているが、時折、ベテランが場を和ませているようで笑顔が見える。レンの横に居る綺麗なモデルのような役者には覚えが無かったので、あれが新人だと説明があった、相手役の女の子なのかな・・・と、春歌はつい値踏みするような視線を投げてしまった。

 (やっぱり、見たく無かったな。)
 
 などと一瞬思ったが、「あそこからああやってライトを当てると、こっち側がこう映るんですよ。」 などと、小声で教えてくれるトキヤの話は、幾ら自分が表舞台に立たないとはいえ、これからもこのような仕事をする上では一つも無駄ではないと思えた。

 春歌が断れなかった理由には、「曲を作る為に、一度も現場を見ないのと見たのとでは出来あがりに差が出るのではないですか? 」 と、春歌が何かを言う前にトキヤに言われてしまったからでもあった。
 彼みたく、真っすぐに良い作品を作る為に仕事と向きあう人間から 「仕事の為に」 と尤もな理由で誘われたら、断るのは難しかった。

 トキヤは、この作品にはゲストとして一度登場するだけだ。彼の撮影はまだ1週間程後だそうで、その前に一度現場を見学したかったらしい。

 レンと人気を二分するアイドルの役だと資料で読んだ。
 2週間後に発売されるトキヤ自身の新曲が劇中、登場シーンなどで使われるらしい。子役をしていた時代があったとはいえ、歌手、そしてアイドルの一ノ瀬トキヤとしてはまだレンと同様新人の域を出ない彼にとって、新曲の宣伝を兼ねながら更にファンを増やす大きなチャンスで、気合いが違うようだ。

 暫く2人で立ったまま撮影を見ていた。

 「本番!」 という声が響き渡り、スタジオが一種独特の時の停止をする。
 その停止した時間の隅で、トキヤが小声で何かを言おうとしたのか春歌に体を近づけたその時、レンが相手役の女優の肩を抱き、顔を寄せた。

 「・・・!」
 
 息を飲んだ春歌の所作は、すぐ隣に居たトキヤに伝わったらしい。
 
 同じように、あ、と言葉には変えず喉の奥を鳴らしたトキヤの小さな戸惑いが、春歌に伝わった。きっと、自分はひどい顔をしているのだろうと春歌はそのトキヤの様子から悟ったが、どうする事も出来なかった。

 撮影風景から目を逸らした春歌は、音をたてない様にスタジオから小走りに出て行った。
 








            

   To Be Continued・・・







 

 

 

 
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complice 第2話

 


 complice
 第2話
 







 「待って下さい! 七海さん!」

 駆け出して来たものの向かう宛ても無く、なんとなくゆっくり歩き始めた所で、外まで追い掛けてきたトキヤの声が大きく響いた。春歌は、周囲への気遣い的な気持ちで足を止めた。
 軽く息を切らせたトキヤが、春歌の前まで来て立ち止まった。

 「はぁ、はあ・・・。意外と走るのが早いですね・・・。いきなり出て行くから・・・。見学の許可をくれたプロデューサーさんに挨拶だけはしないと失礼でしたから、それから追いかけたものですから、はぁっ・・・。追いつけて良かった・・・。」

 「すいません。」

 別に追いかけてきてくれなくても良かったのに。
 
 呼吸を整えながら話すトキヤに対し、そんな本音がチラリと出かかったが、それを消して素直に謝る。一緒に見学をと誘われたのに、何も言わずにいきなりスタジオを走り去ったのだから、確かに自分が悪いのだ。

 自身の非を認めながらもトキヤの顔を見れなくて、俯いたまま、小さな不貞腐れたような声で返してしまった。

 なのにトキヤは、そのような態度は意に介してないように穏やかに春歌に話し掛けた。

 「君が謝る事はありません。私の方が気が利かずに、あんなシーンの撮影見学に誘ってしまって・・・すいませんでした。」

 そうだった。
 彼は知っているのだ。おおっぴらに言った事は今まで無いが、一緒に学園で過ごして、一緒に事務所に入った仲間だから、噂も聞いただろうし、きっと気付かない所でそれらしい態度だったのを見られた日だってあっただろう。
 
 2人の仲は周囲には暗黙の了解のようになっていたから、あまり気にしてなかったが、彼は知っているのだ。

 自分がスタジオを走って出てきた理由を。

 そう認識したら、何故だか急にトキヤが甘えても許される対象のような気がしてしまい、拗ねた気持ちを全面に押し出して、春歌は俯いたまま言った。

 「仕事だから、しょうがないじゃないですか。仕事だから、我慢しなきゃならないじゃないですか。」

 既に言葉尻が涙声だ。
 判っていても、一度口にした言葉を止められない。

 「でも、どうして我慢しなくちゃいけないんですか。大好きな人が他の人となんて、そんなの、嫌で嫌で、本当に嫌です。私が逆に女優さんで、演技でも他の男の人と、あんなシーンを撮影しなきゃならないって時に、神宮寺さんは平気で居られるんですかって聞きたいです。だけどそんなコト言ったら、私はただのわがままな子供です。」

 泣くまいと必死になるせいで、声が大きくなる。

 「こんなドラマなんか、断ってくれれば良かったのに! せめて、知ってたら私は仕事を受けたりしなかったのに! だけど、だけどだけど、そんな事を言ってる自分がもっと嫌なんです!」

 言いながら、後悔が勢いよく沸騰してくる。
 なのに止められない。

 みっともなく泣き叫ぶ自分を、トキヤはどう思うだろうか。
 
 彼はいつも冷静な現実主義者だ。レンも冷静さでは負けないが、トキヤはそこにストイックさも加わる。こんな取り乱した姿は、彼にとっては侮蔑の対象だろう。しかも理由が仕事だ。呆れられるに違いない。
 
 トキヤは告げ口をするような輩ではないが、それでもレンと会えば、それなりに会話をする友人同士だ。何かの拍子に、トキヤの口からレンにこの事が伝わるかもしれない。そんな事があったら、それこそ自分は情けなくて耐えられない。なのに止められない。言い出した本音が、抑え込んでいた限界を越えたからこそ溜め込んだ総てを吐きだす力に変えて、春歌の心の淀んだ何かを道連れにぶち撒かれてゆく。

 ひとしきり声を張り上げた春歌が、黙った。
 後悔と、言ってしまったという単純な、事実への傍観とが混じる複雑な気持ちを握りしめ、大きく息を吐いて黙った。

 沈黙はきっと数秒だった。
 それでも、恥を晒した春歌には大分長い時間に感じられた。しん、とした周囲に、一人だけ醜い熱を放っている自分が空しく浮かぶ。それがまたみっともなくて消えたいと思う。

 「もう、気が済むまで泣いてしまった方がいいと思いますよ。」

 思いがけない言葉に、春歌は弾かれたように顔をあげた。

 目の前のトキヤは、しょんぼりとして顔を歪ませている。
 
 「私が、誘ったりしたから・・・・。ちょっと考えたら、君の性格からして、こんな結果になるのは気付けたのに。自分のコトばかり考えていました。すみませんでした。それに、その・・・。」

 「?」

 言いにくそうに言葉を切ったトキヤが続ける。

 「私は・・・・その、君が、ちゃんと割り切ってると思ってたんです。電話した時、そんなに気にしてる様子でもありませんでしたから、仕事なんだから、芝居ならこういう事もあるだろうしと、納得してると思って・・・。」

 トキヤの言葉は、春歌の心をずり、っと軽石で擦る感触で通りすぎた。
 そうだ。トキヤの言う通りだ。それが普通なのだ。歌も芝居も出来るアイドルを恋人にするという事実は、そんな割り切りを持って当たり前であるべきなのだ。

 知っていたつもりでも、第三者に言われるとこんなに違う。気づかされたとうちひしがれる。

 こんな風に、感情で物事を測る小学生と変わらない行動を取るようで、どうしてレンの恋人なんかが務まるものか。

 そう思ったら、今度は無性に力が抜けて空っぽになって、思わず笑ってしまった。
 春歌は諦めた顔で笑ってしまったのだった。

 「いえ、一ノ瀬さんは何も悪くありません。謝らないで下さい。私が、判ってなかったんです。割り切って無いんです。」

 「七海さ、」

 「私、全然ダメですよね。これじゃあ神宮寺さんと付き合う資格、無いですよね。私の事は気にしないで下さい。一ノ瀬さんはちゃんと見学して、今度の撮影に備えて下さい。誘ってくれたのにすいません。私、割り切って無かったんです。しなきゃならないのに、出来て無かったんです。だから、一ノ瀬さんは何も悪くないです。私がダメなんです。全然ダメだったんです。早く見学に戻って下さい。私なんて構ってる場合じゃないですよ。」

 口を挟もうとするトキヤの声も遮り、顔も見ず、早口で捲し立てて彼をスタジオに帰そうとしたのだが、トキヤはその場から動かない。
 春歌も、気持ちの整理が上手く付かなくて、足を動かせないでいた。だから、トキヤから踵を返してほしかった。

 俯いている春歌の目に映るのは地面の小石ばかりだ。
 早くスタジオに戻ってほしい。今にも落ちそうな涙をこらえる春歌は、苛立ちに似た口調でつい

 「お願いです、早く行って下さい!」

 トキヤに向かってそう言い放ち、顔をあげた。その瞬間だった。

 「っ・・・・!」

 あっという間にトキヤに抱きしめられたと理解したのは、自分で自分の身体を支えているのは足だけだと判ったからだ。上半身はトキヤの腕に引っ張られ閉じ込められ、彼の胸に完全に体重を預けてしまっていた。

 鼻が潰されるかと思う位痛かった。
 少し顔をずらすと、トキヤの匂いが自分を包む。突然の波に思考を根こそぎ持っていかれ、春歌は声も出せず固まっていた。

 「私のせいですいません・・・君を、泣かせてっ・・・!」

 春歌を抱く腕に更に力が入る。息が止まりそうになる。

 彼の謝罪は春歌にとって、この場で更に泣いてもわがままだと思われない。と言ってくれているように聞こえた。
 堰を切ったように声を上げて泣き出した春歌を、トキヤはそのまま黙って抱きしめ続けていた。










 「私、神宮寺さんとお付き合いする事がどういう事か、わかっていたつもりだったんです。でも、違いました。」

 ぽつりと、そう呟いた春歌の目の前には、トキヤが淹れてくれたココアが湯気を立てていた。
 
 ひとしきり泣き喚いた春歌をトキヤは優しくあやし、自分の部屋まで連れて来てくれた。
 あやすというとまるで赤ん坊にするようだが、実際自分の感情を泣くという行動でしか外へ向けられなかった春歌が泣きやんだ後、トキヤの振る舞いはそれに近かった。

 トキヤは普段から自分にも他人にも厳しい人間だが、一歩踏み込んだと認めた相手には、辛辣な言葉を投げながらも面倒見良くつきあってくれる性分でもあった。実力主義の学園時代、厳しい競争の中で誰もが、パートナーと2人だけでは乗り越えられない壁もたくさんあった。そんな時に協力してくれた友の一人である彼の優しい一面は、春歌も良く知っていた。

 実際、女生徒からしょっちゅう言い寄られるレンを目撃して気落ちする春歌を慰めるのは、大抵トキヤだった。淡々と、気にするな、というような一言を掛けるだけだが、その決して押しつけがましくない気遣いがありがたかった記憶があると、春歌はちらりと振り返った。

 その背景が、彼女を安心させているのだろうか。
 春歌は、ゆっくりと、それでもしっかりと言葉を選んで話をした。

 「ずっと、コンプレックスでした。私なんて、可愛くもないし、スタイルも良くないし、人より優れてる能力も何もない。音楽が好きっていうだけです。そんな私がこの世界に入れたのは、確かに努力はしましたが、多分半分以上は運です。神宮寺さんがペアになってくれたから卒業出来たんです。神宮寺さんが、華やかで、かっこよくて天性のアイドル性があるから・・・。」

 今まで秘めていた悩みが、一度口にしたせいで後から後から溢れ出る。

 「それに、神宮寺財閥の御曹司なんて、ほんと、庶民の私には世界が違い過ぎて、一体どうして、って感じですよね。こんな私が神宮寺さんとおつきあいするなんて、やっぱり無理があったんです。」

 何か言いたげな顔で春歌を見たトキヤだが、黙ってそのまま、話の続きを仕草で促してくれた。
 初めてはっきりと口に出して、レンと付き合っていると公言してしまったのを一瞬後悔したが、トキヤのその態度に安堵し、春歌はまた吐露する。

 「会議の時、私はもう内容を聞いただけでショックで、偉い人の話も頭に入って来ませんでした。プロとしてダメですよね、仕事の話を聞けてなかったんですから。その後、神宮寺さんと少し話をした時、私、本当にしなくても、それっぽく撮ってもらえるんですよねって言ったんです。そしたら・・・。」

 そこまで言って、春歌は唇を噛んだ。
 切れない沈黙に、トキヤが、困ったように息を吐く。

 「あの監督は、そういうのはダメらしいんですよ。」

 「・・・はい。」

 「知っていたんですか。」

 「・・・はい。会議のあった日、神宮寺さんに同じ事を言われました。だから、信じて耐えて貰うしか、無い。って・・・・。」

 「え。」

 事のほかトキヤの声が驚きに満ちていて、春歌は思わずきょとんと彼を見た。
 隣に座る友人は声の調子のままの、虚を突かれた。といった表情だった。

 「レンが、そんな風に言ったのですか? ・・・耐えて貰うしか、って。意外ですね、レンらしくないというか・・・ちょ、っと信じられません。」

 戸惑いながら、トキヤが言う。

 「あのレンなら、それこそ女性が、そんな事すら許してしまいそうになる上手い言い方をしそうなものですが・・・。」

 いつも何でも軽く切り返して、スマートな所作で総てをこなすレンから、耐えてほしいなどという願いが出るとは想像つかなかったのだろうか。

 春歌はそこでハッとした。

 そう、きっと自分も、あの時意外だったのだ。
 意外、というより、想像していなかった答えで落胆したのだ。

 きっと自分は期待していたのだ。トキヤが、耐える、などという言葉がレンから出たのに驚いたように。
 レンはいつもカッコ良く、恋人の為に、物語に出てくる王子様さながらの気障を、やってのけてくれると思っていた。

 だから会議の場でも、実際にはキスしなくてもいいですよねと、周りのスタッフにウインクでもして流してくれると思っていた。家に戻ってきたら、ああは言ったけど実際はしないから安心してね、などと少女漫画みたいな台詞を吐いてくれると思っていたのだ。そう、自分は心のどこかでそんな風に期待していたのだ。飄々と総てを流していく姿ばかりが印象的で、実直さなど、あまり今までのレンに見ていなかったのだ。

 驚いたトキヤの反応は、そのまま自分の深層心理だ。そうだ、きっと自分は驚いて落胆したのだ。期待外れだった恋人の言葉にショックを受け、そして自分の期待が如何に甘いかを思い知らされて情けなかったのだ。
 
 自分はなんと愚かなのだろう。釣り合わない、などと言いながらその実、彼は私を泣かすような真似はしない。いつもきっと、軽くスマートに自分を優先してくれる。と思い込んでいたのだ。なんと滑稽な。

 クスリと。
 小さな自虐の笑いが春歌の口から洩れた。

 「なんか私、色々勘違いをしていたみたいです。」

 唐突にも取れる春歌の言葉に、トキヤは顔を向ける。
 春歌は、さっきトキヤに抱きしめられる前よりも、もっと確かな絶望を内に見た気がした。

 期待していた自分が情けない。
 そして、期待にこたえて貰えなかった自分は、彼にとってそうするだけの価値が無かったのだと思うと、泣いても癒えない程に悲しく情けない。

 「私、神宮寺さんが、本当にはキスしないとか、役を断ってくれるとか、そういうバカみたいな、あり得ない何かを期待してたんだって、今気付きました。だから、泣けてしまったみたいです。私が思ってたより、彼は、私より仕事だったんだ、って・・・。あ、でも当たり前ですよねそんなの。それも判ってるんです。」

 どうしてレンの言葉がショックだったのかが判っても、結局根本が仕事であるから問題は解決しない。それもまた春歌の心を押し潰す。
 あの時のもやの表現がついても、また堂々巡りで、仕事だからと割り切れない自分に自己嫌悪する地点へ戻って来る。出口が見えなくて頭が重くなってくる。

 「私、神宮寺さんの何を見ていたんでしょうか。彼なら、なんでも笑顔で上手く切り返せるとでも思ってたんですね。バカですよね。そんなワケないのに。神宮寺さんだって魔法使いじゃないんだから、そんなの無理なのに、彼が私を辛い気持ちにさせるなんてありえないって思い上がってたから、彼にもどうにも出来ない事があって、耐えてほしいって言われて、ショックで、なんか・・・がっかりしちゃったんです。ごめんなさい。一ノ瀬さんを、こんな下らないコトに巻き込んでしまって・・・。」

 「七海さん・・・。」

 自嘲した笑顔で謝る春歌を、トキヤは痛ましげに見詰めた。
 そして、そっと距離を詰めて隣に座り、クッションの上にあった春歌の手をそっと握った。

 「謝らなくていい。君は悪くない。君は、というか今回は、レンも悪い訳ではありません。私達のような仕事をしていたら、仕方の無い事なんですよ。だから、泣きたければまた泣けばいい。」

 「・・・。」

 無言で頭を振る春歌を、トキヤがふわりと抱き寄せる。
 
 「これ以上、君はこの事を気にしない方がいい。ただ、泣きたいという気持ちにだけ、素直になればいい。まだ辛いんなら、泣いてしまってスッキリして下さい。・・・・私が、一緒に居ます。君が泣いてるの、嫌なんです。私で良ければ、君が泣きやむまでずっと一緒に居ますから。」

 優しく、労わるようにトキヤが言う。
 春歌は少し首を傾げた。

 「あの、どうしてですか。」

 「え。」

 「どうして、そんなコト言ってくれるんですか。神宮寺さんがそういう事を言うなら、つきあってるからって理由もあるけど、一ノ瀬さんは別に、あの、友達、です、けど、だからってそこまで・・・。」

 純粋に不思議そうに尋ねる春歌に、トキヤが困ったように笑う。
 少しして、ぼそりと、トキヤが告げた。

 「今言った通りですよ。君が泣いてるのは、嫌なんです。」

 「・・・。」

 春歌が黙る。トキヤは微笑んで言葉を繋げた。

 「この仕事をしている以上、今回のような事はこれからも起きてしまうと思いますよ。きっと君は、その度に苦しむでしょう。そんな時は、私に一緒に居させて下さい。今日のように解決しない気持ちも、口に出せば少しは軽くなるかもしれない。どうしようも出来ないものは世の中に色々ありますが、人に話して自分の気持ちを楽にする対処方法は、そんな場合にこそ有効だと思います。」

 教科書の文言のような彼の言葉は、学生時代からそうだったが、いつも尤もらしく聞こえる。

 「今日みたいに、泣きたい理由がレンだとしたら、いくら恋人でも頼れないでしょう。」

 「それは・・・まぁ、はい・・・。」

 「そんな時は、私を頼ればいい。それで君が泣かないでいてくれるなら、少しでも気持ちが楽になるのなら、聞きますよ。」

 「どうして、ですか。そんな、そこまでしてもらうような、一ノ瀬さんもお忙しいので・・・。」

 「私は君が好きなんです。」

 告げた瞬間、ん? と一瞬難しい顔で固まった春歌の頬に、トキヤがそっと口づけた。

 何をされたのか一瞬判らず、そして理解した途端、まんまるに見開いた目で自分を見る春歌に、トキヤが相好を崩した。

 「どうしてそんなびっくりしてるんです。私の気持ちは、結構バレてると思っていたんですけどね・・・。まあ君の鈍さは知っていましたが、本当に気付いて無かったんですね・・・。まったく。」

 「いえあの、まさか、そんな、冗談ですよね?」

 春歌は信じられない気持で、思わず意味もなく手を顔の上下に当てたり離したりを繰り返し、誰もいないのに横を見たり、ソファの具合を確かめるかのように座り直したり、忙しなく挙動不審になっている。

 その様子を見て拍子抜けしたのか、さっきより更に肩が下がり、トキヤが照れた笑顔で言った。

 「やっぱりキスしたのは正解ですね。いささか強引かとも躊躇したんですが、そうでもしないと、君はきっと判ってくれないと思いまして・・・。」

 「だ、だからって・・・!」

 益々真っ赤になって沸騰している春歌に、

 「七海さん。」

 きゅ、っと。トキヤが春歌の手を力を込めて再度握ってきた。
 好きだと告げられ頬にキスされた驚きの方が大きくて、春歌は手を握られてもそれに気を向けられなかった。

 「今日のこと、レンには言ったりしないから大丈夫ですよ。また辛くなったり、悲しくなったら電話して下さい。メールでも構いません。君からの連絡を、迷惑だとは絶対思いませんから。」

 「え? いえあの、そんな。」

 「さっきから、同じ台詞ばかり繰り返していますよ。面白い人ですね。」

 ふっと微笑んだトキヤが、直後、幾らか真剣さを取り戻した声で言う。

 「遠慮しないで下さい。私がそうしてほしいです。君があんな悲しそうにしてたら放っておけない。だから、また何か悲しい事があったり困ったりしたら、私を呼んでほしい。いいですね。」

 トキヤの声は真剣だった。

 「君を困らせたりする気はありません。ただ、レンが理由で悲しい時は、私が居ます。頼ってほしい。それだけ覚えいて下さい。それ以外は今まで通りの君でいてくれれば、それでいいんです。」


 突然の嵐が春歌の胸を掻き乱している。
 好きだと告白された戸惑いと、目の前の友を急に異性と認識したざわめきで、春歌は地に足がついてない。

 トキヤの熱意に嘘がないと感じた春歌は、そのままこくりと頷いてしまった。
 
 好意を無下に断ったら相手が可哀想だという気持ちも働いたせいだった。別に疾しくない。これは、単に、友達として甘える日があるかもしれないという、そうなった時に約束があった方がお互い楽なのではないかという、妙ではあるが気遣いだ。ただそれだけの事なのだと思って、頷いたのだった。
 
 春歌のそんな心中を知ってか知らずか、トキヤはほっとしたように微笑み、約束ですよ。と、春歌に小指を差し出した。

 
 
 
 
   

   

 To Be Continued・・・








 

 

complice 第3話

 

 

 complice
  第3話


 

 


 
 
 ベッドの上で、何気なく天井に手をかざす。
 この手は今日、なんだか良く判らないまま、レンではない男が愛しげに握っていた手だ。

 一ノ瀬さんが私を好きだったなんて、初めて知った・・・。
 
 直球で投げられた気持ちに胸を掴まれ、家に戻っても何もする気になれなかった春歌は、そのままベッドに倒れ込んでゴロゴロしていた。

 夜になっても、部屋の明かりもつけずぼんやりとしていた。
 暗闇に目が追いつかなくなってきて、春歌は何とはなしに時計を見る。もう19時を回っていて、一体自分は何時間こんなにだらしなく過ごしているのかと呆れる。

 トキヤは、あの後もスタジオには戻らず、部屋まで送ってくれた。
 今日は夜まで撮影があると聞いていたので、まだ間に合うから、仕事の為に早く見学に戻ってほしいという春歌に、君の方が心配だからと、トキヤは譲らなかった。

 彼は優しく笑い、努めて明るく帰り道も気を遣ってくれた。好きだといったその言葉に嘘がないのだと、春歌は気恥かしさでまともにトキヤの顔を見られなかった。

 言われてみれば確かに、今までの何気ない日常で、ああ。と思う時があると気付いた。

 学園時代もトキヤはよく春歌の曲を聞いては、ここをこうした方がいいなどとアドバイスしてくれた。学内施設の予約の仕方も、寮の設備の上手な使用法も、こんな事も判らないのですか、などとお小言を言いながらも、色々細かく教えてくれた。でもそれは、彼がそういう、何やかや文句を言いながらも面倒見が良い性格だからと思い込んでいた。

 君の曲が好きだと言われた時も、単なる社交辞令の一種だと思っていた。
 事務所に所属してから、レンと付き合っている事を雰囲気で周囲が察し始めた時、妙に寂しそうな顔をしていたのは、あれは、そんな理由だったのかと、春歌は初めてトキヤに申し訳ない気持ちを抱いた。

 それでも彼は、ずっと変わらず自分に接してくれていた。
 春歌は、設備も整っている学園のレッスン室を卒業後もたまに使用していて、レンと二人でレッスン室に居た時にトキヤと鉢合わせした日もある。あの時も、トキヤに特に変わった様子は感じなかったが、それは自分が鈍かっただけなのかと、春歌は温もりの残る手を見詰めながら考えていた。

 レンだって優しい。

 彼には愛されている。それは自覚している。お姫様扱いして、リードしてくれる。年齢は少ししか違わないのに、彼は自分よりうんと大人みたいだと春歌はいつも思っていた。大人みたいと思うのは頼れる安心に繋がり、それはきっと、彼の自分への愛情が生み出す安寧感なのだとも理解していた。

 
 「!」

 部屋のチャイムが鳴り、春歌は驚いてベッドから飛び上がった。
 今日は誰とも約束をしてなかった。物思いに耽っていたので余計驚いて、春歌はバタバタと慌て気味に玄関へ向かった。

 ここはシャイニング事務所の寮なので、外部の人間が訪れる事は基本的にない。
 宅配便も管理棟が一旦預かる。訪問も、そこが通さなければ関係者以外は部屋までは来られないから、部屋まで来るのは事務所の人間だけだ。

 ドアを開けると、レンが立っていた。
 驚いて、ドアを開けたまま固まってしまう。

 「やぁハニー。仕事してたかい? いきなり来てごめんね。」

 「神宮寺さん。あ、いえ、仕事は今は、してなかったんですけど・・・。」

 「あがってもいいかな。ちょっと疲れちゃって、自分の部屋に帰る前に、ハニーの顔が見たくってね。充電したいな。君を。」

 レンが茶目っ気のある笑顔で、頬をちょんと、突いてくる。

 「あ・・・あ、はい。どうぞ。」

 出来れば今は会いたく無かった。という気持ちと、単純に逢えて嬉しい気持ちが入り混じる。
 好きなのだから、会いたいと言われたら嬉しい。自分も会いたいのだと思う。でも今日は、どちらかと言えば会わずにおきたかったような気がしながら、春歌はレンをリビングへ通した。

 

 疲れたと言った通り、レンはソファにどさっと腰を下ろすと、溜息をついた。
 春歌はそんな姿をちらりと見遣り、キッチンでお茶の支度を始めた。なぜだか手間を掛けたくて、わざわざ丁寧に用意した。コーヒーの香りに気付いたらしいレンが、インスタントでいいよーとソファから声を掛けてくる。春歌は返事をしながら、面倒な手間を変えなかった。

 「わざわざちゃんとしたのを淹れてくれるなんて。君だって仕事があるのに、すまなかったね。」

 トレイを手にリビングに戻って来た春歌を見て、レンが目を細める。
 彼の前にカップをセットしながら、春歌もソファに腰を下ろした。

 「今日、スタジオに来てたね。」

 徐に、レンが言った。
 春歌は内心ぎくりとしたが、別に見学が悪い訳ではない。事務所から禁止されていた訳でも、レンに来るなと言われてもなかったので、ごく普通に返事をした。

 「はい。少しだけ。・・・あの、どうして判ったんですか。私、隅っこの目立たない所にいたつもりだったんですけど。」

 「判るさ。俺は君だけは、どこに居てもわかるんだ。」

 微笑んだレンがコーヒーを一口飲む。
 春歌はどんな顔をしていいか迷い、無言で、小さなカゴに入ったクッキーを薦めた。

 「イッチーと一緒に来たの?」

 今度こそ、ぎくりとした神経が手の動きに出た。
 
 別に普通の質問なのに、額に汗が滲んだような気までした。直前に触れた籠から手が離せない。クッキーの包みの、鮮やかなセロファンの色が目に刺さる。なぜそんな事を聞かれるのだ。まさか今日、自分とトキヤの間にあった何かを知っているのかと、ありえない妄想に襲われる。

 「あの、一ノ瀬さんが、見学した方が曲も良くなるんじゃないかって、電話で誘ってくれて。」

 言い訳がましい返事なのは何故だろう。
 単に誘われたとだけ言えば済むものを、トキヤが誘った理由から口にするなんて。

 「そっか。まぁ、そうかもしれないね。君も幾ら仕事とは言え、部屋に籠りっきりも良くないしね。」

 レンは普段と変わらなかった。
 それにほっとし、春歌も一口、コーヒーを啜った。そんな春歌を隣から見詰めて、レンが尚も話す。

 「折角だから君を共演者の先輩方に紹介しようと思ったのに、いつの間にか居なくなっちゃってさ。探したんだよ。」
 
 それは、何気ない言葉だった。
 レンはその時も、普段と変わらぬ様子で言ったのだ。だが春歌はあの時見た、レンが相手役の女優の肩を抱いた光景をなぜか思い出し、咄嗟に苛立ち混じりの口答えをしてしまった。

 「だって、今日あんなシーンを撮影するって知らなかったんです。見たくなかったから、しょうがないじゃないですか。」

 「ハニー・・・。」

 きつい調子で言い返した春歌を、レンが泣きそうな顔で見るが、春歌は俯いててそれに気付かない。
 あれだけトキヤの前で泣いたというのに、結局割り切れて無い。これは割り切れない事なのだから、今後も似たような事があったら自分の所へ来てほしいと言ったトキヤの言葉は当たっていると、頭の隅でちらりと思った。
 
 芝居だろうがキスの相手を事もあろうに恋人に紹介するなど、こんな事を言われて、仕事だから私も是非ご挨拶させて頂きますと返事をしろと、彼は言うのか。これを、これからも延々と続けて行くのか? 彼とつきあう限り? 

 「共演者の先輩って、あの女優の吉野京子の事ですか? 実物も本当に綺麗らしいですね。大物だから自分の出番ギリギリまで楽屋でのんびりなんですか? 私がお邪魔してすぐに本番になっても、お見かけしませんでしたけど。今日の撮影にいらしたんですね。でも、私には関係ないです。別に会いたくありません。」

 「そんな言い方しないでくれないか。」

 ぐいっ。と、腕を引かれる。だが。声は怒ってる雰囲気ではなかった。どちらかと言うと困っているような声に聞こえたが、春歌は引くに引けなくなり、顔をそむけて尚も言った。

 「どういうつもりでそんなこと言うんですか? そんなこと・・・。あんなシーンを撮影する相手に挨拶なんて。会いたくありません。 」

 「ハニー、落ち着いてくれ。」

 レンが春歌の両腕を掴む。

 「これは仕事だ。どうせ仕事なら、気が乗らない役もこなす代わりに、貰える旨味を根こそぎ貰った方がいいと思わないか。吉野京子はこの世界ではそれなりに大物だ。彼女に気に入られれば、きっと君の才能なら何かの時に使って貰える。だから、会っておいて損はない。コネクションが大事な芸能界で、力のある人間に会えるチャンスをふいにするのは勿体ないだろう。」

 「そんな事を聞きたいんじゃありません!」

 違う。
 そんな事を聞きたいんじゃない。未来の仕事の成功は今はどうでもいい。ただ安心させてほしい。切れ目ないこのどうしようもないやるせなさを、レンの手で断ち切ってほしいのに、でも、こんな事を言って彼を困らせたくないのに、何故。

 「判ってるんです。仕事です。でもだからって、お芝居だから他の人とキスするのを、そんな簡単にうまく考えられないです。私は、私は神宮寺さんみたいに、簡単には割り切れません!」

 そう言い放った時、レンが春歌の腕を離した。
 やっと、春歌が目の前の恋人の顔を見る。

 「君は、そんな風に思ってたの。」

 「・・・。」

 「俺が、簡単に割り切ってると思ってたの? ・・・・は。」

 乾いた短い笑いが、レンの唇から洩れる。
 ゆっくりとソファから立ち上がったレンを、春歌は呆然と見上げた。

 「もうこの話は止めよう。俺たちにとって良くない。・・・帰るよ。」

 「神宮寺さん。」

 疲れたように息を吐き、レンが呼び掛けに首を向ける。そして、無表情で言った。

 「ドラマや映画でキスシーン。だなんて、きっとこれからもずっとある。俺は、歌や芝居が仕事なんだ。」

 「・・・っ。」

 「だけどそれを、俺が簡単に割り切ってやってるって? はっ、冗談じゃないな。俺は割り切ってるんじゃない。君にそんな事を言われるとは思わなかったよ。」

 「あ・・・。」

 「この仕事が終わるまで、逢うのはよそうか。つまらない喧嘩はしたくない。君も、作品に影響が出たらいけないしね。」

 「そんな・・・!」

 レンの突然の提案に、春歌はたじろいだ。
 違う。そうじゃない。この問題を遠ざけたいんじゃない。ただ安心させてほしいだけで、見たくない物に蓋をしたいわけじゃないのに。

 「違います、私、そんなつもりじゃ・・・!」

 「今日は帰るよ。ごめん、また連絡する。」

 「待っ・・・。」

 リビングから玄関まで追いかけながら言葉を交わす間、レンは春歌を見なかった。
 扉が閉まる時、一度だけちらりと振り返る仕草を見せたが、扉の方が先に閉まった。春歌は暗い玄関で立ち尽くしていたが、はっとして慌ててレンを追いかけた。

 エレベータは既に下階に降りていたので、春歌は急いで階段を走り下りた。駐車場から出るレンの車が見え、レンがこちらに気づいたように見えた。急いで後を追う。だが、間に合わなかった。

 「神宮寺さん!」

 叫ぶ声も虚しく、誰も居なくなった道路の真ん中で、春歌は途方にくれて項垂れた。






 

 
 「七海さん!」

 混濁する意識の中で、聞いた覚えのある声が聞こえたような気がした。
 肩を激しく揺さぶられ、自分が眠っているのに気がついた。

 「っ!!」
  
 がくんっ! と、どこからか落ちたような感覚がして、はっと頭まで目覚める。
 暗闇の中で、暫く春歌は自分がどこにいるのか解らなかった。

 「しっかりして下さい。こんなところで眠ってしまうなんて、何かあったらどうするつもりだったんですか!」

 「え? あ、え、一ノ瀬さん、え。・・・・あれ・・・・。」

 見まわした周囲には見覚えがあった。

 「一ノ瀬さん、ここって、あ、れ?」

 額を抑えた春歌が固まる。

 「あ、そうか・・・・公園・・・・?」

 「そうですよ。しっかりして下さい。自分で来たのでしょう。大丈夫ですか。しっかり起きて下さい。」

 焦っている声が隣で響く。
 トキヤが、必死に春歌の顔を覗き込んでいた。頬に手を当てたり、心配そうに目を覗き込んだり忙しそうだ。

 「・・・おかしな所はなさそうですね。」

 「あの・・・。」

 ふう、と息を吐いたトキヤは、ゆっくりと立ち上がり
 
 「ここを動いてはいけませんよ。温かい飲み物を買ってきます。すぐそこの自販機で買ってきますから、すぐ戻るので絶対に動かないで下さい。いいですね!」

 きつい調子で春歌に言い含め、ちらちらと振り返りながら自販機まで歩き始めた。どこかへ電話をしているようだったが、丁度そんな時に限って深夜の住宅街なのにオートバイが派手な音を立てて走って行き、あまり良く聞き取れなかった。
 
 大きな樹があるとはいえ、春歌の座っているベンチからも一部見える自販機まで辿り着くだけなのに、よっぽど心配なのだろうか。買っている最中も常に春歌から目を離さないトキヤを、春歌はまだ醒めきらない目で眺める。

 戻ってきたトキヤに手渡された缶コーヒーを受け取る。
 掌がじんわりと暖かく感じた。

 トキヤは春歌の隣に腰掛け、やっと安心したとでもいうように大きく息を吐いた。

 「どうしてこんな所で眠ってしまったんです。苦労しましたよ、探すのに・・・。」

 「探して、たんですか・・・?」

 「当たり前でしょう。レンから電話があった時は驚きましたよ。」

 トキヤは自分も缶に口をつけながら、まだどういう状況なのか良く判ってない春歌に、今夜の出来事を話してくれた。

 あの後すぐに春歌は、レンの部屋まで行こうと思い立ち尋ねた。
 
 だが、どこかで寄り道でもしているのか、レンは自分の部屋に戻ってなかった。1時間程部屋の前で待っていても戻ってこなくて、とぼとぼと歩いて帰る途中、疲れて休憩したこの公園のベンチでそのままうつらうつらと眠気に負けてしまったのだった。

 その頃レンは、後悔して春歌の部屋まで引き返したのだという。
 レンの方も、ドアの鍵が空いたままいつまで経っても家主の帰ってこない部屋で待ち続けていたが、あまりに心配になって、自分の家まで春歌が行ったのではないかと思いついて急ぎ戻るも、諦めて帰った春歌と入れ違いで会えず、焦って学園時代の仲間数人に電話をしたのだった。

 「まったく。どれだけ急いでいたのか知りませんが、携帯も持たずに飛び出すなんてどうかしてますよ。挙句に疲れたからとこんな所で眠ってしまうなんて・・・。」

 「も、申し訳ありません・・・。疲れちゃったから休憩しようと思って。それで、頭を冷やそうと思って目を閉じていたら、眠ってしまって・・・。」

 我ながら、短時間だったらしいがよくこんな場所で眠れたものだと思う。
 確かに、レンを追いかけて外へ飛び出した時はすでに日付も変わっていただろうから、眠くなっても時間的にはおかしくないが、それにしても。

 「泣き過ぎて、疲れていたんでしょう。」

 トキヤが、コーヒーを飲みながらぽつりと言った。彼の言葉に、なぜだか胸がぎゅっとしめつけられるような気がした。
 色んな事を言い当てないでほしい。気付かせないでほしい。今日は昼間から、彼の言葉に、自分の中で名前が付けられなかったぼやけた感情が、適切な枠を嵌められていくようだ。

 トキヤは一気にコーヒーを煽るともう一度自販機の傍へ行き、缶を捨てた。
 戻ってきて、少し無言で春歌を見詰め、それからなんでもないように言った。

 「帰ったら温かくして寝た方がいい。・・・歩けますか? タクシーを呼びましょうか。」

 「あ、歩けます。大丈夫です。本当にすいません。・・・あの、神宮寺さんはもう、私がココに居るって、知ってるんですか。」

 春歌の問いかけに、トキヤは一瞬間をおいた。そして

 「知っていますよ。先ほど私が見つけたと電話をしましたから。・・・明日、まぁ、もう今日ですが、とても早いのだそうです。一睡もしない訳にはいかないと・・・。見つかったのなら安心したから、送り届けてくれ、と。」

 レンは、迎えには来てくれなかった。
 
 手の中の缶の温度が、消えた。
 

  



 


  恋人は、夜中にいなくなった自分を探しには来てくれなかった。いや。正確には、探してはくれたらしい。探し切れずに、切羽詰まって夜中だというのに友達に電話をした位だ。だが、見つかったという報告を聞いて急いで顔を見に来るよりも、翌日の自分の仕事を選択したのだ。

 無事を、その目で確認に来てはくれなかった。

 ベッドに顔を伏せて、声を布団に殺させて、春歌はまたひとしきり、泣いた。

 

 

 どのくらい泣いていたのか解らない。
 
 春歌はのそりと起き上がり、仕事の続きを始めた。あらかた創作に関する部分は終わり、事務的な作業が残っているだけの状態だったので、腫れぼったい目で黙々と手を動かした。空洞が体に出来たようだった。それでもそれもどうでもよかった。ただ、機械さながらに仕事を進めた。自分はプロだという意識だけが、抜け殻になった春歌の身体を動かしていた。

 何時間も経った頃に鳴った玄関のチャイムも無視した。
 何度も何度も鳴るチャイムを無視し続けた。その甲斐なのか仕事は終わった。提出先へはデータを送信し終わり、撮影現場で監督やらに見本的な意味合いで配るCDも仕上げた。

 意味もなく出来あがった物をぼんやりと見ていたがやがて、呼びかける声と、自分の部屋に近付いてくる人の気配を感じた。

 ノックの音がして、静かにドアが開けられた。

 「・・・どうして居るのなら出てくれないんですか。心配するでしょう。」
 
 呆れたような声がした。
 そこでやっと春歌は、手を止めて後ろを振り返った。

 「あれだけしつこくチャイムを鳴らしても無視するなんて、ある意味立派ですよ。鍵もかけずに・・・。幾らココが部外者が入れないようになっているとしても、あまりに不用心じゃありませんか。」

 そう言って、トキヤは春歌の隣に立った。
 仕事を一瞥し、終わったのを確認してまた気遣わしげな表情をする。なんとなく訪問者はトキヤのような気がしていた春歌は、特に驚く風でもない。トキヤもそれを受け入れてるようだった。

 「君、食事も、というか、水分も取って無いでしょう。おまけにその顔・・・・あれから寝てませんね。公園で寝てたのに風邪を引かなかったのは、単純に今が季節がいいからです。季節が良くても、栄養も睡眠も取らずにいたら倒れてしまいますよ。」

 そっと春歌の頬を、トキヤの手が撫でる。
 目に色を載せてなかった春歌は、そこで初めて彼の存在に気付いたかのようにびくりと肩を震わせた。

 「怖がらないで下さい。」

 トキヤが優しく窘める。

 「何もしませんよ。だから何か食べて、寝て下さい。もう仕事は終わったのでしょう。」

 お願いしても、ふるふると力なく首を横に振った春歌を、トキヤはそっと自分に引き寄せた。

 「あまり心配させないでほしいのですが。」

 「ほんとだよね。」

 
 「――――え。」

 突然割り込んだ声に驚いて、春歌とトキヤは声がした方に顔を向けた。

 「心配で仕事どころじゃない。自分の女が、他の男に手を出されそうになってるなんて。」

 部屋の入口で不機嫌そうに顎を上げて、レンが立っていた。
 春歌もひどく驚き、声も出ない。だが、石膏で覆われた心に神経が戻ってきたと感じた瞬間でもあった。

 「レン。びっくりするじゃないですか。親しき仲にも礼儀ありで、チャイムくらい鳴らしたらどうです。」

 知った顔であった事にほっとした様子で、トキヤが小言混じりにレンに言う。
 レンはそんなトキヤに目もくれず、春歌の前に立った。

 「ごめんねハニー。眠ってたらいけないと思って、黙って入ってきちゃったんだ。」

 「いえ、大丈夫です。仕事をしてましたし・・・。」

 「そうみたいだね。なんかやつれてる。」

 心配そうな顔で自分を見た恋人に、春歌は期待した。
 ゆうべの事を、彼は悔いていてくれてるのだろうか。それについて何か一言でも、愛されていると実感できる一言が貰えたら、それでいい。

 だがレンが次に言ったのは、春歌の考えの到底及ばないものであった。

 「うちへおいで。こんなんじゃあ体を壊す。君は仕事に没頭すると日常生活を疎かにしてしまう。それを理由にたらし込まれちゃ堪らない。ウチには食事の用意でも何でもしてくれる人間は大勢居るんだ。部屋もある。問題無い。」

 いきなりの提案に驚いた春歌が後ずさった。
 それを咎めるかのように、レンが春歌の手首を掴んだ。同時に、机の上にあった春歌の携帯電話に気付き、それを自分のポケットに捻じ込む。

 レンが本気で自分の家へ連れて行こうとしているのだと判った春歌が焦る。

 「まっ・・・神宮寺さん、待って下さい・・・。」
 
 「やめなさいレン。彼女が泣きそうになってるじゃないですか。」

 トキヤが割って入った。
 だが、レンは掴む力を弱めない。

 「イッチーは黙っててくれないか。昨日の件は感謝してる。夜中に突然で悪かったね。借りは何かできちんと返すよ。でも、彼女を俺の実家に連れて行くのを、とやかく言われる筋合いは無いな。」

 春歌の抵抗は弱々しかった。というより、弱い抵抗しか出来なかった。
 
 トキヤが心配した通り、春歌は水もほとんど飲んでいなかった。ゆうべトキヤに買って貰った缶ジュースは、リビングのテーブルに置かれたままだ。
 前の晩にほとんど眠らず、加えて丸二日ほぼ何も口にしてない体は、先ほどまで捗らせていた仕事ですべてのエネルギーを使い果たす寸前で、考えるという力や体力が限界に来ていた。レンが突然入口に居た時の驚きが消えたら、またすぐ思考が停止してしまうほど、色々参っていたのだ。

 額のすぐ裏側から意識が遠のいていく気がする。
 レンとトキヤが何やら言い合っているのが、まるで遠くの景色のようだ。

 「どういうつもりだい、イッチー。」

 血の気が引いてく感覚の途中で、突然レンの険しい声が耳に飛び込んできて、春歌は慌ててまた二人を見詰めた。

 レンが、ひどく厳しい目でトキヤを睨んでいた。
 口調だけはいつもと同じだが、声に明らかに棘がある。その棘が、春歌の耳にも届いたのだ。

 春歌はそこで、やっとレンが、いつもの飄々さとはまったく違う色を纏っているのに気付いた。
 怒った彼を見たのは初めてではないが、ただ怒っているのとも違うような、なんとも言えない圧迫感を感じて怯む。

 「まさかとは思うけど、この隙に、この子を自分のものに出来るとでも? だったら悪いがそれはイッチーの見当違いだ。俺たちはこんな事でダメになったりしない。友人として彼女を心配してくれるのは有難いけど、友人以上の何かがあるなら、もう彼女に近づくのはやめてほしい。俺も、イッチーと仲違いなんかしたくないんだ。」

 「レン、貴方こそ忙しすぎて疲れてるんじゃないですか。勘繰りすぎも甚だしい。私は、友達として心配してるだけですよ。大体、昨夜の件もあるんですから、私がこれだけ心配してもおかしくはないでしょう。」

 「部屋にまであがり込んで?  ・・・まぁいい。下らない言い合いをしてる時間が無い。ハニー、行くよ。荷物は持ってこなくていい。あっちで何もかも用意すれば済む。」

 「待ちなさいレン。彼女は昨日の今日で疲れてる。少しは労わったらどうですか。」

 「労わりたいから、俺の家に連れて行くんだよ。このままじゃ倒れる。俺も今は忙しすぎて、正直自分以外を気にしていられない。俺にとって心配の要らない場所へおいておかないと。」

 「自分が忙しいのと、あなたの家に彼女を閉じ込めるのは別でしょう!」

 咄嗟にそう言ってレンを制止しようとしたトキヤより先に、春歌が腕を振り解いた。
 ほとんど無意識だった。
 
 「ハニー・・・。」
 
 レンが驚いて春歌を見る。
 
 「あの、神宮寺さん、私、仕事は終わりました。だから、神宮寺さんのおうちに行かなくても大丈夫です。少し寝て、それから食事も摂ります。」

 春歌のその言葉に、レンがすっと表情を失くした。

 「どういう意味? 俺と一緒には行きたくないって意味? それとも・・・イッチーと一緒に居たいって意味かな。」

 「違います。ただ、私の生活が心配だっていうのなら、もう仕事は出来上がりましたから、その心配はないっていうだけで。それに、神宮寺さんのおうちにお世話になるなんて、そんなこと出来ません。」

 出来るわけがない。
 自分は結婚相手でもない、ただのレンの気まぐれな恋愛の相手にすぎないかもしれない女だ。彼本人にさえ気後れしているのに、彼の背景である国内有数の財閥の家に足を踏み入れるなど自分には出来ない。

 だけど、それをレンには言えない。
 告げたところで、彼はにっこり笑って、気にしなくていい。と言うだけだ。

 「時間が無いんだ。俺も無理を言って撮影を抜けてきてる。君が早く支度をしてくれないと、次の出番に間に合わない。」

 「神宮寺さん。私、本当に神宮寺さんと一緒に行きたくないとかじゃないんです。ただ、私が神宮寺さんのおうちにお世話になるのは違うって思うんです。だから一緒には行けません。ごめんなさい。お仕事に戻って下さい。私は大丈夫です。」

 必死に言葉を振り絞る。
 倒れそうな頭で、春歌は笑顔を作って見せた。

 しかし。
 レンは春歌のその笑顔を見た途端、憤然とした様子でもう一度強く春歌の腕を強引に引き摺った。

 「きゃ・・・! 痛い、神宮寺さん痛いです!」
 
 半分転びながら悲鳴をあげる春歌を、レンが無言で玄関へ引っ張っていく。

 「レン! 待ちなさい、七海さんが痛がってるじゃありませんか。せめて手を離しなさい!」

 「イッチーは黙っててくれないか。ああ丁度いい。管理人に言って鍵を掛けておいて貰ってくれ。家主は暫く帰らないからね。」

 半分担ぐようにして部屋から強引に連れ出した春歌を、レンは無言で自分の車に放り込んだ。



 




  

  To Be continued・・・


 

 
 
 

 

 

complice 第4話

 


 complice
  第4話







 
 
 
 「神宮寺さん、私。」

 立ち上がろうとする春歌の肩を、レンが抑えて座り直させる。
 だがその力は、春歌を無理矢理ここまで連れて来た時とは少し違った。

 「忙しいのを理由に君を放っておいた、いや。放っておいたつもりは俺には無いんだけど、結果的にそうなったのは悪かったと思ってる。俺たち、ちょっとすれ違ってると思うんだ。何度でも言うけど、ちゃんと話がしたい。頼むよ。終わるまで待っててほしい。今日はどこへも行かないでくれ。君が嫌なら、ムリヤリ家に連れてくなんてしない。兎に角、君と話がしたいんだ。」

 楽屋の椅子に座らせた春歌の前に膝をつき、懇願の声で訴えるレンに、春歌は抵抗し切れなかった。

 彼は、春歌を神宮寺の家まで連れて行ったのではなかった。
 車中、あの怒ったようななりは嘘だったかのようにいつものレンに戻り、春歌を気遣い、謝りながら、仕事が終わるまで楽屋で待っていてほしいと繰り返した。

 トキヤの事に不安を煽られたのかと春歌は考えた。
 そして同時に、トキヤの来訪を知っても驚きもしなかった自分も後ろめたく思えて、ここまで黙って連れてこられてしまった。
 
 勿論、レンが自分を気持ちの上ではちゃんと構っていてくれたのだとも信じられた。そんな土台に加え、あまりに眠くなってきて反論するのも面倒になってしまって、終わるまで待つのを了承した。

 「わかりました。帰らないって約束します。今日は何時になっても絶対に、終わるまで待ってます。」

 春歌の落ち着いた笑顔に、レンはやっとほっとしたように立ち上がり、

 「良かった・・・。ハニー。もし眠くなったら、俺の車で寝てた方がいい。一応ここは俺以外に2人、違う俳優さんも使ってる。そうじゃなくてもテレビ局なんて誰が入ってくるか判らないし、横になるのは俺が心配だ。戻って来た時にココにハニーが居なかったら車へ行くから、連絡はしなくていいよ。今日は帰らずに待っててくれるって、信じてる。」

 そう言って、春歌に車のキーを握らせると、額にそっと優しいキスを落として仕事に戻っていった。

 レンが居なくなった楽屋をぐるりと見渡す。
 スタジオに来るなら、監督などに配る為に作ったCDを持ってくればよかった・・・。などと、呑気な考えが浮かぶ。普段のレンに戻ってくれたからか、家に連れて行かれずにほっとしたからだろうか。

 最初に楽屋に入った時、俺の場所はこっちの隅なんだ、と指さしてくれた方を改めて見た。
 まだまだ新人扱いだから、それなりの役でも個室の楽屋は与えられなかったらしい。壁一面が鏡になった前のテーブル部分に、3人分の荷物が間隔を空けて、それとなく陣地取りのように置いてあった。

 右端に、覚えのある彼のバッグやら上着やらが無造作に乗せてある。

 なんとなしにそこへ近寄ると、楽屋の大きな鏡に自分がくっきりと映った。
 ひどい顔だ。隈もひどい。肌の生気も、窪んでるかの色味だった。これではレンがあんな事を言い出すのも無理も無い。と、自分でも納得する疲弊さだ。
 

 自分の風貌の情けなさに目を伏せたその時、何かが光った気がした。
 キラリと、何かの光が春歌の目に入った。

 「・・・?」

 春歌の手元に、レンがいつも使っている仕事用のポーチが、無造作に口を開けたまま置かれていた。
 覗き込まずともぱっと見える入口にその光はあった。興味本位で手に取って確かめてみるとそれは、やたらと大きな一粒ダイヤのイヤリングだった。留め具自体が普通の物と違って太いデザインで、何やら傷が沢山ついているようで、片方しかない。

 (ダイヤ・・・にしては大きすぎ。イミテーションかな。スワロフスキー・・・? とかかな。あ、だけど神宮寺さんみたいなお金持ちなら、こんなの普通に買えるのかも・・・。でも、どうして神宮寺さんがイヤリングなんか・・・。)
 
 まじまじと見つめ、そして、傍と思う。
 イヤリングなど、普通つけるのは女が浮かぶ。

 まさか、浮気でもされているのではないか。話がしたいというのは、実は別れ話なのではないか。という突飛な不安がぶわっと沸き起こった。

 「俺たち、すれ違ってると思うんだ。」

 さっきのレンの言葉が反芻される。すれ違ってるというのは、お互い違う相手を見てるという意味なのか。自分はトキヤを見ていると勘違いされて、そしてレンは、既に自分とは違う誰かを見ていると? そういう意味なのか。

 脈絡も無くざぁっと巻き起こった不幸な予想に息が苦しくなる。限界に来た眠気と疲労が不安と交差し、倒れそうになる。

 いや、でもさっきはああして謝ってくれたのだから、自分は考えすぎかもしれない。これだって、もしかしたら撮影に使う小道具なのでは? それは充分ありえる。自分はあれから意識的に台本を読むのを避けているから、どこかでこんな小物が登場するのかもしれない。でなければ、普通に考えてレンのポーチに入ってる筈がない。しかしそれでも。

 不安と希望が浮かんでは消え、湧いてはしぼんでを繰り返す。淀む脳が、思考力の限界を叫び始めた。

 春歌は、レンに確かめた方がいい。とそれだけ何とか判断し、イヤリングをポケットに仕舞い込んだ。そして駐車場に止めてある彼の車の後部座席に乗り込み、横たわった途端にどっと流れ込んだ睡魔に身の一切を委ねて、眠りに落ちた。








 
 

 食べても太らない体質は便利だと言いながら、レンがサンドイッチを頬張る。
 すぐ脇にも和風味のチキンサラダの皿を携え美味しそうに食べているのを、春歌は眺めていた。二人してリビングのテーブルで、食事をしながらたわいの無い話をしていた。

 あれから撮影は長引いた。そのせいで、レンが車に戻って来た時には相当時間が経っていたのだが、逆に春歌の体調の回復にはラッキーだった。ぐっすり眠れたお陰で頭がさっぱり冴えたからだ。

 クリアになった思考で、落ち着いてレンと帰路に着いた。
 車を運転しながらまた彼は只管詫びを告げ、2度目の信号待ちで春歌の手を握り締めた。春歌は振り解かなかった。つきあった歳月で積み重ねた目が、今のレンが嘘をついてないと確信していた。

 遅くまで営業しているデリで買い込んだ夜食を、家につくなり拡げて食べ始めた彼に、春歌は勝手知ったるでコーヒーを出した。

 それを、春歌も仲直りしたいと思っている合図だと取ったのか、レンはやっと遠慮勝ちながら、いつものようにスキンシップを取った。
 並びながらも少し距離を空けて座っていたソファで、いつもの距離に戻った。
 春歌は、これも味見してみなよ、と言うレンにフォークで口まで運んで貰ったささみを食べた。電子レンジで温め直したキッシュを、二人でスプーンを交代で取った。あっさりと仲睦まじい恋人同士に戻っている自身の置かれた景色に対し、レンに悟られないように苦笑する。

 食事自体は、そんなに大した時間は掛からなかった。

 「はー。やっぱりここのは美味しいね。ちょっと食べ足りないけど満足だ。太るのは気にならないけど、流石に夜中だから胃がもたれても困るしね。腹七分目でやめておこう。ハニー、コーヒー、ありがと。ハニーは少ししか食べてないけど、足りたの? なんか冷蔵庫にあるだろうけど・・・。」

 「いえ、大丈夫です。御馳走様でした。それと、お疲れさまでした。」

 久しぶりに食事をし、人としての充足感を得たからか、自然ににっこりとほほ笑んだ春歌をレンが眩しそうに見た。

 「? どうかしましたか?」

 「・・・いや。やっぱり、君は笑ってる方が可愛いなって思ってね。寝るのも食べるのも大事だよね。こうして君が、笑ってくれるんだから。ハニーがニッコリ笑ってお疲れ様って言ってくれると、俺はそれだけでほっとするんだ。」

 そっと目を閉じ、レンがしみじみと言った。

 「神宮寺さん・・・。」

 「さっき、腕、痛かったろ。すまなかったね。俺が悪かったよ。仕事で根詰め過ぎて頭が回らなくなってた。でも本当に心配してたんだ。俺は仕事に必死になってただけで、昨日だって心配してて、そんなつもりは無かったんだけど、君を傷つけていたなら謝る。きっと、俺が気遣いが足りなかった。」

 普段なんでも軽い調子でいなす印象の彼が懸命に言葉を選んでいる姿が、何よりも春歌の胸に届いた。
 車の中からずっと繰り返されている謝罪で、春歌は特にレンを責めようという気はなくなっていた。

 「君の笑った顔を久しぶりに見たって事は、俺が、君を笑えなくしてたんだよね。ちょっと撮影で色々あって気が回らなくなってたんだ、ごめんよ。」

 レンは少し躊躇ってる様子だったが、言葉を繋げた。

 「・・・君が好きだ。本当だよ。こういう時に愛を口にするのはズルい気がして、あんまり言いたく無かった。だけど俺は、君無しじゃ居られない。君を不安にさせる位なら、喧嘩中だろうとハッキリと俺の気持ちを伝える。もう君が居ない生活なんて、忘れたんだ。愛してる。だから・・・。」

 春歌の心に、愛してるという響きがじわりと染み渡った。
 思わずレンの顔を見詰める。彼のこんな泣きそうな瞳を、初めて見たと思った。

 「俺以外の誰かの、・・・イッチーの所になんか行かないで。俺には君しか居ない。君が好きなんだ。」

 「神宮寺さん・・・!」

 先に泣いたのは春歌だった。
 泣きそうだと、レンの表情を見て思ったというのに、先に涙が零れ落ちたのは春歌の瞳からだった。

 恋愛は魔物だと思う。
 ほんの数時間前まで、置いてきぼりにされたような疎外感を味わっていたのに、ちょっと優しい事を言われただけで舞い上がってしまっている。シーソーかジェットコースータか。とにかく乗ってしまった以上、自分の思いもよらない上下に振り回される。

 だが、やっぱり自分は、愛してるという明確な一言が欲しかったのだと実感した。
 
 ただただ、それでも君を愛しているのだと、言葉ではっきり安心させて貰いたかったのだ。耐えてほしいと言われたいわけでも、謝ってほしいわけでもなかった。ただ、間違いなく愛していると暗示をかけるように唱えてほしかったのだ。強請ってのものではなく、彼の意思で。自然な所作で。

 あんなに悲しかった気持ちは、彼の謝罪と愛の言葉で、あっさりとさらさらのフラットな砂浜になってしまった。
 
 どこまでも続く地平線まで見渡せるような、隆起の無いさらさらした白い砂。さっきまではその砂に埋もれてもがいていたのに、些細な事でこんなにも変わる。

 「ハニー、もっとこっちに来て。」

 レンの腕が腰に回され、春歌も自然に身を寄せ、そのままレンに抱きしめられた。
 幸せの極みを感じた春歌だったが、ふと、さっきポケットに仕舞った小物の存在を思い出した。

 どうしてレンが、イヤリングなど持っていたのか。片方だけ。

 折角レンとこのまま仲直り出来そうな雰囲気の時に言い出すのは躊躇われたが、尋ねるなら今しかないとも思った。
 
 不安が薄れているのも後押しになった。今のこのレンを見て、あれが浮気の証拠などとはどうにも考えられない。きっと自分にとって、なーんだ。と明るく笑って終わらせられる答えを彼はくれる。その確信を持ちながら春歌はそっと、ポケットから取り出したイヤリングをレンに見せた。

 「イヤリングだね。ハニーの? これがどうしたんだい。」

 しかしレンは、不思議そうに春歌の掌の上で転がるダイヤを見るだけだった。差し出した春歌の顔と交互に見比べ、首を傾げている。

 「これは、神宮寺さんの物ではないんですか?」

 「俺の? いや。俺はイヤリングはしないね。しかもこんな一粒ダイヤのデザインなんて、いかにも女性用だ。更につける気にならないな。」

 その言葉に嘘は微塵も見えず、春歌は今度こそほっとした。
 
 「どうしたんだい、これ?」

 「楽屋にあったんです。神宮寺さんの荷物のところにちょこんとこれだけあったので、神宮寺さんの物だと思って、もしかして本物だったら失くすといけないかと、つい持ってきてしまったんです。」

 流石にポーチを、口が開いていたとはいえ、ほとんど零れ落ちそうに他の中身の上に乗ったように在ったからと言って、そこから取り出したとは言い辛かった。

 大体、浮気の証拠品かもしれないとチラリとでも思い、突きつける可能性の為に持ってきたなどと、口が裂けても言えない。

 「ふぅん。」

 レンは然して興味無さ気にイヤリングを摘み、眺めた。

 「本物・・・だね、多分。俺は宝石には大して詳しいわけじゃないけど、流石にガキの頃から見続けてるからね、多少目の利く自信はある。それ、本物のダイヤだと思うよ。あいつらのかな? だけど、こんな物を買うような奴らには見えないな・・・。」

 春歌の掌にまたダイヤを戻しながら、レンは、ふむ。と一時思案する。

 「あいつら?」

 「同じ楽屋のヤツやらだよ。KK事務所の新人くん。楽屋にあったなら、あいつらの私物かもしれないけど、どうもこんな趣味には見えないな、あいつらは。誰か、他のタレントでも遊びに来て落としたのかもしれないね。明日、聞いてみるよ。それまでハニーが持ってて。俺が持ってたんじゃあ、失くしそうだ。」

 「わかりました。」

 春歌はそれを、そっとハンカチに包んでバッグに仕舞った。本物だと思う。とレンに言われたからだ。 
 

 イヤリングを仕舞い終わるのを待っていたかのように、レンが春歌の首筋に顔を埋める。

 「あ、神宮寺さ・・・。」
 
 吐息が肌にかかって背中がぞくりとする。
 知っているのだ。これから何が起こるのか。知っているから、期待が背筋を走る。

 「仲直りしたい。体ごと。・・・・いいかい? ハニーが俺のものだって、俺に実感させて。お願いだ。」

 耳元で囁かれた甘い声の愛撫は、春歌の背筋を簡単により強く痺れさせた。
 
 レンと見詰めあうと、彼は優しく微笑んで、好きだよ・・・と小さく何度も繰り返し囁きながら、額や頬についばむようなキスを落とし始めた。目を閉じてそれを受け止めながら、春歌の頭は心地よい霞がかかり出す。体は体で、奥の方から熱が生まれてゆく。
 
 二人して無言でベッドに急いだ。部屋に入ると同時位に押し倒されてスプリングが軋む。自分でもびっくりする程に固く尖った胸の先を摘まれ、春歌は堪えもせず啼いた。
 
 その声に煽られたのか。いつもと違い、積極的にレンの髪に手を差し込んで自分の柔らかい胸に押しつける春歌の昂りに魅せられたのか。レンは荒い息でむしゃぶりつくようなキスを春歌に仕掛けると、快感に震える彼女の片足を持ちあげて、一気に自分の硬質を押し込んだ。

 「んぁああああああーーー。」

 「っ、は・・・・。」

 粘膜が粘膜を押し広げて進む感覚に、2人とも正気を持っていかれる。
 
 この熱だけをわかちあいたい。今2人で紡げる、2人だけが感じあえるこの世の夢。

 これを待っていた。これが欲しかった。他の誰でもない。貴方の、貴女のすべてとメルトダウンする欲界へ続く愛の道。手を握り合い、繋がりあって這い蹲って堕ちゆくその道は、落下と上昇を別けない融合点だ。

 春歌しか見て無いレンの目が、まだ奥を、まだ、もっと何もかも喰らい尽くしたいと貪り漁る。レンしか欲しくない春歌の下腹の奥が、余す事無く絞り取ろうと穿つレンに絡みつきしゃぶる。

 レンが、すっかり上気した春歌の額に張り付いた前髪を梳いた。
 口づけながら甘い吐息混じりに耳元で囁く。

 「ごめんね、馴らさずに入れたりして。ガマンできなかった・・・。好きだ。ハニー、愛してるよ。俺の、俺だけの・・・!」

 うなされたかの如く激しく春歌を腕に囲い、レンは春歌の中を抉った。
 
 普段のレンからは想像もつかない荒々しさは、春歌からまともな言葉も奪っていく。「私も愛してる」 とこたえたいのに言葉にならない。甘ったるい喘ぎと浅い呼吸が零れるだけだ。

 覆い被さるレンの髪が、春歌の耳や首をくすぐる。
 肌が湿気を帯びて、重ねているとねっとりと熱い。お互いがお互いの肌に吸着しようとするようで、一度触れた肌が離れるのが切なくて絶えず体を捩り求めてしまう。

 「ハニー、好きだ・・・愛してる・・・もう、一緒に・・・っ。」

 「は、ふ。んっ・・・・はい、一緒に・・・ああああっ。」

 痙攣する体と硬直する体。
 満足を求め果てた2人は、やっと久しぶりに納得して握りあえた手に心から安堵して、終わらないキスを繰り返しながらいつの間にか眠った。










 

 「朝・・・・。」

 あれから一回も起きなかったという事は、よっぽど疲れていて、そして安心したらしい。
 レンのベッドで、まだ寝息を立てるレンを起こさないように頬にキスをし、春歌はキッチンへ移動した。

 時計の針はまだ、レンを起こすには余裕があった。顔を洗って、キッチンで1人分のお湯を沸かした。

 寝起きだが、身体に甘い倦怠感と、妙に晴れ晴れした気持ちがある。理由は明白で、自分の事なのに妙に照れながら春歌は紅茶を用意した。

 なんとなく、テレビをつける。
 砂糖を少しだけ入れてティースプーンを右手で動かす。左手で無造作にリモコンを持ち、2、3度動かした指が止まった。

 朝のやかましいゴシップ番組の司会者の声が、そこに映されている映像が、春歌の動作を止めたのだった。

 「今や大人気の女優・吉野京子さんが、200万円相当のイヤリングを盗まれたっていう今朝のニュースなんですけどね。えー本日お越しのコメンテーターの中に、吉野さんのアクセサリーの趣味についてお詳しい方がいらっしゃるので・・・」

 「これが盗まれたとされるイヤリングです。これは2か月前に彼女の公式ブログに掲載された画像なんですが、大粒のダイヤが一つという、実にシンプル且つ優雅なデザインです。都内の宝石店に吉野さん自らがオーダーしたもので、画像では判りませんが、彼女らしい捻りとして、留め具に細かい彫が施されています。」

 春歌は画面に釘付けになった。頭の中で、昨日の楽屋で見たものがフラッシュバックする。
 レンが普段使うポーチから見えた光。ファスナーが開いていたので取り出したそれを、ポケットに入れたのを思い出す。

 テレビ画面には、ゆうべレンに見せたイヤリングが映し出されている。
 間違いない。同じものだ。

 「家に置いといて空き巣に盗まれたのか、置き引きって言うんですか? ああいう感じで盗まれたのか、とかも判ってないんですか。」

 「その辺の詳細は、まだ我々は掴んで無いんですよ。吉野さんは今日も新しいドラマの撮影がありますので、恐らくマスコミが大勢押し掛けると思いますね。詳しい話はその時に聞けるんじゃないでしょうか。」

 こういう番組でよく見る顔が、井戸端会議さながらに会話している。
 チャンネルを変えても時間帯のせいか、似たような番組が似たような画面や会話を垂れ流している。
 
 
 「警察は窃盗事件として、犯人に繋がる手掛かりを、関係者などに事情を聴きながら捜査しているそうです。先ほどのVTRにもありましたように、共演者の方々の話によると、不審な人物の目撃情報は無く・・・」

 口をつけてない紅茶は、揺れもせず色をたたえている。
 
 警察・犯人・窃盗事件。
 およそ自分の日常と関係無い単語を、画面越しに急激に突きつけられ、春歌は固まっていた。

  「嘘・・・、どういう・・・。」

 思わず口から洩れた言葉も、カラカラに乾いた喉が押し出したもので、棒読みだった。

 画面に映る画像。留め具の彫に覚えがあった。傷だと思ったあれは、細工を彫った物だったのだと妙に納得した春歌の手がゆっくりと落ち、リモコンが床に音を立てて転がった。










    
  To Be Continued・・・














 

 
 

complice 第5話

 


 
complice
  第5話








 
 得体のしれない不安が一定の状態で体内に停滞するのを、春歌は初めて体験したように思う。
 あれから、逸る心臓を抱え、自分の部屋へ戻ってきた春歌は、テレビやインターネットで情報を漁りまわった。


 

 624 吉野京子、200万円相当の貴金属盗難! イヤリング1個ww 大袈裟www

 625 オモチャやろーあんな大きいダイヤ。話題づくりか

 626 京子ちゃん、今度神宮寺レンくんと共演でクヤシー!

 627 宝石は大きくなるほど偽物っぽいってかオモチャっぽくなるもんだ

 628 624みてーなヤツほど、2万のイヤリングも買えない貧乏人


 ******************************************


 931 盗難の懲役って何年?

 932 ググれアホ

 933 実は紛失って知り合いに聞いた


 


 普段は見ない、信憑性の疑わしいサイトまで閲覧してみた。
 レンが今日も仕事で助かったと春歌は思っていた。

 

 あれからすぐにレンが起きてきた。
 彼は、同じ話題を垂れ流し続ける番組がかかったままのテレビを見て、

 「え・・・。ちょ、何だこれ。どういう事だ・・・? 昨日のあのイヤリングが、吉野京子の物だっていうのか。」

 流石に驚いたのか、固まったまま暫く画面の前から動かなかった。「事務所からも何も言うなって言われてるのでごめんなさい。」 と謝りながら車に乗り込む若い男の子の映像が繰り返し放送されている。

 「あ、コイツ・・・コイツだよ。例の、同じ楽屋に居るKK事務所の新人君の一人。・・・だけど、一体いつの話なんだこれ。囲まれてるのは昨夜みたいだけど、俺が帰る時はそんな騒ぎはなかった。まぁ俺は君に会う事しか考えてなかったからね。荷物だけ掴んで着替えもせず3秒で楽屋を飛び出したから、その後に盗まれたのが判ったのかな。しかし・・・。」

 お互い顔を見合わせて、不安を交換する。

 「あのイヤリング・・・。」

 吉野京子の物ですよね。とまた同じ台詞を言い掛けて春歌はやめた。
 くしゃりと、レンの手が春歌の頭を撫でたからだった。不安になると、人間は同じ言葉ばかり繰り返してしまうのだろうか。そこから気が離れない。

 「ハニー、君があれを持ってるってのは、今は黙っておいた方がいいと思う。今日、さりげなく仕事場で聞いてくるよ。俺が持って行って正直に楽屋で拾ったって話すのも、ちょっとこの騒ぎじゃあ危険な気がする・・・。詳しい状況が何も判らないから、今は迂闊な事は出来ない。ヘタをしたら、君が窃盗罪で疑われる。」

 「そう、ですね・・・。」

 「心配しないで。大丈夫。君は待っててくれ。」

 
 彼はそう言って優しく春歌を抱きしめ、仕事に出掛けて行った。
 

 

 

 イヤリングが包まれたハンカチを、カバンからそっと取り出す。

 確かに、レンのポーチの中にあったのだ。偶然何らかの理由であの中に入ってしまったとは思えなかった。意図して中に入れられた以外ないと思われる。それが盗まれた物だとは、どういう事だ。

 不意に電話が鳴った。
 春歌は大きく肩を揺らして驚き、電話を見た。

 表示されている名前に安堵し、手にしていたハンカチをテーブルに置いて通話ボタンを押す。

 「私です。今、電話宜しいですか。」

 「一ノ瀬さん・・はい、大丈夫です。」

 「そうですか。では、訪問してもよろしいですか。」

 「はい?」







 

 「あの、すいません、気を遣って頂いてしまって・・・。」

 「いいえ。私もたまには甘いものが食べたいのですが、口実でもないと口にする機会が無いものですから。」

 トキヤは実はもう部屋のドアの前に居て、そこから電話をしていたのだった。
 先日からずっと心配してくれていた彼は、ケーキを手土産に、春歌の様子を見に来てくれたのだった。

 「とりあえずここに居たので安心しました。レンは、君を実家に連れて行かなかったんですね。」

 「はい。仲直り出来まして・・・あ、適当に座ってて下さいね。今お茶を淹れますから。」

 春歌はリビングにトキヤを通した。自分はリビングまで行かずキッチンへ入り、お湯を沸かして紅茶を用意した。
 
 家に戻ってからインターネットばかり見ていた為にお湯も沸かしておらず、おまけに、カップ類も夜に家を飛び出して以来、まったく洗ったりなどもしてなかったので、春歌は急いでがちゃがちゃと色々用意をした。

 なんとか体裁を整えて、用意したお茶をリビングへ運ぶ。

 「お待たせしました。すいません、あの夜からまともにお台所してなかったものですから、お茶を用意するだけなのに時間がか・・・一ノ瀬さん!」

 テーブルセッティングをしようとトキヤの方へ目を遣った春歌が、息を飲み血相を変えた。そして瞬間、トキヤの手から物凄い早さでそれを奪い返す。

 「あ・・・。」

 自分で自分のした事に驚き、春歌は動作を止める。トキヤも普段無い春歌の行動に呆気に取られていたが、すぐに真剣な声で春歌に言った。

 「なぜ、君がそれを持っているんです?」

 「あ、の・・・。」

 しまったと。
 春歌は心底、しまったと、後悔していた。

 突然の訪問が知った顔だった為にうっかり気を緩め、ハンカチをそのままテーブルの上に置いたのを忘れてお茶の用意をしてしまった。イヤリングを包まずに、そのままにして。

 「今朝、散々テレビで見ましたからね。留め具の特徴的な彫・・・・・それ、吉野さんのイヤリングですね。」

 「っ・・・。」

 「君が人の物を盗むなどあり得ませんが、吉野さんが盗難で被害届を出しているのは事実です。そして実物がここにあるとなると、少なくとも話題作りの為の狂言ではない。というわけですか。」

 春歌は何も言えない。
 何故だか判らないがこのイヤリングは盗まれた事になっていて、春歌がそれを持っている。説明のしようもない。

 泣きそうな春歌を見て、トキヤは深く溜息をついた。

 「一体どうしたと言うんです。君が盗難事件になどに関わっている筈がない。何か事情があるのでしょう。」

 「私にも判らないんです。私はただ、これが、その・・・。」

 言い掛けて言い淀む。
 
 レンにも言ってない本当のコトを、彼に話してもいいものだろうか。これは実は、レンの持ち物の中にあったなどと。指を噛みそうになる。

 だが、言ってしまいたい気持ちもあるのだ。レンにも、レンの荷物の中にあったという詳細は言えなかった。いや、彼にだからこそ言えなかったのだ。押し潰されそうな不安から解放されたい気持ちが弱いわけがない。おおごとになっている渦中の些細な真実を確認したいのに、それが出来なくてもどかしい。吐き出してしまいたい。

 泣きたい理由がレンだとしたら、そんな時は頼ってほしい。トキヤの甘い囁きを思い出す。
 
 それは悪魔の囁きだ。今ここでトキヤにぐらりとなったら、レンはきっと悲しむ。別に浮気だなんだなどと世間が言うような疾しい事が無くても、きっと、トキヤにだけ話した事実があるなどと知ったらレンは傷つくだろう。レンが悲しむのは見たく無い。

 だが、トキヤは少ない言葉で、春歌のそんな必死な思いをぱりんと割ってしまった。

 「言いませんよ、レンには。言ったりしません。君がここで泣いたなど。誰にも言いません。君はもっと甘えた方がいい。・・・ね?」

 「いちのせさん・・・。」

 足元が崩れる気がした。

 「わ、私・・・私には、何がなんだか、どうなってるのか・・・・。なんでこんな騒ぎになってるのか・・・。」

 立ち尽くして泣きじゃくり始めた春歌を、トキヤは黙って抱き締めた。









 
 
 「経緯は判りました。レンの判断は賢明だと思いますよ。これだけ大騒ぎになってる中、拾いました。では済まないでしょう。道に落ちていた訳ではないのですから。ヘタをすると体のいい自首とも取られかねない。」

 「そんな・・・!」

 ソファに腰掛けたままがっくりと項垂れる春歌の髪を、トキヤが優しく撫でる。

 「取り敢えず、今日レンが撮影で色々聞いて来てくれるでしょう。それを待ったほうがいい。それと君は、これを持っていない方がいい。」

 トキヤが、目でイヤリングを示した。

 「え、でも・・・。」

 「君はなかなか嘘がつけない。真正面からは誰にも会ってないとはいえ、誰かがどこかで、君が楽屋から出てきた姿を、レンの車に乗り込む姿を見ているかもしれない。警察は、あの局にあの日出入りした全員に事情を聴くでしょう。もし誰かが君を見かけたと警察に伝えて、警察がいきなり君の元へやって来て、イヤリングを持ってるか持ってないかで聞かれたら、君のような人は判りやすく態度に出る。」

 「そ、それは、・・・。」

 「私が預かりましょう。」

 「えっ。」

 トキヤの突然の提案に、春歌は驚いた。
 しかし彼は涼しい顔で、何かおかしな台詞だったかと言わんばかりの表情をしている。

 「レンは、吉野さんの共演者です。当然、警察にとっては他の共演者同様、何度もしつこく当日のアリバイを尋ねる対象です。警察というのは、同じ質問を少しずつ角度を変えて繰り返し、相手の回答の矛盾を突くそうです。そこから嘘を崩して行く。第一前提として、イヤリングを持ってないと頑なに言い張れる絶対的な根拠は、本当に持っていない事です。だから、レンにも預けない方がいい。」

 「でも!」

 春歌は咄嗟にトキヤの方へ身を乗り出した。
 自分が持っていないのも困る。イヤリングをどうしたのかとレンに問われて、トキヤに預けたなどと言えない。

 春歌は今になって、イッチーの所に行かないで。と、ゆうべ泣き顔で縋ってきたレンをまざまざと思い出した。

 自分が甘い囁きに負け、冷静さを失ってしまったせいで、事態はどんどん思いもよらない不貞へ向いてしまいそうな気がした。
 
 気持ち的に楽になりたくて、トキヤだけに事実を打ち明けてしまっただけでも後ろめたいのだ。トキヤの口の固さは学生時代で明白といえど、レン本人には言えなかった部分を打ち明けただけならまだしも、問題の原点であるイヤリングを預けるなど、それはレンと恋人同士である自分には決して許されない行為であるような気がした。

 「大丈夫ですよ。失くすのも持ってるのも怖いから、実家に送ったと言えばいい。君の実家なら、すぐに出せと言われて出せなくても無理がありませんし、普通のご家族なら君の不利になるような真似はしない。そういう点でレンも納得するでしょう。」

 考えを読まれたかとドキリとする回答に、春歌は目を丸くする。

 「こんな事になってなければ、正直に 「落ちていた」 と言っても通るでしょうが、警察だけでなく世間にこんなに騒がれてしまっては、吉野さんが自分から被害届を取り下げて沈黙する以外、収まりませんよ。それこそ、どこに落ちていたのだと言われ、レンのポーチの中にあったなどと知れたら、レンが疑われる。」

 「そんな・・・! 神宮寺さんはそんな事しません! 私がこれを見せた時だって、全然心当たりが無いって顔をしてました! 嘘じゃありません! 私には判ります!」

 思わずトキヤにつんのめって大きな声を出した春歌に、トキヤが少し呆気に取られる。

 「す、すいません・・・つい・・・。でも本当です。あの時の神宮寺さんが、嘘をついてるなんて絶対にあり得ません。」

 「判っていますよ。」

 トキヤがふっと笑う。

 「レンほどの大金持ちが、こんな安いダイヤを盗む理由がありません。私たち庶民から見れば200万のダイヤは高額商品ですが、神宮寺財閥から見れば、金額的には日常のちょっとした買い物に過ぎない。そこからしてレンが盗んだなど、彼を知る人間なら露ほども思いませんよ。でも警察はそうじゃない。どういう理由でこれがレンの持ち物に紛れていたのか判りませんが、この状況でもしもレンのポーチの中にあったなどと警察が知ったら・・・判りますね。」

 春歌は、怖くなってこくこくと頷いた。
 
 トキヤの言う通り、そんな展開になったら警察はどうしてレンのポーチにあったのかを徹底的に調べるだろう。イメージが大事なアイドルにおいて、最終的に無実が証明されても過程が既に致命傷だ。
 
 「わかりました・・・あの、失くさないで下さいね?」

 本当にそんな心配をしていた訳ではないが、何かが不安で春歌はそう付け足した。トキヤが人に預かった物を紛失するなどあり得ない。だが、妙に何かが不安だった。

 「大丈夫ですよ。絶対に悪いようにはしませんから。」

 トキヤは春歌に渡されたそれをジャケットの内ポケットに仕舞うと、優しく笑った。
 そして

 「レンが今日この事件について何を聞いてきたのか、明日私にも教えて下さい。それによって、これをどうするかを考えます。レンの明日のスケジュールは御存じですか?」

 「明日から何日かは、ほとんど昼からの撮影になるって言ってました。夜は遅くなるって・・・。」

 「そうですか。では、明日は夕食を一緒にどうですか。私は丁度今、次の新曲のレコーディングに入る合間で半分オフみたいなものなんですよ。私は彼と逆で、夜なら暫くの間はオフなんです。明日の夜、私の部屋へ来ませんか。」

 春歌の髪をそっと撫でる。
 好きだと言われたのを鮮烈に思い出して、春歌は少しだけ後ずさる。

 「半分オフって、でも確か昼間はラジオに出たりしてらっしゃるんですよね。何だか申し訳ないです。今更言うのも変ですけど、私の勝手で巻きこんでしまって・・・。」

 「いえ、いいんですよ。まあ、私も完全にオフだと職業柄、不安になるじゃないですか。だから先輩の番組のゲストに呼んで頂いてるんです。それに、生放送はやっぱり楽しい。良い意味で緊張出来て、貴重な仕事です。昼に生放送が終わって緊張が解けて、気楽な気持ちで夕方までレッスンに打ち込めるのが、とても気持ちいいんです。夜には完全にフリーですから、気にしないで下さい。」

 「すいません・・・。」

 トキヤの優しい言葉に、春歌は思わず涙ぐんだ。
 自分の為に何かをしてくれる人がいる。その有難さと安心感に、ほっとして、嬉しくて、思わず涙がこぼれてしまったのだった。
 
 「泣かないで下さい。泣かれてしまうと、とても悪い事をしている気持ちになるじゃないですか。」

 「すすすすいません! 」

 慌てて、ぐいっと頬を拭う。

 「そうじゃないんです、嬉しくて、感謝してるんです。ほんとに、すいません・・・。これが神宮寺さんのポーチにあった事、どうしても神宮寺さんには言えなくて・・・。でもこうやって、一ノ瀬さんに話せて、例え神宮寺さんの持ち物に入ってたとしても、彼は盗難なんてしてないって言ってもらえて、ホッと出来て・・・。それに、確かに持ってるのも怖かったから、それを、代わりに預かって下さって。こんなにして頂いて、嬉しくて・・・。」

 「嬉しい、ですか・・・。」

 溜息混じりに笑うトキヤの伏せた目に、春歌はまた少し罪悪感を覚える。
 自分でも、なんだかトキヤに対し残酷な台詞を吐いたのでは無いかと後悔した時、すっと目の前が翳った。

 「ぇ・・・。」
 
 驚いたのと、口の中にぬるりと冷たいくせに熱い何かが入り込むのと同時だった。

 「!」

 自分の身体がどこにあるのかも忘れる位の衝撃だった。
 
 自分が今トキヤにキスをされているのも、逃げようにも両手を掴まれ、背中をソファに押しつけられてて動けないのにも、気付くのに何秒かかったのか解らない。

 暫くたって解放されても、春歌はあまりの驚きで固まったままだった。
 トキヤの睫毛が落とす影が、その黒い色が自分を捕まえてるという錯覚に囚われて口も利けない。

 「君と私が共犯だという証を・・・もう一度だけ。」

 レンがベッドの上で、挿れたいと春歌に対して乞う声に、それは似ていた。女として唇を狩られるのだと反射的に頭が理解し、同時に腰の内側が痺れた。

 そこに罪悪感が伴い混乱し、春歌は可否のサインも出せない。その動揺に気付いてるのかトキヤは、春歌を腰からぐっと抱え込み自分に引き寄せると、もう一度荒く執拗に、彼女の口腔を自分の舌で犯し始めた。








   
    
   To Be Continued・・・



 
 

 
 
 
プロフィール

みるくあずき2

Author:みるくあずき2
成人。
主婦。母。妻。嫁。娘。事務員。など。

本家ブログはアメブロ
http://ameblo.jp/milk15azuki
にて、乙女ゲームレビュー(感想・攻略? 雄叫び、乙女向けCDも愛聴)を書き綴っております。

乙女ゲ歴というかゲーム歴4年。
妻となり母となって大分経ってから見つけた趣味なので、遅咲きです。
遅咲きの狂い咲きってヤツですね。

本家ブログは只今リアル絶賛多忙中の為に気紛れゆるゆる更新です。コチラは元々気の向くままに進めています。

下のカテゴリからお好みのモノを選んで頂くと、連載は1話から読めます。

感想・お世辞は大歓迎ですが、苦情は受け付けられません。
鍵付きのコメントは、拍手コメントも含め一切の誤表示を防ぐ為、お返事は致しませんが、必ず読んでおります。励みになっております。有難うゴザイマス。
拍手とかコメントとか貰えると泣いちゃうくらい嬉しいですよ・・・。

鍵付きでは無いコメントは、拍手コメントも含め必ずお返事させて頂いております。
宜しくお願い致します。

只今うたプリだと トキ春 嶺春 蘭春 音春を筆頭にカミュ春や翔春、真春、レン春もございます。R18、オールNLとなりますので宜しくお願い致します。

だけど最近プリンスよりも先輩とかヘヴンズが好きだったり・・・。

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